二章 それは駄目だよ
ベッドに座ったまま、葉月がこちらを向いた。
「あ、あ、あの、なん……ですか……?」
怯えるように上ずった、他人行儀な声のトーン。
首の向きが微妙にずれていて、私の少し横の辺りを指している。
それが無性に悲しかった。
「私だよ葉月。お見舞いに来たんだよ」
「ああ! 時雨か! なんだもー言ってくれればよかったのに!」
訪問者が私だと気づくと、嬉しそうに顔を綻ばす。
私は近くの椅子を引っ張って、ベッドの横につけて、座った。
葉月の状態は、見るからに痛々しい。
あちこちが包帯で巻かれている。
「うん。ごめんね、驚かせちゃって」
「全くだよ! 葉月ちゃんはもう目が見えないんだからね! もっと労わってくれなきゃ!」
そう言って、笑っている。
私は何を言えばいいのか分からずに、ただ「ごめんね」と謝っていた。
「これは罰が必要だねえ……! 次のみつナデは時雨の奢り決定って事で!」
けらけらけらっと喉を鳴らす葉月。
その様子に、私は何だか、泣きそうになってしまって、必死に涙をこらえながら、
「うん」
と返すのが精一杯だった。
「私は右腕がないからねー。全部時雨が食べさせるんだよ?」
「……うん」
「左手で良ければ私もあーんしてあげる! 嬉しいでしょ?」
「…………う……ん」
「でも慣れてないからねー。間違えてー……鼻の穴に突っ込んじゃっても許してね!」
「…………う……ぐす……う……うう……!」
こらえきれずに涙が零れ落ちた。
一度、溢れたら、もう、止まらなかった。
膝の上で、手を固く握って、歯を食いしばって、それでも、涙は止まらなかった。
葉月は、はあ……と息を一つ吐いて、優しく微笑んだ。
「何泣いてんのさ時雨……」
「だって……! はづきが……!」
「私はここだよ? ここにいる。生きてるじゃんか。一杯、人が、死んじゃって、でも、生きてた」
「いきてる……でも、こんなの、ひどい……ひどすぎるよ……!」
「死んでる人は、もっと酷かった。文句の一つも言えないでモンスターに殺された……。私はね! 生きててよかったなあって思う。時雨は、私が生きてたら、イヤ?」
「そんなことない! 生きててよかった! 本当に……!」
葉月はちょっと照れた様に頬を赤らめる。
「あ、ありがと、時雨……」
「葉月……」
その時、コンコンっと病室の窓に何かが当たった。
風で石か何かがぶつかったのだろうか。
だがまるでノックをするかの如く、コンコンコンっと連続でガラスが叩かれる。
「何の音? また、誰か来たの?」
事情が分からない葉月が、不安そうにぐるぐると首を動かしだす。
「……ちょっと待ってて」
私は立ち上がって病室奥の窓に近づき、からりとピンクのカーテンを開ける。
「開けてー……開けてー……」
「あ……」
外にいたのは、翠の羽に桃色のドレス。
妖精さんが必死に窓を叩いていた。
病院の窓は落下防止用に、厳重に鍵がかかっている。
私はロックを解除して、窓を開けてあげる。
途中までしか開かないが、妖精さんの大きさなら十分通り抜けられる筈だ。
羽を器用に折りたたんで、妖精さんが室内に入り込む。
「ふー……助かったよシグレ! 今のハヅキじゃ、あの窓は開けられないからねー」
「どういたしまして、妖精さん」
「時雨? 誰? 誰が来たの?」
「葉月、心配しなくていい。妖精さんだよ、妖精さんがお見舞いに来てくれたよ」
「やっほーハヅキ! 何とか生きてたみたいだね!」
葉月は妖精さんの言葉を聞くと、一瞬、表情を明るくしたが、すぐに、陰らせる。
「妖精……ごめんね。妖精の言った通り、ボロボロになっちゃった、私。てっきり、怒っていなくなっちゃったのかと……」
