七章 もう一人の自分 VSシャドウ その1
…… 一方その頃 ……
もう六月とは言え、雨上がりの夜は少し肌寒い。
まあ、この風のせいもあるかもしれない。
ダンジョンの生み出す、強風が、辺りに吹き荒れている。
空では、うっすらと月が見え隠れしていた。
地上の風が、空まで影響を及ぼしているのだろうか。
「ここか……」
ワークベンダーの示す反応を手掛かりに進んでいた私は、ある建物の前で立ち止まる。
そこは、どこにでもある様な普通のビジネスホテル。
多分、宿泊客の誰かが、ダンジョンを作った犯人だろう。
ドアを開けると、からん、と鈴の音がする。
「……いらっしゃいませー」
びくっと思わず身体が跳ねる。
しまった。いや、よく考えればそれはそうだ。ここはビジネスホテル、人がいるに決まってる。
「……お客様? 宿泊でしょうか?」
「え……えと……」
受付に佇む店員のオッサンと目が合い、頭が真っ白になる。
ま……まずい。何もいい言い訳が浮かんでこない。
と、とりあえず、しゅ、宿泊しますって言ってみる? で、でもホテルって幾らぐらいするんだろ……? 私お金なんてそんなに持ってないし……! に、二千円で足りるかなあ?
「すいませんが、お客様。予約はされてますか?」
「え?」
「いやあ、実は丁度先程満室になってしまいまして……すみませんが予約が無いとなると……」
「あ、う……。そ、ですか……」
「…………失礼ですけど、どこかで会った事、あります?」
「へ?」
「いや、何か見覚えがある様な……」
「し、知りません、けど」
少なくとも会った事は無い筈。
私にオッサンの知り合いはいないし。
「いや、絶対に見た事が…………あ! ああ! そうだ、アンタあれだろ!? テレビでやってた『奇跡の子』! 杠葉月だ!」
「……あ、と」
急に馴れ馴れしいぞ、このオッサン。
「って事は、あれか。取材を受けに来たんだろ?」
「……う?」
「ここはマスコミも一杯泊まってるしなあ」
「────あ、そ、それ! ですっ! しゅ、取材! 受けに来た……です」
「やっぱりそうか! じゃあ、頑張れよ!」
「ど、ども……」
……よし。全て私の完璧な作戦通りだ。
私の天才的演技力で、オッサンはすっかり騙されたらしい。
何の疑問も持たずに私を中に入れてくれた。
この様子なら、私と違って演技力の無い時雨と菫さんは潜入できずにダンジョンの攻略を諦めたかもしれない。
まあ別に、一人でも私は一向に構わない。
どーせ、勝っても負けても傷つくんだし。
なら二人がいない方が、傷つく人数が減って丁度いい。
階段を上って、四階へ。
四〇三号室、と書いてある部屋の前で、動きを止める。
ここだ。ここが、一番反応が強い。
意を決して、ドアノブを捻る。
スルッと驚く程簡単にドアが開いた。
「いた……!」
部屋の壁際、設置された横長の机に突っ伏す様に、一人の男性が気絶している。
どうも、何かの作業中に気絶した様だ。
開きっぱなしのパソコンには、何か文字が書いてある。
折角なので、拝見してみる。私がここで死んだら、これがこの人の遺書になるかもしれないし。
「………………ああ。そっか」
この人もなんだ。
この人も、私に狂わされたんだ。
おばさんと同じ様に。
私がいなければ、この人は普通に生きていたのに。
私がいたから狂った。ぜーんぶ、私のせい。私が狂ってるから──。
「────違うっ! 狂ってるのは私じゃないっ! 私が狂っているんじゃない! 狂っているのは私じゃなくて、この世界の────……うっ」
急激に込み上げる吐き気に口元を抑える。
胃がぐるぐるとお腹の中をのたうち回って、ひっくり返りそう。
私はただ、しゃがみ込んでジッと耐えた。
「もういや……もう……」
違う……別に、泣いてない。
私に泣く資格なんてない。
