事件編《前編》
バドミントンサークル所属 柚木 美麗奈
1
鬱陶しい梅雨が明け、30度を超える日が当たり前となった。
こう暑い日が続くと、つい冷房をつけっ放しにして寝てしまい、寝冷えで風邪をひいてしまうケースが多々ある。また、喉が渇く為、冷たい飲料水を多くとってしまい、お腹を壊してしまうこともある。逆に、冷房のない家にとってはこれほど寝苦しいものはない。暑くて夜中に起きてしまい、睡眠不足になることなどしょっちゅうだ。
しかし、約7千人の生徒を抱えているこの大学の学生は、風邪などひいていられないし、寝不足だからといって学校に来ないわけにはいかなかった。いつもなら1時限目は自主休講にしてしまう学生も、このときばかりは違っていた。
何故なら、前期試験が来週の月曜に迫っていたからだ。前半の授業も残り1回なだけに、試験の情報を得ようと、みんな必死になって大学へやって来るのだ。
3年生も半分まできた柚木美麗奈もその1人だった。彼女は授業に出ることはほとんどなかった。一緒に授業に出る友人がいなかったり、出欠席をとる科目には仕方なく出ていたが、それ以外の科目は前期後期のそれぞれの最初と最後の授業の計4回しか出ていなかった。その為、その科目は友達にノートを見せてもらったり、いつもと何か変わったことがなかったかを聞き出したりして、非常に要領よくやっていたのだ。周りの人間も彼女は世渡り上手だと一目置いている。
メッシュ交じりのウェーブした茶髪。大きなイヤリング、誰よりも輝く銀のネックレス。高そうな時計にブレスレット。真っ赤な口紅、青のアイシャドウに細く描かれた眉。指には指輪、爪は紫のマニキュア。
誰よりも目に入りやすい派手な格好をした美麗奈は、教室の一番後ろで1人で大人しく座っていた。彼女だけではない。そこにいる生徒は、チャイムが鳴るのをじっと待っていた。
チャイムが鳴る。机に伏せられたプリントを皆一斉に表に返した。ペンでプリントをなぞる音が教室中に広まった。この授業は、授業内テストをやっていたのだ。
美麗奈のペンは、書いては止まり、書いては止まりの繰り返しだった。時間が4分の3過ぎた頃には、まだ半分しか書けなかった。勉強不足、準備不足である。しかし、彼女は焦らなかった。それどころか、指に髪を絡めては、ボーっと別のことを考えたりもした。
試験時間も残り15分になったときだ。彼女は机に置いていた携帯電話に手をかけると、予め作成しておいたメールを試験官に見られないように送信した。
『頼むよ』
そして、傍らに置いてある自分のバッグに携帯電話を入れた。
しばらくした後、美麗奈の携帯電話がけたたましく鳴り響いた。試験官は、早く止めろと言わんばかりの顔でこっちを見ている。
彼女は冷静にバッグの中をまさぐる。目の前に電話が見えるにもかかわらず、バッグの中をまさぐり続ける。まさぐる指は1枚の紙を引っ張り出すと、その紙にこまごまと書かれた文字をじっと見つめた。
20秒後。コール音が切られ、カンニングは成功した。
やがて、テスト終了。美麗奈は満足顔でその教室を後にした。
今日もまた、赤いハイヒールを響かせて校内の廊下を歩いていた。彼女は、肩のはだけた真っ黄色のキャミソールにピンクのマイクロミニのスカートを幅の厚いベルトで締めていた。太ももから突き出た長い脚は網タイツで包まれている。腕には高級ブランドのバッグを掲げ、久しぶりに出る次の2時限目の教室へ入った。
教室の後ろには、同じバドミントンサークルの見慣れた仲間達が座っていた。
「美麗奈、おはよう」
その中の、これまた派手な女性の飯田美佳が手を振って挨拶をした。
「おはよう。さっきはサンキュー」
「どう? うまくいった?」
「完璧だよ」
美麗奈はバッグを机に置く。
「けど美麗奈って、カンニングのプロよね。今度あたしもその手使うから電話してよ」
「いいよ。あっ、美佳。悪いけど、ここの授業のノート見せてくんない?」
美麗奈は彼女の隣りに座った。
「うん、いいよ。だけど、わたしもあんま出てないけどね」
「でも、あたしより出てるでしょ? ならいいのよ。他に美佳は何の授業とってたっけ? 統計学とってたっけ?」
「残念でした。とってないです。けど、あんたのカレシはとってたじゃん」
「まぁね。じゃ、それはいっか」
美麗奈は、出ていない授業は人のノートを写して回っているのだ。最も美麗奈の友達には、彼女のように授業に出ていない人間が半分以上いるのだが。
試験の情報や資料を全く得られず、その科目を落としてしまう可能性がある場合、彼らは最終手段をとることにしている。不正行為、カンニングである。彼らは協力して答えを教え合うのだ。
