決戦の時
そして翌朝九時、慌ててホテルにやって来た裕也は、事情を聴いて驚いた。
「それで、うちの母親に会って、早く離婚して欲しいってお願いしようと思っているの?」
「はい」
「でもね、なかなか難しいかもしれないよ、私も何度も話しているんだけど……」
裕也の話を聞いているうちに南美は、
( この人はあまり賢くない、話していることがよくわかんないし、突然話が変わるし…… )
と思っていた。
「わかった。俺が話してみるよ」裕也が意を決したように言葉にしたが
「いえ、できれば、私自身が話したいんです。専務さんには静観していて欲しいです」南美が事務的に話すと
「えっ、大丈夫?」専務は眉をひそめたが、その後ろに立っていた中山は南美の思いを悟って懸命に笑いをこらえた。
「まっ、南美ちゃん、どうなっても私は可愛い妹ができてうれしいよ」裕也が微笑むと
「えっ、でも離婚したら、専務は父の義理の息子じゃなくなるんでしょ」南美が顔をしかめると
「あっ、そうか…… でも、そんな小さなことはどうでもいいじゃないの、俺もあの人を尊敬しているし…… 」
「は、はあー」
(なーんか、訳わかんない…… でも、性格はいいんだろうな……)
そして、三人がその足で裕也の実家に向かうと、父修一の妻、そして裕也の母親、由紀子がかまえて待っていた。
「初めまして、矢田修一の妻です。 息子から聞いて驚いています」由紀子が挨拶をすると
「初めまして、野木修一の娘、南美と言います」妻と言う言葉にカチンと来た南美は、野木という修一の旧姓を持ち出した。
(感じの悪い子…… )由紀子はそう思ったが平静を装って話し始めた。
「あの人に子供がいたなんて、全然知らなくてごめんなさいね。これまでの償いは十分にさせていただくわよ。それに、親子として付き合ってもらっても、全然かまわない。だけどね、世間体もあるし、この矢田の家を汚したくないの、だからあの人を返してくれないかしら…… 」
小娘相手に、楽な気持で切り出した由紀子だったが
「ちょっと待ってください。どうして、親子として付き合うことをあなたに認めてもらう必要があるんですか、それに『返して欲しい』ってどういうことですかっ、返してもらいたいのはこちらですよ!」
突然、南美がまくし立てると
「ど、どういうことなの……」
息子からは
「義父さんは、母さんと一緒になる前に付き合っていた女性がいて、別れた時に、その人のお腹には子供がいたみたいだ。義父さんも知らなかったんだ」と電話で知らされていただけだったので、由紀子は話が見えず、南美の勢いに引いてしまった。
「母さん…… 」裕也が補足しようとすると
「私に話させて下さい!」南美が語気を強めた。
「わ、わかった」
「だいたい、両親が付き合っていたのに、あなたが二人の仲を裂いたんじゃないの、どうして恋人のいる男を狙ったのよ」
「ちょっ、ちょっと待って…… あなたの言っていることがよく分からないんだけど……」
子どもだと思って安心していただけに、由紀子の動揺は尋常ではなかった。
「どうしてわかんないんですかっ、あなたが父さんに白羽の矢を立てたから、父さんの将来を心配して母さんは身を引いて消えてしまったのよ。あなたは、母さんがいなくなって傷心している父さんの弱みにつけ込んだのよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。私はそんなことは知らないし、聞いたこともない……」由紀子は何が何だか分からなくなってしまった。
「逃げるのっ、卑怯者! 」
「だ、だって、結婚する前の話でしょ、私にわかるはずがない、それに…… 信じられない」
「何が信じられないんですかっ、こうしてもうすぐ十七歳になる修一の実の娘がここにいるじゃないですか、なんで信じられないんですかっ、父さんはあなたのものじゃない、もともとは私たちのものよ。あなたが理不尽なことをしなければ、私たち三人は幸せに暮らしていたはずなのよ、弟か、妹だってできていたかもしれない。ひいお祖母ちゃんがいつも言ってたわよ、『人の道を外れると地獄に落ちる』って、地獄に落ちなさい!」
由紀子が悪の頑強だと思っている南美は、渾身の思いで憎しみの言葉を吐き続けた。
