六章 燃え盛る狂犬 VS川上沙耶
☆☆☆ ☆☆☆
風を切る。
左腕のワイヤーが目の前に飛翔する敵に向かって真っすぐに伸び、その腕に巻き付く。
ワイヤーの縮みが、肺を圧迫し白い息をその場に置き去りにしていく。
横から別の敵がレーザーを放つが、照準が速さに追いついていない。
(っ!)
前方に熱が膨らむのを察知した私は、腕にあったワイヤーを外して今度は足にかけ、下に回り込もうとする。
先程までいた場所を光線が通過し熱気が頬を焦がす。
そのまま足元から背中を通って肩に上り、静かに敵の首を斬る。
喉が裂かれた敵は、断末魔さえ上げられずに泡を吹き死に絶えていく。
瞬間視界の端に、きらり、と光る物が見えて。
息をする暇も無く、また空中に躍り出る。
灰になって消えゆく死体を利用して射線をきる。
容赦ないレーザーが、死体を貫き空の彼方に消えていく。
間一髪攻撃を躱した私は空中を飛び回るヘリの一機にワイヤーをつける。
乗り込みはしなかった。
落下の勢いを殺さない様に、振り子の要領で。
一機、二機、三機! と即座に飛び移り、急速に敵に近づく。
敵は私を捉え切れていない。的外れな照準で撃ち込まれる攻撃を難なく躱し、正面から敵に飛びかかる。
「はあっ!」
気合を発してナイフを振り下ろす。敵がまた一体、落ちる。
(後ろ!)
背後から殺気を感じて振り返る。
目前にまで迫ったキメラがそこにいた。
瞬時に幾つもの対応手段が頭の中を駆け巡り、最善の策を見つけ出す。
私が取った策は──……『何もしない』。
キメラが剣を振り下ろす瞬間。
遠方より飛来した矢が、その頭を貫いた。
標的の死を確認した私はその場から背を向けて、傍を飛ぶヘリに飛び乗った。
ガラス越しに操縦席のヨシダさんと目が合う。
彼が親指を立てて、笑顔をつくる。
私も微笑みを返した。
(ふう……)
束の間の休息。
すぐにまた敵は、現れるだろう。
眼下に広がる故郷からは、所々火の手が上がっている。
何とか抑えているとはいえ、圧倒的に手が足りていない。
ヨシダさん達、パイロットの方々も死力を尽くして戦っているとはいえ、戦力の差は甚大だ。
(あの火の下で……何人が焼け死んだんだろう)
漠然と浮かぶその疑問を払う様に首を振る。
あそこは、私の戦場じゃない。
地上では志保が避難指示を出している筈だ。私がそれを心配するのは傲慢だろう。
「……うん?」
ふとある音が聞こえて思考を止め、顔を上げる。
キイン……と耳鳴りに似たジェット機を彷彿とさせる音で、何かが高速で動いているのだと私は推察した。
音は徐々にこちらに近づいて来ている。
近い。
「────あれはっ!?」
西の空から高速で接近してくる物体があった。
初めは豆粒の様な大きさだったがすぐにはっきりと、その姿が分かった。
それは人だった。
手や足から炎を噴出して、空を飛んでいるのだ。
赤く短い髪のその人物。燃え盛る腕が勢いよく前に突き出される。
「逃げてっ!」
私が叫ぶのと同時に、放たれた火球が前方に飛ぶヘリ群を焼く。
無情にも直撃した二機のヘリが、コントロールを失い回転しながら墜落していく。
その一部始終を私の瞳は、はっきりと捉えていた。
二機はそのまま巨大な爆音を残して空中分解してしまう。
バラバラに散らばって地上に降っていく金属片。
(パイロットの脱出は)
間に合わなかった、だろう。
「アッハハハハ! あーすっきりした! ハエがブンブン飛び回っててよお……鬱陶しかったんだ!」
守れなかった。守らなきゃいけなかったのに。
こんなにあっさりと私の目の前で、人が死んでいく。
「川上さん、ですよね?」
声が少し震えていたかもしれない。
「あん? てめぇは、ギルドライバー……?」
川上さんは私の姿を認めるとすぐに、「やったぜ!」と嬉しそうに大きくガッツポーズをした。
