事件編《後編》
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翌日の昼休みの学食。
美麗奈は、食べ終わった食器はテーブルに置いたままにして、男3人女4人の仲間で話をしていた。
「美麗奈、どうしたの? 昨日と同じ服じゃん」
右に座っていた、この中で最も落ち着いた格好をしている朝岡和美が言った。
「昨日さ、裕也んちで飲んでて、そのまんま寝ちゃったんだよね。飲み過ぎて3回も吐いちゃった。今も胃がムカムカしてんだけど」
「あんたいつも飲み過ぎ。吐くまで飲むなよ。もったいないじゃん、せっかく飲んだのに」
「だって楽しくてさぁ、いっぱい飲んじゃうんだよね」
「ってことは、美麗奈、朝帰り?」
「そう。裕也と一緒に学校に来たの」
すると、朝岡は細い目をして横目で美麗奈を見た。美麗奈はにやりと笑う。
学食はほぼ満席に近い状態だったので大きなざわめきで活気に溢れていたが、ここは禁煙であるにもかかわらずタバコを吸っている学生のグループが何箇所かあった。その為、向こうの方では学食の職員が注意をして口喧嘩が起きていたりもした。いずれ、美麗奈らの所にも注意がくるだろう。それをわかっていながら、空缶を灰皿代わりにしてスパスパ吸っていた。
「ねぇ、美麗奈。あんた情報処理論、大丈夫なの? 落としたら留年でしょ?」
友人からの質問に美麗奈は自信を持って答えた。
「全然オッケーよ。もう完璧。AだよA」
「随分自信あるじゃん。どうしたの? まさか、またいいカンニング方法でも見つけたの?」
「さぁね、それはどうだか」
と、彼女はうまく濁した。フロッピーを盗んだということは友人達には喋らないようにした。まさか問題を盗んだとは言えない。
「あっ、その顔は見つけたんでしょ? そういう発想よく思い浮かぶよ、呆れちゃうくらいに。美麗奈っていつからそういうことしてんの?」
「そうだな、小学生からやってたな。漢字ドリルとか計算ドリルとかあったじゃん。あれをテストでそのまま出すなんて言われたら、答えだけ全部覚えたの。んで、百点とったら怪しまれるから、わざと何問か間違えるの」
朝岡は驚きながらタバコの煙を上方へ飛ばした。
「くわぁー。後処理まで抜け目ないのかよ。イヤな小学生だな」
「柚木美麗奈さん!」
と、誰かが自分の名前を叫んだ。美麗奈はその声の方に振り向いた。
「やっぱりあなたが柚木さんなんだ」
そこに立っていたのは、サングラスを頭に乗っけた昨日の女だった。
「こんなにいっぱい人がいるから見つからないと思ったけど、派手な格好してるからすぐに見つかった。こんにちは」
「なんだよ。何しに来たんだよ」
友人達も水咲を見て少し戸惑っていた。一体この人と美麗奈とどういう関係なのか、美麗奈に聞きたそうな顔をしている。その一方で、水咲を見た男達は喜んでいた。脚の長い綺麗な女がそこにいたからだ。
「なんか用ですか?」
そのうちの1人が話しかける。そばにいた2人の男は笑っていた。それを見ていた水咲も、にっこり笑顔を返した。
「わたし、水咲って言います。名探偵研究会っていうサークルの会長やってます。今度よかったら遊びに来て下さい。いつでも歓迎しますから」
「あっ、俺行こうかな」
他の者は、水咲がサークルの勧誘で来たのだと思っていた。しかし、美麗奈だけはそう思わなかった。術中八九、自分目当てに来たのだと思った。だから美麗奈は起ち上がると、水咲の腕を引っつかみ、混雑している中を突き進んで学食の外に出た。中庭に出ても依然腕をつかんで水咲を引っ張り、人気の少ない所に連れて来ると彼女を怒鳴りつけた。
「お前なに考えてんだよ! どこであたしの名前を調べたんだよ!」
「福実先生に聞きました。福実先生の授業、とってますよね?」
無理矢理引っ張ってこられたにもかかわらず、水咲の口調は穏やかだった。
美麗奈は、描いた眉毛を一層吊り上げて答えた。
「あんたやっぱりあたしのこと疑ってんだろ? だから名前まで調べてこうして来たんだろ?」
美麗奈はきっぱりと言った。どういう返答が来るか楽しみだった。
「はい。疑ってます」
水咲もきっぱりと言った。ただ、美麗奈と違っていた点は笑顔だったことだ。
「柚木さんは3年生に上がるために必要な基幹科目を1つ、落としてるよね? 福実先生の情報処理論。1年で落ちて、2年でも落ちて。もし、今年また落とせば、留年は確実になるよね?」
「うっせーなぁ、大きなお世話だよ」
「絶対にその科目は落とせない。何がなんでも単位を取らなきゃいけない。だからあなたには、十分な動機があると思うんです。今日はそれを言いに来ただけ。それじゃ」