ところが、実は美麗奈にはその最終手段を行使しなければならない科目がもう1つあった。その科目は3年に上がる為の必須科目だった。つまり、その科目を取れないと3年生になれないのである。にもかかわらず、現在、美麗奈は3年生である。原則では留年のはずなのだが、彼女はその科目以外の必須科目は修得していたということで、大学が大目に見てくれたのである。ただし、落とした必須科目はもう1年受けて、再度落とすことになったら次こそ留年、という条件付きである。
そして今、条件どおりに再度その科目を受け、間もなく半年が過ぎようとしていた。だが、美麗奈はまたしてもその授業を落としてしまう恐れがあった。よほどこの科目には性が合わないのか、授業に全くついていけなかったのだ。しかも、頼みの綱である友達は、みんな単位を取り終えていたので自分だけだった。
問題のその授業というのが、この日の4時限目にあった。
*
禁煙と書かれた学食でタバコを吹かしていた美麗奈らは、友人達とくだらない話で盛り上がっていた。
美麗奈は彼氏の隣りで座って話をしていた。茶髪の彼氏、畑瀬裕也は、タバコの灰を空缶に捨てると自分の彼女を突付いた。
「美麗奈さ、次の授業しっかりやれよ。留年かかってんだからな」
「いけるよ、あんなもん。それより、あんたの方こそ大丈夫なの?」
「実はヤバイ」
「じゃ、あたしと一緒に留年する?」
「バーカ。誰がお前なんかと」
美麗奈はふざけて畑瀬の首を絞めた。周りの友人達は声を出して笑う。
やがて、4時限目が近付いてきた。それぞれ次の目的地へと向かう。
美麗奈は彼らと別れ、1人で3号館に入り、3階へ上がった。そして、一番奥の教室へ入る。そこはコンピュータルームだった。
百台のパソコンが置かれている教室には、生徒でほぼ半分埋まり、担当の福実和重教授も来ていて、何やら忙しそうにキーボードを打っていた。50代の白髪のメガネの先生で、いつもきっちりとスーツを着こなしていた。
美麗奈はそこでも一番後ろに座る。そして、パソコンの電源を入れた。パソコンが起ち上がるまで、彼女は枝毛の処理をする。1分後、美麗奈はパソコンにインストールされているオセロゲームをやり始めた。
授業開始のチャイムが鳴る頃には、教室は満席になった。
「さて、いよいよ今日で授業も終わりです。前期はパソコン用語から始まり、基本的操作、ワープロの基礎、応用をやってきました。今日は最後にアンケートをやってもらい、それからワープロで前期の授業の感想を作成し、印刷して提出して下さい。それが今日の出席代わりになります」
美麗奈は重要なところだけを聞き、あとはオセロに熱中していた。
「それから来週の試験のことですが……」
と、試験の話になった途端、美麗奈はマウスを動かす手を止めた。
「試験はここで行います。どういうことかというと、テストはこれで行います」
白髪の教授は、1枚の黒いフロッピーディスクを生徒に見せた。
「今さっき、試験問題が完成しました。この中に入ってます。試験当日は、このフロッピーに入っている問題を一斉送信で皆さんのパソコンに送ります。つまり、答えは直接キーボードを使って画面に書き込むというわけです。こういう形式でやりたいと思います」
テストについて福実がそう説明していたとき、美麗奈は、聴力よりも視力の方に力が注がれていた。彼女の視界は、福実が掲げたフロッピーディスクに焦点を絞っていたのだ。
美麗奈の脳は悪知恵がフル稼動中だった。
あれがテスト問題。あれをうまく盗み出せれば……。どうやって盗み出そうか。確か、この後この教室で授業はないはず。
そんなことばかりを考えていて、授業どころではなかった。
授業が終わって学生が教室を出て行く中、美麗奈はわざとゆっくり筆記用具をバッグにしまう。福実の様子を眺めながらゆっくりゆっくりと。やがて、福実はテキストを手に抱えて教室から出ていく。それを見定めた美麗奈も教室から出る。まるで刑事が犯人を尾行するように、一定の距離を保ちながらヒールの音を鳴らした。
福実はその建物の最上階を目指して登っていた。最上階には、個別に与えられた講師室が設けられているのだ。
幸い、このあとの5時限目に授業があるのは大学内で3科目しかないので、4時限目が終われば帰る生徒が大半だった。最上階に行き着くまで、知り合いには誰とも会わなかったのも幸いだった。
美麗奈は最上階に着くとハイヒールを脱いだ。もうこの階には誰1人としていなかったので、ヒールの音がしてしまう。靴を手で持ち、網タイツの足を生ぬるい床につけて歩く。
福実は最後の直線の廊下を歩く。3メートル毎にドアがあり、それらは全て講師室になっている。明かりがついていて誰かいる部屋もあれば、真っ暗で誰もいない部屋もある。福実は、とある真っ暗な部屋のドアの鍵穴に鍵を差し込んだ。そこが彼の部屋だった。