「よーしよし、ちゃんと杠葉月じゃねえな……! これでやっとまともな戦いが出来そうだ!」
「……黒森時雨と言います」
「そりゃご丁寧なこって。俺の名前は知ってるって事で良いんだよなぁ?」
はい、と肯定して深く息を吸う。
彼女には一つだけ、どうしても言っておきたい事があった。
「私、貴方が許せません。簡単に人を殺める貴方が」
「……ハハッ!」
私の言葉を、川上さんは鼻で笑った。
「それは今の攻撃の事言ってんのか? 馬鹿かよお前。俺ぁ敵だぞ? 敵に殺されて文句言ってんじゃねえよ! それとも何だ、お前らみんな戦場にピクニックでもしに来たのか? あァ?」
「葉月に聞きました。貴方が京都で何をしたのか。志保を傷つけた事とか、京都の街を焼いた事とか、全部。志保には戦う覚悟があった……でも。貴方の手についた血は、戦う人のだけじゃない」
「所詮赤の他人だろーが! 大事な奴でも死んだか? 友人!? 恋人!? 家族!? どうせ違うんだろ?」
「はい、私は違います」
「ならそれは真っ赤な偽善だろうがよッ! てめーの良い子ちゃんアピールに俺を巻き込むんじゃねえ!」
確かに『私は』違う……でも、殺されたあの人達にも家族はいた。死を悼む人がいた。
残された人が何を感じて、どう思うのか。
「その嘆きが……貴方には分からないんですか……!」
胸が張り裂けそうな悲しみも、周りの優しさから感じる痛みも、乾いた涙が映し出す現実も。
大切な友人でさえ遠ざけてしまう怒りも、家の広さが滲みだす孤独も。
初めは写真を見る事さえ辛くて、家具とか服とか無駄に整った調理器具でさえ顔が浮かんで嫌になって、全部捨ててしまいたくて、それでも捨てられなくて。
毎日天井の染みを数えては、気付かない間に眠っていた。
「くだらねえ」
「……っ!」
「分かるかよッそんなもん! 誰かが死んで涙を流すなんざ弱え奴だけだ! 強え奴は群れねえから、そもそも泣く相手がいねえ。つまり負け犬の理屈なんだよそれは! まあ別にいいぜ、好きなだけ泣いて俺を恨んで吠えればいい。俺は明日も元気に生きて、また誰かを殺すがなッ! ハハハハハ!」
「そうやって貴方が命を弄ぶ度に、悲しみが広がっていく。だから私が……ここで貴方を殺して、悲しみを断つ!」
「出来んのかよ、お前にィ!」
熱気が高まるのを感じて、私は激しく『地面』────ヘリコプターの側面を蹴って空中に身を投げる。
ヘリが蹴られた反動で大きく後ろに後退する。間髪入れずに私とヘリの間を人一人分はある巨大な火球が、通り抜けた。
私はすぐにワイヤーを伸ばし、敵の方向に飛ぶ。
敵と私、リーチの差は一目瞭然である。
下がっても負けるだけだ。何としてでも接近戦に持ち込まなければ。
「力比べか、上等だぁ! 受けて立つぜぇえええ!」
川上さんの右手に炎が集中していく。私もナイフを強く握りしめ力を込めた。
「あっはははは────死ねやあああああ!!」
「っ!!」
空中で互いの獲物がぶつかり合う。
火花が散る。
燃え盛る黒い波動が蜃気楼の様に空間を歪める。
(押される……!)
「残念だが、力は俺が上みたいだなあ!?」
確かに彼女の言う通り、単純な力比べでは私が劣る様だ。
でも勝負はそう、単純じゃない。
ナイフが徐々に押し返されていく中、私は冷静にタイミングを見計らっていた。
表面上はあくまで真剣に。この勝負に全てを懸けている様に見せかける。
歯を食いしばって、悔し気に。敵に優勢であると思わせる。
この状況を好機と見たのか。敵が最後の一押しに、左腕から後方に火を放った。
────仕掛け時だ。
ふっ……と全身に入れた力を一気に抜く。
押し出す敵の力を利用して身を翻し攻撃を躱す。
「何ィ!?」
(貰った!)