一方的に喋って帰ろうとしたので、すかさず美麗奈は立ち去ろうとする水咲の行く手を阻んだ。
「ちょっと待てよ。そんなことであたしがやったなんて勝手に決めつけるなよ。だったら証拠見せてみろよ。あたしがフロッピー盗んだ証拠」
「証拠はないです。今のところ」
「ほーら、ないじゃんか。勝手に人のこと疑うなよ。それとね、人のこと派手な格好って言うけどね、あんただって同じようなもんじゃない。もう、つきまとうんじゃねぇ!」
そう捨て台詞を吐くと、美麗奈はせかせか歩き出し、一度も振り返らずに学食へ戻った。
*
次の日。
美麗奈は最後の統計学の授業に出ていた。彼女は彼氏の畑瀬と一番後ろの窓側の席に仲良く座り、ヒソヒソとお喋りをしていた。
「昨日さ、やんなっちゃったよ。変な女につきまとわれて」
「どうした?」
「誰にも言わないでよ。おとといさあ、情報処理論の福実いるじゃん。あいつがさ、講師室で誰かに殴られて気絶してたんだって。そんで、その水咲って女が福実を発見したらしいんだけど、そいつあたしがやったって言うのよ」
「お前が?」
畑瀬は少し驚いた表情を見せたが、何かを察してたちまちにやけた。
「そりゃ、お前しかいないじゃん、そんなことするの」
「なんでだよ」
「だってお前、あの授業2回も落とされてんだから、先生恨んでるんだろ? お前そういう性格だもんな」
最も、畑瀬はまさか彼女が殴ったとは1つも思っていなかったのでそんな返答をしたのだ。
「ふざけんなよ。あたしじゃないよ」
彼女も、彼が冗談でそう言ったのはわかっていたので、笑いながら否定した。
「だけどあの女、ほんとムカツク。サングラスなんか頭にのせやがって」
「どんな女なんだ?」
「あのね、ロン毛で……」
と、水咲の特徴を挙げようとしたとき、その続きを簡潔に言って終わらせた人物がいた。
「そんでこんな感じ」
見ると、黒のブラウスに真っ赤なマイクロミニスカートの女が座っていた。それは水咲自身だった。彼女はいつの間にか隣りの席に座っていた。いつものようにニコニコした顔でそこにいると、彼女は軽々しく畑瀬に囁いた。
「初めまして。わたし水咲って言います。名探偵研究会の会長やってます。よかったら是非遊びに来て下さい。いつでも歓迎しますから」
「何してんだよ。つきまとうなって言っただろ」
美麗奈の静かな罵声は、水咲の耳には入らなかったようだ。水咲は、なおも畑瀬に視線を投げて話しかけた。
「最近、柚木さんと仲良くさせてもらってるんです。よろしくね」
畑瀬は照れながら会釈した。
「何言ってんの? 誰があんたなんかと仲良くしてんだよ。それに、あんた何しにここへ来てんだよ。この授業とってないんだろ?」
水咲は筆記用具や教科書は一切持っていなかったのだ。
「この時間は空きだからここへ来たの。つい2日前にお友達になったんだから、何かお話でもしましょうよ」
「だから誰が友達なんだよ!」
「こら! 後ろうるさい! 静かにしなさい!」
つい興奮してしまって声が大きくなってしまった。神田川教授はじっとこちらを見ていた。一瞬、教室内はシーンと静まり返った。やがて、教授は再び講義を始めた。
「この人か?」
最初に口を開いたのは畑瀬だった。
「そうなんだよ、こいつなんだよ。もう、うっとうしくて」
それを聞いて、畑瀬は美麗奈の助け船になってやった。
「あのー、水咲さんでしたっけ? こいつはやってないっすよ」
「そうだよ。やってないんだよ」
そこで美麗奈はふと思った。先生が殴られたなんて、普通の学生は誰も知らない。知っているのはあたしとこの女と学校くらい。事件は明るみに出ていない。ってことは……。
「そういえばあんた、第一発見者よね? あたしは、先生が殴られたことはあんたから聞かされた。誰かが殴ったって言ってるけど、やったのほんとはあんたじゃないの?」
美麗奈のその発言で、水咲から笑顔が消えた。事件の鉄則として、第一発見者は第一の容疑者だからだ。
美麗奈は水咲を見て、急に大きくなった気がした。
「ねぇ、どうなの? 答えてよ。ほんとはあんたじゃないの? 一番怪しいのはあんたじゃんか。実際に現場を見たのは、あんただけなんだから」
水咲は何も言わない。真顔で美麗奈を見つめていた。
もう一押しだ。この生意気な女を絶対困らせてやる。
「ねぇ、今度はあたしが聞こうか? あんたは先生が殴られた時間、何してたの? それに確かあんた、試験のことで質問があるから福実の所に行ったって言うけど、ほんとなの? 嘘なんじゃないの? ほんとはあんたは福実を恨んでた。だから、あんたが殴ったんじゃないの?」
