五章 セピア色のオーガスト
…… 三年前 夏 ……
『希望橋サービスエリア』
「すみませーん! 日傘のお姉さーん!」
「……私?」
「はい! すいませんが、写真撮ってくれませんか?」
「ああ、勿論」
「ほら時雨! 撮ってくれるって! こっちこっち!」
葉月が、私の腕を引っ張って、強引に海の前に立たせる。
当の本人は隣に並んでピースサインをつくってから、カメラを渡しそびれた事に気付いた様で、そそくさと離れて、
「じゃあお願いします」
と、女性にカメラを渡して、再び戻り、ポーズをとる。
「はいじゃあ二人とも、もっとそばによって……うんいい感じ。それじゃあ撮るわよ? 『一足す一』はー?」
「「にー!」」
「おねーさん! ありがとうございました!」
「あはは。いいわ別にお礼なんて。はいこれ、カメラ。撮られるのには慣れてるんだけど、撮るのは久しぶりで、ちょっと緊張しちゃった」
「そーなんですか? でも、これすっごくよく撮れてますよ! きれーい!」
楽しそうにはしゃぐ葉月の横から、カメラを覗く。
画面で笑う私達二人。
その後ろは一面の青い海。
水面が太陽光を反射してきらきらと光っている。
忘れもしない、三年前。
酷く暑い夏の日だった。
八月も終わりに差し迫って、我が黒森家では、かねてより予定していた旅行に行く事になった。
目的地は軽井沢。日本では有名な避暑地である。
「どこがいい?」
と聞いてきたお父さんに、葉月がすぐに、
「涼しいとこ!」
と答えた。結果、目的地が決まった。
葉月の家は少し変わっていた。
まず、父親だが、家にいない。
逃げたとか離婚とかそういう訳じゃない。
彼は、冒険家だった。
「他の奴が辿り着いてるのに、俺が行けない場所があるってのに、無性にイライラするんだ」
葉月が小さい時に、一度だけした会話でそう言っていたらしい。
今もこの地球のどこかを元気に飛び回っているんじゃないかな。
「元々、一つの場所にじっとしていられる性分じゃないんだ」
そう葉月のお母さんは嬉しそうに笑っていた。
おばさんはおじさんのそんな部分を好きになったから、別に家にいなくても構わないそうだ。
ただその関係上、おばさんが日中から働きに出なくてはいけない。
おばさんは有名なティーン向け雑誌の編集者をやっていて、朝から晩まで東奔西走。
給料は悪くないが、家にはあまりいられない。
赤ん坊の時は育児休暇でなんとかなっても、幼稚園、小学校とどうするか悩んでいたらしい。
そんな時、私の両親がウチで面倒を見ましょうか? と打診した。
私の父はデザイナーで、在宅勤務だったから、子供を見る位なら出来るというのも大きな要因だっただろう。
「一人も二人も変わらないですし、娘が増えたみたいで嬉しくなりますよ」
おばさんは二つ返事で了承した。
こうして、私と葉月はほぼ毎日一緒に遊んで暮らしていた。
私の父も母も、葉月を本当の娘の様に、愛情を持って接していたし、家族の一人と呼んで差し支えなかった。
写真を撮った私達は、海を一望できる展望台から離れて、建物近くのベンチで待つ両親の下に戻った。
「いい写真はとれたかい?」
「うん! ばっちり!」
「それは、良かった」
お父さんが微笑む。
希望橋サービスエリアは、東京と白百合島を結ぶ巨大な橋、ホープブリッジの途中。
人口の島の上にある。
周りは海しかないので、その景観は素晴らしい。
観光客にも大人気で、このサービスエリア目当てに来る人もいるとか。
「暑かっただろ? そこでソフトクリームが売ってるんだ。何味がいい?」
「私、バニラ!」
「葉月ちゃんはバニラっと……時雨は?」
「私は……」
この時ふと、店内に別のアイス屋があった事を思い出した。
「私、チョコミントがいい」
「ええ? でもチョコミントのソフトクリームは……」
「ソフトじゃなくてアイスでいいから。お願い」
「いやでもここからアイス屋はちょっと遠い──」
「別に行けない距離じゃないでしょ。行ってきて」
「お父さんはバニラも悪くないと思うけど──」
「私は、チョコミントが食べたいの」
私とお父さんのやり取りを聞いていたお母さんと葉月は噴き出して、
「時雨は、本当にチョコミント好きねえ」
「そーだね!」
と笑い合った。
お父さんも釣られて笑い出して、しょうがないなあ、と鞄から財布を出して千円札をお母さんに渡す。
「ちょっと行ってくる。葉月ちゃんにソフトクリーム買ってあげて」
そう残して、店内に入っていった。
お父さんが店内に入って暫く経った。
葉月とお母さんはソフトクリームをもう半分位まで食べていて、コーンの部分を齧っている。
「ねえこの後の予定は何、おばさん?」
「そうね、道の込み具合にもよるけど、結構かかっちゃうから、今日は、道中でご飯食べたり、気になるところ寄ったりして、夜に着く様にしようってお父さんが」
「じゃあ本格的な軽井沢観光は明日?」
「ええ」
「そっか……楽しみだね! 時雨!」
「うん」
私はどこか上の空で葉月の笑顔に答える。
口の中に早くミントの爽やかな香りを迎えたくて頭が一杯で、ぼんやりと店内の入り口を眺めていた。
アイス片手にお父さんが戻ってくる事を、何の疑いもなく信じていた。
でも、お父さんが帰ってくる事は、永遠になかった。