即座にナイフを逆手に持ち替える。
そのまま首元に向かって刃を突き立て────。
「舐めるなァッ!」
「なっ!?」
網膜を焼き尽くさんばかりに溢れる光で視界が白く染まる。
何が起きたのか混乱した頭で考える。
全身に感じる熱と爆風、そして目を瞑っていてなおリフレインする赤熱した川上さんの残像。
ようやく理解した。恐らく爆発が起きて、私は吹き飛ばされたのだ。
「炎が手足からしか出ないって思ったかマヌケが! 俺の全身は爆弾みたいなもんだぜ!」
「く……!」
ここで仕留め損なったのは、大変な痛手だった。
あれは何度も通用する手じゃない。おまけにこうして遠くに飛ばされてしまった。
空も満足に飛べない私がもう一度彼女に接近し、そして致命傷を与える方法は……。
(駄目……かなり厳しい)
勝ち目があるとすれば。
(一つだけ)
浮かぶことがある。
(確証はない)
だが、信じるしかない。
「ぼんやりしてていいのかい、黒森さんよぉ!」
炎と共に高速で追撃する敵を前に、空中で自由の利かない私に出来る事は守りを固めるだけだった。
「ほらどうした!? こっちだ! オラ、次は後ろ! ハハハハッ! 守れ、守れ!」
遊ばれている事は明白だった。
四方八方に飛び回りながら、私がぎりぎりでガード出来る様に攻撃を放ってくる。
「これは防げるかぁ!?」
「うぅっあ!?」
飛び交う大量の火球を捌ききれず、遂に被弾してしまう。
左肩が焼ける。熱さに思わず声が出る。
私が叫ぶのを聞いて、嬉しそうに川上さんは笑った。
「ハハハ……ほんっと馬鹿だよなぁお前! 何でワイヤーで逃げねえんだ?」
「………………」
「────当ててやろうか? 他の奴を巻き込むのが嫌なんだろ?」
「!」
「気付かれないとでも思ったかぁ? 動きがバレバレなんだよ。てめぇみたいな『お人好し』は本当分かりやすくて最高だぜ!」
図星だった。
ギルドライバーと魔王軍幹部の戦いに、ヨシダさん達を巻き込みたくはなかったのだ。
キメラならいざ知らず、魔王軍幹部を相手に彼らを守り切れる自信が無かった。
「……そうだ! 良い事思いついたぜ」
唐突に彼女は私に背を向けた。
脳裏を嫌な予感が駆け巡る。
全身を包む悪寒が告げている。この予感は、的中すると。
「待って! 止めて────」
「ははは……オラァ!」
ミサイルと見紛う程に大きな炎の塊が、風さえ焦がして翔けていく。
燃え上がる炎が空を朱く染める。
堕ちていく。一機、又一機と。人が、死んでいく。
「ッ! 貴方は……貴方はぁあああああああああ!!」
無我夢中で手を伸ばす。
今すぐにその凶行を止めたくて。
ワイヤーを彼女の服に引っかける。
が、彼女はそれを嘲笑い。
燃える炎があっさりと、唯一の移動手段であるワイヤーを断ち切る。
「悔しいかぁ? 悔しいよなぁ? あはは! ほらほら、死ぬぞぉ? みーんな俺が殺してや────ッ!?」
川上沙耶の高笑いは、巻き上がる爆発によってそこで止まる。
左側面から撃ち込まれた砲撃が彼女を真正面から捉えていた。
見れば、一機。
無謀ともとれる特攻を懸ける機体の姿があった。
青く走った流星は、指揮官機用のカラーリング。何かを叫んでいるパイロットは。
「ヨシダさん、駄目です! こっちに来ちゃ駄目ええええ!」
「チッ……! ムカつくハエだぜ……こんな攻撃で、俺がやれるかよぉ!」
炎が川上さんの腕に集合していく。熱気がここまで伝わってきた。
狼の咆哮に似た爆炎がうねり、突進するヘリを荒々しく包み込む。
熱風が吹き荒れて、私の身体を揺らす。余りの強風に、腕を顔の前にやり目を細めた。
「ヨシダさん……!」
あれほどの爆発である。彼の生存は絶望的だろう。
不幸を想像した私の目に、ふと深緑の風船が見えた。
いや、風船ではない。
(あれは……パラシュート!)
ほっと胸を撫で下ろす。激突の寸前、ヨシダさんは脱出していたのだ。
良かった、と安堵する一方で、悪寒は止まない。
いや、より一層強くなっていく。
(そんな……まさか)
目線を変える。
川上さんは、こちらを見ていた。
そして、ニヤリ、と笑った。
今まで生きてきた中で、最も邪悪な笑いだった。
「ヨシダさ────!」
近い。こんなに近いのに。
目に映る距離なのに!
届かない! 手を伸ばしても!
燃える……燃える、燃える!
