六章 灰色の世界
…… 暫くして ……
『東白百合、とあるビジネスホテル その前』
「反応はここからだね」
妖精さんがそう言って、目の前の建物を指さした。
そこは何処にでもあるようなごく普通のビジネスホテルで、駐車場の込み具合から中々に多くの人が宿泊しているであろう事が推測できる。
「あはは……初めて見たけど、すっごいですねーダンジョンって! 吹き飛ばされちゃいそう……!」
ダンジョンはその発生の際、黒い煙と共に強風を発生させる。
その異様な光景は遠くからでもすぐに見分けがつく程だが、この黒煙はどうやら普通の人には見えないらしい。
なので私達の様にギルドライバーでもない限りは、誰も異常に気付かない。
まあ黒煙は特に実害も無く、強風も被害が出る程強くはないので、問題はそれほどないだろう。
むしろ変に騒ぎになるよりはやりやすいかもしれない。
「……とりあえず、中に入ろう」
「あ、先輩ちょっと待って──!」
私は入り口のドアを引いて、中に入る。
取り付けられている鈴が、カラカラと小気味よく鳴った。
「……いらっしゃいませー」
鈴の音に受付のおじさんが反応する。
おじさんは、私と菫の二人が入ってきたのを見て、少し訝しんだ。二人とも、若すぎるからだろう。
菫が不安そうな目でこちらを見てくる。その視線は、
『せ、先輩どうするんですか……?』
とでも言いたげだ。私も彼女の方を向いて、
『私に任せて』
と目で合図を出す。
「……お客様? 宿泊、ですか?」
「はい。二名、一泊でお願いします」
堂々と答える。
「予約はされてますか?」
「いいえ」
「では、こちらの宿帳にお客様のお名前などをお書き下さいますか」
「分かりました」
おじさんは少し怪しみつつも、直接は言ってこない様だ。
私は受付でボールペンを借りて手早く宿帳を記入し提出する。
「東京の大学生さんですか」
「ええ、そうです」
「白百合には、何を?」
「旅行です。でも、どの宿も一杯で」
「そうですか、まあ今は時期が悪かったですねえ。ほら最近ニュースでよくやってるでしょ『奇跡の子』!」
おじさんは、急に馴れ馴れしくなった。
私はぎこちない愛想笑いを浮かべて、「聞いた事はあります」と返事をする。
「どうもあれ、白百合にいるらしくてねえ……ウチもマスコミさんが一杯借りていて、後少しで満室になる所でしたよ」
「……それはよかったですね」
「いやーこのまま『奇跡の子』ブームが続いてくれれば、暫くは安泰でしょうなあ……。あの杠って娘、ニュースで見たけど、余程恥ずかしがりやなのか、ずっと俯いてるし、折角治ったんだからもっと嬉しそうに取材ぐらい受けたって──」
「あの、部屋何号室でしょうか?」
少しだけ、怒気が籠ってしまったかもしれない。
おじさんは、ちょっと驚いた様子で
「──あ、ああすみません。四〇五号室です。四階の一番、奥の部屋になります」
と、鍵を差し出した。
「……どうも。行こう、菫」
「あ、はい……」
階段を上がる。
菫は私の後ろを恐る恐るついて来る。
「あ、あの先輩……?」
三階に辿り着いた辺りで、おずおずと声をかけてきた。
「……どうしたの?」
「部屋、借りちゃいましたけど……どうするんですか?」
「モンスターを討伐して、今日はここに泊まろう」
「で、ですよねえ……どーしよ、せめて替えの下着とか持ってくればよかった……」
「どうしても欲しいなら、後で家から取ってきて貸してあげるけど……?」
「ええ!? い、いやいや、流石に下着を借りるのはちょ、ちょっと、恥ずかしいっていうか……!」
「そうなの?」
「そーですよ! ていうか、先輩の方は平気なんですか? わ、私が先輩の、その……ブラとか、ぱ、パン……き、着ても」
「私は平気。よく葉月と交換っこしてたし」
「……それ、いつの話ですか?」
「五歳くらいの時かな」
「やっぱり子供の頃じゃないですかっ!」
「その頃はよくしてたけど……小学校五年生位の時かな? 急に葉月が『そういうのはよそう』って言いだして……」
「よかった……葉月先輩は普通だった……普通に思春期を迎えてた……」
「私はなんだか寂しかったな……葉月が傍にいるみたいで好きだったのに」
「先輩に羞恥心は無いんですか?」
菫、それは流石に失礼じゃないかな、と私は憤慨する。
私だって人間なのだ。勿論、羞恥心はある。
もしも知らない人が下着を着てたら、ちょっと嫌だなって思うもの。
「さも常人みたいに言ってますけど、『ちょっと』の時点でもうやばいです、先輩」
「とにかく……私は菫なら、全く気にしない」
「お願いですから、少しは気にしてくださいっ!」
「シグレ、それにスミレも。この階だよー反応があるのは!」
妖精さんの言葉に立ち止まる。
そこは四階。つまり、私達が泊まる部屋と同じ階だ。
階段を抜け廊下に出る。
ある部屋の前だけ、他と比べて黒煙が濃い。
「四〇三号室……ここだ」
ドアをノックする。
ダンジョンを産み出しているとすれば、美春がそうであった様に意識を失っている筈。
やはり、返事はなかった。
次にドアノブを捻ってみる。
当たり前だが、鍵がかかっている。