「ちょ、ちょっと、待って……」頭がくらくらし始めた由紀子がソファの背もたれにもたれかかり、顔をしかめて、右手で目を覆うと
「ちょっと時間を置きますか…… 」中山が口を挟んだ。
「母さん、ちょっと休んで整理しよう」裕也が母親を抱えるようにして部屋を出ていくと
「南美ちゃん、ちょっとだけ待ってあげてね」中山が微笑んだ。
「えっ」はっとして我に返った南美は
「言いすぎましたかね……」と眉をひそめた。
「あなたの気持ちからすれば当然だと思うよ、あなたの両親が付き合っていた時に、矢田が入り込まなければ、あなたたちは幸せに暮らしていたんでしょうね、あなたの言葉を聞いて私もどきっとした」
「……」
「でもね、社長、あっ、由紀子さんのことなんだけど……」
「はい、わかります」
「あの人も何も知らなかったのよ。先代の社長に言われるままに結婚しただけなのよ」
「えっ、そうなんですか……」
「あの由紀子さんの前の夫はね…… 」
中山が由紀子と前夫の歴史を話すと南美は驚いた。
「それでも由紀子さんは会社を投げ出すわけにはいかないから、父親である先代に従っただけなのよ。それに先代もあなたのお母さんのことは知らなかったはずよ」
「ええっ、じゃあ、誰が悪いんですか?」
「その答えは難しいかもしれないわね」
「……」南美は俯いてしまった。
「あなたは専務のことを役にたたないって思ったでしょ」
「えっ」
「由紀子さんのことだって、こんな叔母さんには負けないって思ったでしょ」
「そ、そんな……」
「でもね、あの二人は人としては優れた人なのよ。あの親子はね、相手に心をぶつけていくのよ。あなたのように頭が切れるわけじゃないし、口が立つわけでもない。だけどね、自分を知っているから、他人の意見に耳を傾けるし、自分に非があると思えば相手が誰だろうと頭を下げることができる、そういう人たちなのよ」中山が優しく諭すように話すと
「……」南美は怒りをぶつけてしまったことを後悔し始めていた。
「でもね、由紀子さんにしてみれば知らなかったこと、普通で考えれば罪はないと思うのよ。だけど、あの人はね、きっと頭を下げるわよ。何があろうとあなた達を苦しめてしまったことの責任は自分にある。知らなかったでは済ませることができない…… あの人はそう思うはず」
「……」
「だからね、許してあげて欲しいのよ」
「そ、それは…… 父さんを返してくれるんだったら……」
「大丈夫よ、すぐに印をつくわよ」
「でも、あの二人で話して大丈夫なんですか」
「ぷふっ」つい中山が噴出してしまった。
「大丈夫よ、専務は、昨日あなたのお父さんと話しているはず、あなたのお父さんの説明ならちゃんと理解しているはずよ」
「そうなんですか…… でも、あの二人から父さんを取り上げてしまったら……」
「お父さんを取り返しに来たのに、そんな心配をするの?」中山が微笑むと
「中山さんが、専務と結婚しないと駄目ですよ」
「よしてよ、私の方が六歳も年上よ」
「いいじゃないですか、なんか心配ですよ」
「ははは」
一方、別室に移動した由紀子は、裕也から詳細に話を聴いて愕然とした。
「そういうことだったの…… 苦しんだ親子がいたという事実がある以上、知らなかったでは済ませられないわね」冷静になった由紀子が口にすると
「そうだね、あの子が言うように、何もなければ義父さんたちは幸せに暮らしていたんだろうね」
「そうね、別れてあげるべきね」由紀子が微笑むと裕也も微笑み返した。
「それにさ、親父のこともあるしね」
「えっ……」
「会って来たんだ、」
「いつ?」
「うーん、ちょっと前」
「そう…… 」
「義父さんがね、一度は会ってみるべきだって…… 住所を教えてくれたんだ」
「まさか、出て行ったのは、そんなことも関係しているの!」
「義父さんは否定したけど、出て行った時には南美ちゃんたちのことは知らなかったんだからさ、矢田にいる意味が無くなったっていうことだけで出ていくのはおかしいよ。自分はもう必要なくなったって思った時に親父のことも考えたんじゃないのか」
「……」
「義父さんて、そんな人だろ」
「そうね……」