そして、福実がドアを押し開いたその瞬間、美麗奈は走り出していた。背を見せた彼の後頭部目掛け、持っていたハイヒールを振り下ろした。
「うわっ!」
彼は小さな悲鳴をあげると、床にうつ伏せになって倒れて気を失った。持っていた書類が床に投げ出された。
美麗奈はできるだけ散らばった書類は動かさずにフロッピーを探す。それは書類の間に紛れていた。ケースの中に入っていて、フロッピーのラベルには「前期試験問題」と書かれてあった。これに違いない。
美麗奈は確認すると、それを持って部屋から飛び出し階段を駆け下りた。先生が気が付く前にこのフロッピーを戻さないと、テストを盗み出したのがバレてしまうからだ。
1階下に下りると、ハイヒールを履いて再び駆け下りる。やがて、コンピュータルームに辿り着くと、いつも自分が座っているパソコンの電源をつけた。だが、焦っているときは時間が長く感じられるものだ。パソコンが起ち上がるのにかなりの時間を要している気がした。
起ち上がるとフロッピーの中を開く。「前期試験」とつけられたファイルが1つだけあった。それをダブルクリックして開く。確かに試験問題だった。3ページに渡って作成されている。美麗奈はこのファイルを、パソコンのハードディスクにコピーする。瞬く間にコピーが完了すると、パソコンの電源を落とした。
美麗奈は再び校内を走り出した。校内には、もう誰もいないようで静まり返り、すれ違う者もいなかった。
やがて、最上階に辿り着くとハイヒールを脱いで足音を消す。そして、福実の講師室のドアをゆっくりと開けた。そこには、まだ気を失っている福実が倒れていた。
彼女は正確にフロッピーを元にあった所に戻した。
美麗奈にとって、これは人生最悪の不正行為だった。いや、不正行為で学則違反という小さなことではすまない。傷害というれっきとした犯罪である。
確かに彼女は自分自身、今まで生きている中での最高の不正行為であるというのは認識していた。しかし、先生を失神させる程殴ったことに関しては、それほど重大なことであるとは思ってもいなかったのである。
彼女は福実の講師室から速やかに立ち去った。
再び階段を下りてコンピュータルームへ向かう美麗奈。今度は彼女は走ることなく、ヒールを響かせ階段を下りていた。
西の空は徐々に赤味を増し、太陽と三日月がこうこうと輝いていた。外は静かに空気が動いているだけで何もなかった。
校舎の電気は何も言わずに任務を遂行していた。廊下はシーンとしていて、本当に授業をやっているのかと思うくらいだ。ただ、彼女の音だけが異様に響いていた。
コンピュータルームには誰もいなかった。美麗奈はさっきと同じパソコンの前に座ると再び電源を入れる。今度はそれほど時間がかからず起動した。そして、デスクトップにある「前期試験」と名のついたファイルを開く。ファイル内容は全く変わっていない。そこには3ページに渡る問題があるだけだ。
美麗奈は3枚の藁半紙を前の棚から持ってくると、プリンターに差し込んだ。印刷が行われている間、彼女はパソコンの画面を見つめ、内容を盗み見た。
ざっと見た感じでは、先生が言っていたように、授業中に配られたプリントを読んでいれば確実にできる問題だ。
1問目は間違い探し問題。いくつかの文章が書かれてあって、その文章のうち「間違っているもの」に丸をつけろという問題だった。これは引っ掛け問題だ。
2問目はパソコン用語の問題。いわゆる、用語を説明しろというものだ。
3問目は名称の問題。パソコン一式の絵が描かれていて、この装置の名称は何かとか、キーボードのこのキーの名称は何か、という問題。
4問目は穴埋め問題。片仮名の語群から適切な語句を選んで記号で答える問題だ。
そして5問目は、大学お得意の論述問題である。
これは事前に調べておけば、5問目以外は完璧にできる問題ばかりだった。
「やったね。簡単じゃん」
印刷が終わるとプリンターの電源を切り、証拠隠滅のためファイルを完全に削除した。そして、パソコンの電源を落とす。
彼女はもう一度、印刷された問題用紙を見てみた。完璧だった。その用紙をバッグに入れてそこから速やかに立ち去る。満足顔で教室を出て数メートル歩いたときだった。ヒールの音が響いて来たと思いきや、角から1人の女が現れた。その女は走っていた。走って美麗奈に向かってきた。美麗奈は少し身構えた。だが、その女は美麗奈とすれ違うと、開け放たれたドアからコンピュータルームの中を覗いていた。そして、誰もいないのを確認すると少しがっかりした表情をした。
特にその女に興味がなかった美麗奈は、気に留めることもなく行こうとした。
「あの、ごめんなさい」
後ろからの滑舌の良い透き通った甘い美声に、美麗奈は少し考えた。
この階には、あたし以外は誰もいないはず。まさか、あたしに言ってるの?