私は泣いてはいけない。泣いてる私は普通じゃない。だから泣かないし、泣いてない。
「……行かなきゃ」
私に出来る事は戦う事だけ。
誰かの為に戦って、傷ついて、死ねばいいんだ。
おばさんと同じ様に。
そうしないと、いけないんだ。
そうじゃないと、おばさんが私を助けた意味が無くなってしまう。
そうじゃないと、私が生きてる意味が無くなってしまう。
そうじゃないと……時雨に合わす顔が、無くなってしまう。
「“冒険<ギルドライブ>”……」
男の人にパスをかざすと同時に、視界が揺れる。
身体が、空気に溶けて、混ざっていく。
この感覚は、何度味わっても慣れそうにない。
…… 冒険<ギルドライブ> ……
『有名雑誌の記者のダンジョン』
「何ここ……色が無い……」
ダンジョンに来た私はまずその事に驚いた。その場所は辺り一面灰色に包まれていて、何処にも色が付いていない。
空間としては、美術館に似ている。
脇に置かれた観葉植物に、案内板、美術品を目立たせる地面に設置された照明。
全て灰色だ。
壁には灰色の額縁に入れられた、絵が飾られている……のだけど。
「ボロボロだ……」
何故か絵は、どれもズタズタに引き裂かれていて見ることが出来なかった。
一体、何が飾られていたのだろう。ちょっと残念な気もする。
まあ、このままここにいても仕方がない。
私は黙々と奥に進む。
「……?」
進むほど、段々と違和感を覚える。
灰色に染まったこの世界では少し分かりづらいけれど、床や壁がどうもあちこち傷ついている気がする。
奥に進む程傷は顕著になって、ハッキリと床が壊れたり壁が抉れたりしている状態が分かる。
「モンスターが暴れてる……?」
胸がざわつく。
嫌な予感が、脳裏をよぎった。
自然と歩くスピードが速くなっていく。
何かに追い立てられる様に。
床に傷。
壁に傷。
私は、もう居ても立っても居られなくて、全力で駆けだしていた。
前方に大きな両開きのドアが見える。
私は勢いのままにドアを開けて、部屋の中になだれ込んだ。
「──時雨っ! いるの!?」
叫び声は反響して、静寂に吸い込まれた。
そこは他よりも少し広い通路になっていて、天井のステンドグラスがどこか荘厳な雰囲気を漂わせている。
「時雨ならいないよ」
「っ!? 誰!?」
かつかつと、靴の音を響かせながら、通路の奥から人影が顔を出す。
「…………え?」
「あははっ……!」
「…………わた……し……?」
そこにいたのは、紛れもなく、私自身だった。
「遅かったね、葉月。時雨ならもういない。死んじゃったよ。みーんな死んだ」
「な、何言って──!」
「あそこを見てよ」
もう一人の『私』が、壁を指さす。
壁には、先程までと同じ様に、灰色の額縁。
唯一違うのは、飾られている絵。
他の絵は、ずたずたに引き裂かれていたのに、この絵だけは美しく色彩を放っている。
そこに描かれていたのは──胸に大きなナイフが突き刺さり、絶命している時雨の姿だった。
その顔は、まるで、あの時の、おばさんの様に、苦痛に満ち溢れている。
「しゅ、趣味の悪い絵だね……! こ、これがなんだって言うのさっ!」
「だから、死んだの。私が殺して、そこに閉じ込めたの」
「そ、そんな嘘に騙されるとでも──」
「ワークベンダーを見てみなよ」
言われるがままに、ワークベンダーに視線を移す。
気が動転していて気付かなかったが、そこにはいつもの様に、モンスターの情報が記載されていた。
『種族:“シャドウ” ユニーク:“絶望のフラクタル” 絶望が形を成した、と言われる。決まった形が無く、相対する人物の心を読み最も苦しむ姿をとる。知性がありその性格は残忍。人の苦しむ瞬間を絵に変えて保管する趣味を持つ』
人の苦しむ瞬間を絵に変えて保管する趣味を持つ……?
じゃあ、あの絵は本物の時雨?