今度は水咲に代わって、美麗奈が満面の笑みをしていた。美麗奈は楽しくて仕方がなかった。今までの仕返しだった。形勢逆転といったところだ。
「ねぇ、どうして何も言わないんだよ? 図星なの?」
美麗奈はしつこく食い下がる。それを横から観戦していた畑瀬は見兼ねて口を挟んだ。
「よせよ。もういいだろ」
「いいんだよ。あたしだってこいつにしつこく言われたんだから」
「ごめんなさいね、水咲さん。でも、こいつはやってないですから」
彼は改めて美麗奈の容疑を否認する。それを聞いた水咲は再び笑顔を取り戻した。
「柚木さんの彼氏って、優しいんですね。こういう人ってモテるんでしょうね」
水咲は音もなくスッと立ち上がってゆっくり畑瀬に接近した。と思いきや、いきなり脇から彼の太ももの上に座り込んだ。美麗奈はその行動に言葉を失った。どうやって今まで声を出していたのか分からないほど声が出なかった。
いい匂いの香水を漂わせながら彼の肩に腕を回した水咲は、覗き込むように畑瀬に顔を近付ける。
「でも、彼女変えた方がいいですよ」
そしてまたスッと立ち上がり、そのまま教室を出ていった。
その状況に美麗奈も畑瀬もわけがわからなかった。
「何よ、あいつ」
美麗奈は水咲に対して嫉妬をしていた。
ほんとムカツクわ。何考えてんだよ、あのバカ女。人の彼氏にあんなことする?
一方、畑瀬は少し顔を赤らめながら呟いた。
「あの香水、いいなぁ」
*
次の日、また次の日と時は流れたが、あの授業中での出来事から水咲は美麗奈の下にパッタリ現れなくなった。
あんなこと言われたんだから、よほど悔しかったに違いない。顔なんて合わせられないに決まってる。あたしが迫ったときも何も言えなかったし。ただのサークルの会長のくせに、いい子ちゃんぶって犯人捜しなんてしてんじゃねぇよ。
いよいよ、留年をかけた基幹科目の「情報処理論」のテストが明日に迫っていた。美麗奈は試験に出される問題を盗み見て答えを調べ、完璧に準備していた。最後の論述問題がうまく書ければ百点は間違いなしだ。最も、それが書けなくても単位取得の最低点は軽く取れるのだが。
間もなく、美麗奈の人生最大のカンニングは成功しようとしていた。
3
学食はいつもより落ち着いていた。試験期間になると、試験をやらない科目やテストをレポートとして提出させる科目があるので、大学に来る学生はいつもより少ないのである。
美麗奈らのグループも今日は2人少なかった。2人少なくてもお喋りは普段と変わらない。
「美麗奈、情報処理論、大丈夫?」
「当たり前じゃん。昨日、頑張って勉強しちゃったよ。あたし今回かなり自信あるから。もうA取ったのも同然」
「言っとくけど、後期試験も頑張んなきゃだめだよ。後期が0点じゃシャレになんないから。でも、すごい自信じゃん。やっぱ3年間も同じ授業とってりゃできるんだね」
「うるさい! それは違うね。っていうか、あたし元々真面目だから」
「嘘つけよ。真面目な奴は一発で単位もらえるって。ちょっとさぁ、今日いつもより露出度高くない?」
今日も美麗奈は派手な服を着ていた。上は丈の短い真っ赤な革製の服を着て体のラインを強調し、ヘソを出していた。下も同じく革製の真っ黒なミニスカート。アクセサリーも多彩で、眉毛もしっかり描かれている。
「かわいいでしょ?」
「よーし、私だって明日すごいの着てきてやるよ」
「いや、これにはかなわないね」
と、ファッションについて議論していたとき、彼らのグループに近付く者がいた。それは学食のおばさんだった。
「あなた方、この字が読めないのかな?」
おばさんは壁に貼ってある『禁煙』と書かれたプレートを指した。
「ここはあなた方だけじゃなくて、みんなが利用する所なんだから、1人1人が守ってもらわないと困ります。この前も注意したわよね?」
彼らは渋々タバコを揉み消す。
全員が火を消すまで学食のおばさんはじっと立っていた。その間、彼女らの会話は途切れていた。そして、おばさんは灰皿代わりに使っていた空缶を押収すると、次の標的に向かっていった。
「なんだよ、あのババア。超ムカツク」
美麗奈が言うと、他の者もつられて同じようなことを口走った。
やがて、昼休みも終わりに近付く。彼らは席を立ち、食器を片付けると、それぞれ自分の教室へ向かった。
美麗奈はバッグを肩に提げ、情報処理論のコンピュータルームへ。と、その教室の外に見覚えのある人物が立っていた。水咲だった。またあの女だ。あの日から5日ぶりの再会である。相変わらずサングラスが青い光を放っている。
諦めたんじゃないの? 今頃なに? まだあたしとやり合おうって言うの? バカじゃない?