「それで親父はね、再婚したんだけど奥さんが亡くなってしまって、その奥さんの連れ子だった女の子を育てていてさ、その子が南美ちゃんと同じ歳みたいだよ」
「そう、大変なのね」(そんなこと知っているわよ)と思ったがそのことは口にはしなかった。
「だからさ、そろそろ親父を許してやったら…… 義父さんの願いでもあるんじゃないのか」
「ばかなこと言わないで、壊れたグラスがもとに戻るはずないでしょ」
「そうでもないと思うんだけど……」
「もういいわよ、それより話を決着しないと」
そして、二人は南美と中山が待っている部屋に戻ってくると
「南美さん、本当にごめんなさい。息子から全てを聞きました。あなたが怒るのは当然。知らなかったでは済ますことはできない。本当にごめんなさい」由紀子が気持ちよく頭を下げた。
「そ、そんな…… すいません。私も言いすぎました。ごめんなさい」
南美も頭を下げられると弱く、せめている時のような勢いは無くなってしまう。さらに中山から諭されていたこともあって、俯いてしまった。
「いいえ、あなたの言う通りよ、あの人とは別れます」由紀子はそう言うと、南美の前で離婚届にサインして、
「月曜日に区役所に提出します。本当にごめんなさい。それから、あなた達が困らないだけのものは修一さんに用意しますから……」由紀子が重ねて頭を下げると
「そ、そんな…… でも、ありがとうございます。社長さんて、本当はいい人だったんですね」
南美が微笑むと
「えっ……」由紀子は呆気にとられた。
「だけどさ、南美ちゃんね、条件があるんだ」
「えっ……」南美は一瞬目を吊り上げたが
「義父さんが出て行ってもね、南美ちゃんは私の妹だよ」微笑んだ裕也に
「えっ、でも……」南美は、「何の意味があるのよ」と思いながら困惑した。
「南美ちゃん、いいじゃないの、損はないわよ。いくらでも持っているんだから、何でも買ってくれるわよ、車だって買ってくれるわよ」
「ええっ、そ、そうなんですか……」
「だからさ、時々東京に出て来て、好きなもの買ってもらえばいいのよ」
「あっ、はい、わかりました」
「ははは」
「それからね、もう一つあるんだ」
「えっ、まだあるんですか」南美は眉をひそめたが
「南美ちゃんはどこの大学を目指しているの?」
「えっ、目指しているわけじゃないけど、東大へ行こうかと……」
「と、東大!」
「……」
「そうか、やっぱり義父さんの血を継いでいるんだ、頭がいいんだね」
「……」
「だけど東大だったら、ここから通えるからさ、入学したらここに住んでよ。学費も生活費もすべて面倒見させてよ」
「ええっ、でも…… 」
「さっきまでの勢いはどうしたのさ、『それくらい当たり前でしょ』って言うのかと思ってたのに……」
「そ、それは、ちょっと両親にも相談してからに……」
「いいよ、まあ、うちにはそのくらいの思いがあるからさ、そのことは頭に入れておいて」
「は、はい、有難うございます」
中山と二人で矢田の家を後にした南美は、東京駅に向かう車の中で、
「中山さん、私、あんな家に住むの嫌ですよ、なんか、かたくるしそうで……」眉をひそめた。
「いいわよ、断ればいいわよ。でもね、専務はあなたのお父さんが大好きなのよ。尊敬しているのよ、だからね、親が別れても、自分はいつまでも息子でいたいのよ」
「そ、そうなんですか…… 」
「だからさ、どこかマンションに住んで、時々顔出してあげたら…… いろんなところにマンションを持っているのよ」
「す、すごいですね」
「お父さん名義のマンションもあったはずよ」
「ええっー、」
「まっ、あなたのお父さんは矢田のものだって思っているかもしれないけどね」
南美は、東京駅で新幹線の回数券を渡され、
「お兄さんからよ、いつでも遊びに来てって……」
「ええっー、」
「それからね、あなたを拘束した三〇時間分、一時間二〇〇〇円で6万円ね」
「ちょ、ちょっと待ってください、何考えてんですか!」
「いいじゃないの、もらっておきなさいよ、専務も楽しんでいるのよ。『小遣いにして』って、お金出したって、あなたは断わるでしょ、冗談抜きにして車でも買ってあげたいくらいの勢いだと思うわよ」
「はあー」
南美は初めて接した人種に疲れてしまい、帰りの新幹線は眠ったままだった。
完