「怒ってるよー勿論。ハヅキがあそこまで馬鹿だったなんて思わなかったからねー」
「う……」
「でも怒っても現状は良くならないからねー。まあ、馬鹿なハヅキにはいい薬でしょ。これで分かったんじゃない? 無理をすれば碌な事にならないってさ! あっはははははっ!」
「……妖精さん、謝って」
……自然と口をついて出た。
「……シグレ? なんで?」
「いい薬……? こんなにまで、なって、もう葉月は、二度と目も見えないのに。腕もなくして、顔も……酷い、痕が残って……それが、いい? ……ふざけないで」
こんなに怒るのは久しぶりだった。
頭がカアっと熱くなるのを感じる。
「時雨、止めて……」
「葉月がどんな思いで戦ったか! 分からない癖に! ふざけた事言わないで! 謝って! 今、すぐに!」
妖精さんは、私の怒りを無表情で聞いている。
そして、なんのけなしに、
「やだね」
と言う。
「ボクは散々忠告したからね! 『戦うな、休め』ってさ。それで戦って怪我を負ったって、自業自得って言うんだよそういうの」
「っ! だからって、そんな言い方、ない!」
「ボクの身にもなって欲しいね。これで、今使える戦力は、シグレただ一人。そのシグレだって、もうそろそろ、限界がきてる。自分でも、感じてるんじゃない? 体力の衰えをさ?」
「……それは」
悔しいけど、言う通りだった。
確かに、以前よりも息が上がるのが早くなっているのに薄々気が付いていた。
「ハヅキが無事なら、交互に戦う事で、次の仲間が増えるまでの時間を稼げたんだけど……こうなった以上は仕方ないね。スミレの説得にも失敗しちゃったし……もう、取れる選択肢は二つだけ」
妖精さんは大仰な仕草で指を二本、前に出す。
「一つは、シグレが回復するまで休む方法。この場合、その間に起きる事件は全て放置する事になるから……当然、多くの被害がでる」
「被害は、駄目……もう一つの方法は?」
「もう一つは……無理矢理、スミレを仲間にする方法」
「無理矢理に……?」
「この方法なら、戦力を増やせる上に、被害も出ない。現在打てる最善手ってわけ。どうだい?」
「……確かに被害が出るよりは……」
私の言葉に妖精さんは、我が意を得たりと言わんばかりににやりと笑った。
そして葉月にも同意を求めようと、口を開こうとして、
「それは駄目だよ」
ゆっくり。
でもはっきりと葉月が言った。
その顔は、まっすぐ前を向いている。
「菫さんは、戦うのが嫌なんだよ。それを捻じ曲げてまで、仲間にしちゃいけない」
「ハヅキ……キミねえ」
呆れたように妖精さんが息を吐く。
「キミのわがままでこうなってるんだよ? それなのにそんな事言えると思ってるの? 戦力はどうしても必要なんだよ?」
「戦力が必要なら、私が戦うから」
「はあ?」
「ほら! 右腕は無いけどさ! 剣が振れなくても、魔法なら、片方だけでも使えるだろうし!」
葉月は、左手を宙に広げて振り回す。
ふらふらと揺れてバランスを崩し、何度かベッドに倒れ込む。
「二人なら、時雨の負担も減らせるしさ! 後方支援ぐらいなら今の私にだって──」
「やめて……葉月!」
「時雨……?」
もう、見ていられなかった。
「もうやめて。戦うのは……やめて。頑張るから。私が、頑張るから! だから、戦うのはやめて……そんな風に、命を投げ出さないで。そんなの、誰も望んでない!」
葉月は、黙ってしまった。
そして、消え入りそうなほど小さい声で、ぽつりと、呟く。
「…………わたしだって、本当は」
本当は。
何だったんだろう。
その先は、私には分からない。
「二人とも、出てって。今は……ひとりに、して……」
震える声で、そういう葉月の前に、私と妖精さんは、それ以上何も言えなかった。