美麗奈は気付かない振りをして彼女の前を通り過ぎようとした。だが、気付かないわけにはいかなかった。
「柚木さん、お久しぶり。わたしのこと憶えてる?」
美麗奈はムッとすると、皮肉を込めて言葉を吐いた。
「誰だったっけ? あたしバカだからわかんない」
そして、そのまま無視して教室へ入り、いつもの自分の席に着く。だが、後ろから水咲もついてくると隣りの席に座った。いつものように笑顔だ。
「あんた、しつこいんだよ。何しに来たの? あんたこの授業じゃないんだろ? 出てけよ」
「いよいよテストだね。自信はある? 基幹科目だから落とさないでね」
いきなり話をはぐらかされた美麗奈は、顔を真っ赤にさせて怒鳴った。
「出てけ!」
他の学生がその声で美麗奈を注目した。
水咲はなおも笑顔だったが、ゆっくりと立ち上がると言った。
「わたし、この日を楽しみにしてたの。テスト頑張ってね」
水咲はクルッと背を向けて教室を出て行く。
「言っとくけど……」
立ち去る水咲の背中に向かって、美麗奈は釘を刺した。
「……満点取ったからって、カンニングしたとは言えないからね」
それに対し、水咲は振り返ると笑顔で返答した。
「大丈夫。満点は取れないよ。カンニングしたから」
そう言い残すと教室から出ていった。
満点はとれない? カンニングしたから? 何言ってんの、バカじゃないの? 満点とれんでしょ、カンニングしたんだから。ほんと、あいつ最後までわからない女ね。
間もなくテストが始まろうとしていた。美麗奈はもう一度、頭の中で答えを整理した。
盗んで印刷した問題用紙は、自宅で穴があくほど何回も何回もじっくり眺め、学校には一度も持ってこなかった。だから、問題用紙が証拠として挙がることはない。そう、証拠などない。
いや、待って。さっきあの女が言った、カンニングしたから満点が取れないっていうのは、問題を全て変えたってこと? そしたら辻褄が通る。もし、そうなら……。
美麗奈の明るい未来に一筋の影が差し込んだ。
福実教授がやってきた。1週間ぶりに見たが、何事もなかったように元気のようだ。
福実は教室前方のメインコンピュータの前に座り、何やら作業をしていた。やがて、試験開始3分前になった。
「後3分ほどで始めます。披見図書は不可ですので、全てカバンの中にしまって下さい。チャイムが鳴りましたら、私の方から一斉送信で、試験問題を皆さんのパソコンに送ります。試験は3ページです。答えはキーボードを使って直接画面に打ち込んで下さい。試験時間は60分です。30分経ったら退室して結構です。できた方は、問題を私のパソコンに送り返して下さい」
幾つかの時が流れる。……チャイムが鳴った。瞬く間に全員の元に問題が送られてきた。
美麗奈は問題が来るまで少し緊張していた。問題はどうなっているのだろうか。全部変えられてしまったのだろうか。と、画面に問題が現れた。目を凝らしてよく見つめてみた。……大丈夫だ。見たことのある問題ばかりだ。
美麗奈はすぐに学籍番号と名前を打つと問題にとりかかる。教室内は、たちまちキーボードを叩く音で一杯になった。
よく考えてみると、問題を変えたってしょうがない。変えたところで点数が悪くなるだけ。カンニングしたことなんて証明できないのだ。
こうして、問題を知っている美麗奈は、尋常ではない速さで解いていった。最後の問題に辿り着くまで、15分もかからなかった。4問目までは完璧だった。後は5問目の論述問題だけだ。
美麗奈は最後の問題にとりかかった。
第4話 百点満点の答案~事件編《後編》【完】