「ど、どうします……?」
「下がってて……“変身”」
『スキャン完了! 変身<ジョブチェンジ>! “アサシン”!』
「せ、先輩……?」
「アサシンはその名の通り、暗殺者……つまり隠密行動のジョブ。これくらいの鍵なら開けられる」
鍵穴に手をかざして、魔力を集中させる。
「開け、扉よ」
カチャン……と金属の乾いた音が静かな廊下に響く。
私は変身を解除して、ノブに手をかけてみる。
よし、回る。無事に開ける事が出来たみたいだ。
「おー便利ですね……! それ」
「初めてやったけれど、上手くいって良かった。さあ行こう?」
「はいっ! おじゃましまーす……」
部屋は狭い。
探すまでもなく、ダンジョンを産み出している人を見つける事が出来た。
その男性は部屋の壁際に備え付けられたテーブルの上に突っ伏す様に寝ていた。
テーブルの上にはノートパソコンが置かれ、辺りには何やら書いたメモやカメラなどが散乱している。
「うわあすごーい……高そうなカメラですよっ! 先輩!」
「そうだね。多分、この人もマスコミの……」
菫は嬉々としてカメラを拾うと、何やら操作しだす。
そして操作する度に、どんどん苦い顔になっていく。
「先輩……これ」
促されるがままに画面を見てみる。
そこには、葉月の写真がこれでもかと詰まっていた。
雨の中、傘片手に歩く葉月。
玄関から出てくる瞬間、人の多さに驚く葉月。
私と冗談を交わしながら笑う葉月。
中には、明らかに隠し撮りと思われるようなモノも、何枚か入っている。
「……なんていうか、やっぱり結構きっついですね、こーいうの」
「うん……葉月がいなくてよかった」
「でも、一体何に悩んでたんだろ……?」
「それは多分……これかな」
私はパソコンの画面を指さす。不用心な事にスクリーンセーバーがかかっていない様で、画面が確認出来る。
そこには、何らかのワープロ系ソフトが立ち上がっていて、幾つかの文章が確認できる。
文章の傍には、先程のカメラから厳選したであろう写真が貼り付けてあった。
ここから推測するに、この男性は葉月に関する記事を書いている記者……という所だろう。
「あ、このロゴ見た事あります」
「知ってるの?」
「買った事は無いんですけど。最近ネットでもよく話題になるんですよ。『他社にはない鋭い切り口』が評価されてる雑誌で……一時期ちょっとバズってたんですよね」
雑誌……成程。段々、見えてきた。
「先輩、この文章」
菫が記事の最後に書かれた文を指さす。
『面白い文が浮かばない。これじゃ売れない! 駄目だもっと取材しないと(この後、意味不明な羅列が延々と続く)』
「これが原因……」
他社に負けない様に、面白い記事を書かなければ……そう悩んだ結果、ダンジョンが生まれた。
「なんか、ちょっとだけ同情しちゃいますね」
「うん……でも」
やっていい事と、悪い事はある。
この人達の情熱を否定する訳ではないけれど、それで葉月が傷ついているのは事実なのだから。
「行こう、菫。モンスターを倒しに……ダンジョンへ」
「はいっ!」
…… 冒険<ギルドライブ> ……
『有名雑誌の記者のダンジョン』
その世界は、灰色だった。
ここには、私達以外の色がない。
風景は静謐な美術館に似ている。
灰色の床、灰色の壁、灰色のカーペット。灰色の案内板。
この世界で唯一、灰色の額縁に入れられた芸術品だけが、色彩を放っている。
それは、全てある人物の写真だった。
雨の中、傘片手に歩く人物。
玄関から出てくる瞬間、人の多さに驚く人物。
誰かと冗談を交わしながら笑う人物。
「すごい……どこもかしこも葉月先輩の写真で一杯……」
菫と二人、動線に従って奥に進む。
進めば、進むほど、写真の数が増えていく。
病院の前、逃げる様に車に乗ろうとする人物。
多くの人に囲まれながら、顔を真っ赤にして、逃げ道を探している人物。
俯きながら歩く人物。
どこか上の空で溜息を吐く人物。
腕時計を撫でる人物。
にこにこと人当たりの良さそうな笑顔を浮かべる人物。
「何か……顔が崩れてません?」
「うん」
写真の人物は、奥に進むにつれて、どんどん歪んでいく。
ぐにゃぐにゃと曲がりくねって、最早顔が判別出来ない。
「あはは……見て下さい、この写真。もう歪みすぎて風景と混ざっちゃってますよ。これじゃ葉月先輩かどうかも分からないですね」
「……葉月じゃない」
「え?」
「この人は、葉月を撮ってない。葉月を写そうとしてない。だから顔が崩れてる。これは……葉月じゃない」
暫く、奥に進む。
すると、少し広い通路に出た。
天井には、カラフルなステンドグラスが描かれている。
「……なにか、聞こえません?」
「……! 菫、静かに」
口を閉ざすと、しいんとした空間に、かつん……かつん……と足音が響き渡るのが聞こえる。
誰かが、前方からこちらに近づいて来ている。
かつん……かつん……。
通路の奥、角の辺りから聞こえてくる。
やがて、角から、その人物が顔を出した。
「え……!?」
菫が驚いた様に声を上げる。
私も、思わず息を呑んだ。
その人物は他でもない────。
「お母さん……?」
死んだ筈の母が、目の前にいた。