炎が、彼を包み込んでいく。聞くに堪えない一人の男の絶叫が、耳をつんざく。
鼓膜が震えて、耳鳴りがする。酸素が薄くて息が吸えない。
視界がぼやける。
幻覚と、幻聴が絶え間なく襲い来る。
『いやぁっ! おばさん! やめてよっやだよぉ! だめ……死なないでよぉ────』
ぼんやりと立ち尽くす私。
『男は「死ぬつもりで、一人でも多く道連れにしようとした。誰でもよかった。確実に死ぬように何度も刺した」等と供述しており────』
無機質なニュース番組。
『お誕生日おめでとう時雨! 今日はね……なんと! ロウソク十本だぞ! ははは、上手に消せるかなー?』
笑ってるお父さんとお母さんと。
『じゃーん! お誕生日おめでとう、時雨! えへへ、サプライズなのでした! ビックリした!? ケーキもあるよっ! 流石に十五本もロウソクは無いけどね……』
葉月。
『ねー妖精、聞いてもいい?』
そして唐突に。
『何だい?』
思い出した。
『いっつも疑問に思ってたんだけどさ。どーやって飛んでる訳? 羽は関係ないんだよね?』
『それは触れないお約束ってモノだよ、ハヅキ』
学校からの帰り道。
葉月が浮遊する妖精さんに、疑問を投げかける。
『えー……? そうは言ったってさあ、時雨だって気になるよね? ね?』
『ふふ、そうだね』
『ほらー! 二対一!』
得意そうな葉月に、妖精さんは少し困った顔を見せる。
『うーん、そう言われても……特別な事をしてる訳じゃないんだよ。これは魔力コントロールの一種なんだ』
『やっぱし魔力……でもコントロール? 魔法じゃないの?』
うん、と妖精さんが頷く。
『葉月は前に“アサルト・フォーム”になった時、天井にぶら下がっていたよね?』
『えっと……あー……うん……そんな事あったような……?』
曖昧な返事に妖精さんは少し呆れた様子で言葉を続ける。
『あれも魔力コントロールの一種で、魔法……つまり特別な技量が必要って訳じゃない。ボクにとって空を飛ぶのは呼吸をするのと同じ様なモノで……ハヅキ達だって呼吸の仕方や、歩き方を詳しく説明出来ないだろう? だからボクも、聞かれたって上手く答えられないんだ』
『ま、待って! じゃあさ、じゃあさ! 私達も空飛べる訳!?』
『理論上は……感覚さえ分かれば可能、かな。但し身体の小さなボクと違って、ハヅキ達が飛ぶにはそれ相応の魔力が必要になるから……』
『なるから?』
『今はちょっとムリがある、と思うけど』
『そ、そんなぁ!? うう……空、飛んでみたかったなあ……』
『大丈夫だよ、葉月。空が飛びたいなら今度、私がワイヤーで連れてってあげるから』
『丁重にお断りさせて頂きます』
────────────。
────────。
────。
「さあて……そろそろ終わりにしようや、ギルドライバー」
川上さんが、こちらに向き直る。
重力に従ってただただ自由落下する私、片や相手は炎によって推進力を生み出し空を飛べる敵。
ワイヤーは燃やされて通用しない。対抗する手段はゼロ。
私は処刑の時を待つだけの、哀れな罪人に過ぎないのか。
(それでも)
私の背中に羽は無い。大空を飛ぶなんて出来やしない。
奇跡なんて、そう簡単に起こらない。
(それでも!)
全身の感覚を研ぎ澄ます。
自分の内から、魂から溢れる力を信じるしかない。
イメージする。
羽なんか無くったって。飛ぶ事なんて、出来なくたって。
奇跡なんて起こらなくたって!
ほんの一瞬でいいから。
「これで……ジ・エンドだァっ!!」
(浮け!)
業火に包まれた敵が、こちらへと突っ込んでくる。
────私は。
酷く不格好で、不器用で、よれよれと、とても飛行とは言い難い何かだが。
その一瞬、確かに……浮いた。
「な……!?」
私が攻撃を避けた事に、彼女は驚きを隠せていない様子だった。
その頭が、正常な判断能力を失っている今がチャンスだろう。
すかさずワイヤーを絡ませて、距離を詰める。
「しまっ────!」
「はああああっ!」
ナイフを胸元に突き立てる。
皮を斬り、肉に達する所で止まった。
刃が、凄まじい魔力で阻まれている。
「舐め……るなぁ……!」
鬼の形相を見せる彼女に、戦いの終わりを悟った。
私はタイミングを見計らって……空中にナイフを投げ捨てる。
「は……!?」
混乱から力が緩んだ隙をついて、その身体を抱き締める。
もう、絶対に逃がさない様に。
「てめえ……何をしてる!?」
(方角は合ってる……今だ!)
「撃てええええええええ美春ぅううううううう!」
風を切る。
一片の迷いも無く。
飛来した音速の矢が、川上沙耶の胸を貫いた。
不思議と着弾するタイミングを理解した私は、身を捩り串刺しになるのを回避する。
「く……そ……がぁ……! 糞がアアアアアアア!!」
そのまま地上へと落ちていく私の身体から光が溢れ出す。
変身が解けるサインだった。魔力を使いすぎたのかもしれない。
落下するのと、変身が解除されるのと、一体どっちが早いだろう?
落ちていく間、そんな事を延々と計算し続けていた。