彼女は恐る恐る振り向いた。
「コンピュータルームに誰かいませんでした?」
ブルーのサングラスを頭に乗せたその声の主は、まゆ毛、目ともに左右対称でバランスのとれた美人な女性だった。
やっぱりあたしに言ってる。誰こいつ? こんな奴知らねぇよ。
その女は、ヘアーワックスで湿らせた茶色交じりのロングヘアーを腰まで垂らし、半袖のブルーのブラウスの襟を立て、上2つのボタンを開けて胸の谷間を見せている。突き出たヒップは、ぴったりフィットした黒のマイクロミニスカートに包まれ、ヒップの大きさと太ももから露出した脚の長さをアピールしている。足には白のサンダルだ。と、ここまでは理解できるのだが、なぜかこの真夏に熱を吸収する黒のストッキングを履いていた。確かに、黒は脚が細く見えるが、何もこんな季節に黒のストッキングはないだろう。
口紅は美麗奈より抑えられた鮮やかなピンクだったが、グロスを塗っているので唇が光を照り返して艶めかしい。あとは、薄く塗ったブルーのアイシャドウが目につくくらいで、全体的に薄化粧だ。貴金属は左手首に時計と、右足首にシルバーのアンクレットだけだ。その風貌から派手な女性であると判断しがちだが、どこか落ち着いた雰囲気も漂っている。
美麗奈は何も答えず、ジロジロと彼女を見つめていた。しかし、彼女の方は美麗奈の態度に気にも留めず、独り言を言っていた。
「あーん、ちょっと遅かったのかな。もう終わっちゃったのかなぁ。あのぅ、コンピュータルームに誰もいませんでした?」
また話しかけてきた。なんなのこの女。
美麗奈は少しムッとすると、投げ遣りに答えた。
「誰もいないよ」
「そうですか。どうもごめんなさい」
美麗奈はさっさと背を向けてその場を立ち去った。階段を降りて1階のロビーに出る。そして、いつも友達がたむろっている学食へ向かっているときだ。再び後ろからヒールの音が走って近付いてきた。さっきの女だ。
「ごめんなさい、ちょっといいですか」
「さっきからなんなの?」
美麗奈は思わず口走った。走ってきた彼女は少し息を切らして言った。
「ヒールの高いサンダルで走ると危ないね。足くじきそうで。あれ?」
その女は乱れた髪を撫でると、再び口を開けた。
「網タイツ履いてるんだ。結構いいね。わたしも履いてみようかな」
「ねぇ、なんなの?」
しびれを切らした美麗奈は言葉を荒げて言い返した。すると、ストッキングの彼女から笑顔が消えた。
「ちょっと聞きたいんですけど、さっきあなた、あそこで何してたんです?」
「はぁ?」
何言ってんだ、こいつは。なんであんたにそんなこと言わなきゃならないのよ。見ず知らずの人間に。
「さっき、3階の廊下を歩いてましたけど、何やってたんですか? あの階では授業はなかったけど」
「なによ。あたしが3階の廊下を歩いてちゃ、いけないわけ?」
「いえ、そんなことないですけど」
「なら何でそんなこと聞くのよ。あんたに関係ないでしょ。大体あんた誰なのよ」
美麗奈はかなり挑発的な態度で対応していた。美麗奈の大きなイヤリングが、蛍光灯に反射してギラギラ光っていた。
「わたし、水咲って言います。実はね、あっこれ、ここだけの話ですよ」
水咲と名乗る女は、口元に人差し指を持ってきて、他言はしてはいけないと示した。
「実は今、福実先生の講師室に試験のことで質問があったんで行ったんです。福実先生って知ってます?」
「知ってるよ」
美麗奈はその先生の名を聞いて、すぐに察しがついた。水咲は第一発見者ということだ。
「そしたら福実先生、うつ伏せになって倒れてたんです。わたしびっくりして、先生を揺すったり叩いたりしたら気が付いたみたいで。なんか後頭部を殴られて、気絶してたんですよ」