でも、あれじゃあ本当に、死んで……。
「うそ……だ」
「理解できた?」
「うそ。うそだ。うそだよ……そ、そんな簡単に、時雨が死ぬ訳がないっ! あ、あいつはバカだけど強いし、頭も良いし! それに、誰よりも優しくて……!」
「そっか。残念だねー。あははっ!」
「お前……!」
「可愛かったよーあいつ。私の事、『お母さんっ!』って必死に呼んじゃってっ!」
ゲラゲラと、『私』が目の前で笑っている。
「最初は動揺しながらも頑張って戦ってたんだよ? でも私がちょっと、やめて時雨ー! って名前呼んであげたら泣き出しちゃってさ! 敵の前だって言うのに、無防備に動き止めちゃってバッカみたい!」
普通ってなんだっけ?
笑う事だっけ? 笑わない事だっけ?
目の前で笑ってる『私』は普通の私?
……知るか、そんな事。
「そのままナイフで心臓を一突き! あの顔見せたかったなあ……私の腕の中で少しづつ冷たくなって息絶えていく所……!」
「黙れ」
──殺す。
『スキャン完了! 変身<ジョブチェンジ>! “ユウシャ”!』
「お前だけは、絶対に許さない。私が、殺してやるっ!」
「あははっ! あっははは! あっはっはっは! 出来るの? 貴方にぃ? 死にたい癖に死ぬのが怖くて震えてる様な奴にぃ?」
「うるさいっ!」
もう、こんな奴の声なんて聞きたくない。
今すぐに叩き斬ってやる!
「うあああああああ!!」
「そんな大振り当たるわけないじゃん?」
「このっ! 避けるなっ!」
「結局さ。真剣に戦ってないんだよ、最初から」
「うるさいっ口を開くなっ!」
「おばさんが死んだの、自分のせいだと思ったんだよね。だからその償いに自暴自棄で戦って、傷ついて、『ああ私、今日も頑張ったなあ』って傷ついた事が嬉しくなって」
「黙れっ! 黙れっ!」
「いつか誰かをかばって死ねればなー、なんて。あっさい考え持ってて。でも実際に取り返しがつかない位、ぼろぼろに傷ついて、初めて怖くなったんだよね?」
「うるさいっ! 黙って戦え! 戦えっ! 私と!」
「あはははっ本当にバカ! どこまでも馬鹿! 情けないっ! みじめなッ! クズっ! お前が殺したんだっ! お前のその馬鹿な考えがっ! 皆を傷つけたっ!」
「やめろ……! もう、やめて……」
「どうした? 笑えよ? 笑わなきゃいけないんだろ? 泣く事が許されると思ってんの?」
「違う……私は……泣いてない……」
「ハッキリ言ってやるよ。『お前は狂ってる』」
「違うっ狂ってなんてない……狂ってるのは私じゃなくて……」
狂ってるのはこの世界の……。
違う。駄目だ。その考えは、持ってはいけない。
それを認めちゃいけない。
「何でそこで否定するの? 認めちゃいなよ。私は悪くありませんって。肯定されたいんでしょ? 私が代わりに言ってあげようか?」
「私は……!」
「葉月……葉月……!」
「え?」
確かに聞こえた、私を呼ぶ声。
聞き覚えのある声。何があろうとも絶対に忘れる事のない声。
私の大好きな、声。
「葉月、騙されちゃ、駄目……!」
「時雨っ!」
飾られたあの時雨の絵から、微かに声がする。
「私は死んでない。私も、菫も妖精さんも無事。確かにあいつに負けて、ここに閉じ込められてしまったけど……でも、生きてる」
「生きてる……よかった……!」
「葉月……よく聞いて……! 私、貴方に伝えたい事が──!」
背後で何かが動く気配があった。
背中に感じる殺気。
咄嗟に、横に転がる。
私がさっきまでいた場所を過ぎ去る、刃の残影。
振り返れば、もう一人の『私』が、私と同じ剣を持って笑っていた。
「あはは……戦いたいんでしょ? 戦ってあげるよ。今度こそ望み通り────殺してあげるね?」
「……ふっざけんなっ!」
質の悪い冗談ばっかり言いやがって……!
殺してやるって? 上等だよ!
やってやろーじゃんか!