「ふぅん、そうなの」
「驚きません?」
「別に。先生が殴られるのなんて、不思議でもなんでもないでしょう? 恨まれるようなこと、やったんじゃないの?」
美麗奈は依然、無愛想でいた。いや、今は無愛想を演じていたのだ。
「確かにそうかもしれないですけど、福実先生はそういう理由で殴られたんじゃないんです、多分」
「じゃ何よ」
試験問題を盗み出す為に殴ったって、あんたにわかるの? と言いたいところだが、それは心にしまっておいた。しかし、そうはいっても、何か嫌なものを感じる美麗奈だった。
「これはわたしの考えなんですけど、多分誰かが、試験問題を盗み出すために殴ったんだと思います」
美麗奈の表情は一変した。まるで心の中を読まれたようなので気味が悪かった。
どういうこと? まさかあんた見てたの? いろんな考えが脳裏を交錯した。だが、その答えは聞かなくても、水咲自身が説明を始めた。
「倒れてた先生のそばに、プリントとか散らばってたんです。それは先生が持ってたやつで、殴られたときに散らばったんですね。そしたらその中にね、ケースに入ったフロッピーディスクがあったんです。『前期試験』って書いてありました」
まさか、理由がそれだけとは言わないだろうな。
「先生に聞いたら、今度の試験では紙は使わず、画面上に問題を出して直接キーボードで打つっていうやり方でやるって言ってました。なんかそういうやり方でやるのは、この大学で福実先生が初めてだとか。それでね、すごいですねって言ったら、こういうやり方が当たり前にならなきゃ、この大学はどんどん遅れてくって、お説教受けちゃった」
早く話を進めろよ。うるせーよ、この女。
「それでね、ここでおかしなことがあったんですよ。先生の部屋には何百枚ものフロッピーがあるんですけど、それ全部ね、フロッピーを差し込む方を上に向けてケースに入れてるんです。つまり、逆さに入れてるんです。なんか先生の癖みたいで。先生、ビデオテープをケースにしまうときも、そうするそうです」
そのとき、美麗奈に不安感が訪れた。
「だけどね、試験問題と書かれたフロッピーは、ちゃんと差し込む方を下に向けてケースに入ってたんですよ。おかしいと思いません? だからわたし思ったんです。これは誰かがそのフロッピーを盗んだなって。だから先生を殴ったんだって」
嘘でしょ? その言葉がぴたりと当てはまる。美麗奈には信じられなかった。その動揺を隠す為、引き続き無愛想な態度をとり続けた。
「なに? もしかしてあたしだと思ってんの? なんであたしなの? あたしは知らないよ」
「そんなこと思ってませんよ。わたしね、先生を殴った人物はコンピュータルームで試験問題をコピーして、また講師室に戻ってきてフロッピーを返したと思いました。そんでまた舞い戻って、コピーした問題を印刷してたんじゃないかと考えたんです。だからさっき急いでコンピュータルームに来てみたんだけど……」
「はーん。それであたしに会ったから疑ってんだ」
「別に疑ってないですよ」
はたから見ると、派手な女と派手めな女が向かい合って立っているので、暗い廊下も何故か明るく見えた。
派手な女はにらみつけるように、派手めな女を見つめていた。
「あっそう、じゃもういいでしょ。あたしは知らないんだから、関係ないよ」
再び美麗奈は背を向け、さっさとその場を立ち去ろうとした。だが、また後ろから水咲の声がした。
「もしよかったら、バッグの中、見せてもらえません?」
美麗奈は足を止めて振り返ると、鋭い目付きで叫んだ。
「ふざけんなよ!」
そして、今度こそ水咲の元から立ち去った。
第4話 百点満点の答案~事件編《前編》【完】