六章 嘘みたいに簡単に VSスライム
『千葉県 F市 某所』
「ふう……」
ナイフをおろして、息を吐く。
モンスター自体はそんなに強くなくても、こう移動に時間がかかると、精神的にも疲れてくる。
腕時計をちらりと覗くと、もうそろそろ七時になる。
早く帰って、カレーを温めないと。
あまり遅いと、葉月がお腹を空かしてしまう。
私がワイヤーを出そうと手を伸ばした時。
「シグレ……シグレ……! 聞こえるっ!」
「……え!? 妖精さん?」
頭の中に、声が聞こえた。
「良かった! 魔道念波が繋がった!」
「魔道念波……? よく分からないけど、こっちは今、モンスター倒した──」
「時間が無いっ! 説明は後! すぐにこっちに戻ってきて! ハヅキが死んじゃう!」
「え!? 待って、どういう事!?」
「モンスターが出たんだ! ボクは止めたんだけど、ハヅキが!」
「モンスター……!? でも、通知では何も──」
「戦闘中は気が散らない様に、アラートが発生しない仕様になってるんだ! 今場所を転送する!」
「分かった……五分で着く!」
魔道念波とやらがきれたのか、声が聞こえなくなった。
私はすぐに、ワイヤーを伸ばす。
持てる力の限りを尽くして、飛んだ。
「葉月……!」
お願いだから、無事でいて……!
☆☆☆ ☆☆☆
やっぱり能力が落ちている。
最初は、気のせいかと思った。
ただの運動不足のせいだと。
でも違う。
ギルドライバーのスピードでたかだか島の中央に行くのにこんなに時間がかかるなんて。
私は肩で大きく息をしながら、前に妖精に聞いた言葉を思い出す。
確か二回目に変身した時。
オーク事件のせいで病院に入院させられてる時に、妖精がモンスターを感知して、こっそり抜け出して討伐に行った時の事だ。
その時、モンスターが出現したのは白百合でも西町の方で、結構遠かったんだ。
だから、私は変身していこうとした。でも、妖精が止めてきた。
私は文句を言ったんだ。歩くのが面倒だったってのもあるけど、それ以上に時間がかかると被害が出るからね。
そしたらこう言うのさ。
「ハヅキ、いいかい? 変身は体力を消耗する。体力というのは、要するに生命力……即ち魔力の事だ。キミが人間離れした力を発揮できるのも無意識のうちに魔法を使っているから。前に自動的に身体強化魔法が使われるって話したよね? だから、変身すると徐々に魔力が減っていって、結果として体力が奪われていく。面倒なのは理解できるけど、変身時間の短縮を考えないと駄目だよ」
幸い、モンスターの出現までには時間があったので、私は間に合う事が出来た。
今思えばあれはダンジョンの反応だったのかも。
モンスターが外に出てくるまで猶予があると妖精は踏んだんだろう。
妖精曰く、レーダーの反応には二種類ある。
モンスターの出現か、はたまたダンジョンの出現かの二種類。
ダンジョンの反応ならば、急ぐ必要はそこまでない。
モンスターがダンジョン内にいる限り、周りに危害が及ぶ事もない。
一方、モンスターの反応は急いで対処しなければいけない。
ギルドライバーが実力を発揮すれば大した相手ではないが、人間にとっては大きな脅威だ。
放置すれば多くの人が犠牲になるだろう。
ここで一つ疑問が生まれる。
それは『なんで毎回、ダンジョンの出現を感知出来ないのか?』って事。
だってそうでしょ?
モンスター出現の反応が出てから急いで行くより、ダンジョンの反応が出てから移動した方が遥かに安全だ。
自分の力量と照らし合わせてダンジョンを攻略するか、外に出てきた所を倒すか決める事も出来る。
ダンジョンの反応の方が遥かに効率がいいのだ。
妖精もそれは分かっている。
分かっているのだけれど、出来ない。
残念ながら、レーダーも万能じゃないらしい。
「ダンジョンとは、心の中にできる精神世界の迷路なんだ。だから、現実世界で感知するためにはそれだけ強い思念……想いがないといけない。多くのダンジョンは感知できるほど大きくないんだ……逆にモンスターはほぼ百パーセント感知できる。現実世界にとっては異質な魔力を多く秘めてるからね」
という事だ。
まあ、そんなに甘くはないよね。
でもさ。
今までは、モンスターの出現だって。近場なら歩いたり、遠くなら変身したり。
何だかんだいって上手くいってたんだ。
だからさ。
今回、やっとの思いで到着した私は、息も絶え絶えにスライムの身体を見上げて、絶句したんだ。
中で、人の骨がぷかぷか浮いている。
それも、一つや二つじゃない。
少なくとも、四つは確認できる。
骨は何か泡の様なものを出していて、水に入った雪の様に、少しずつ溶けて小さくなって。
やがて、消えてしまった。
骨まで溶けて消えるなら、今見える数よりも多くの人が犠牲になっているという事。
「間に合わなかった……! くそっ……!」
言葉に出す事で、目の前の生物が、急に憎く感じた。
自分の疲れも忘れて、頭が熱くなって。
剣を、自然と強く握っていた。
「うわああああああ!!」
怒りのままにスライムに向かって、剣を振るう。
刃が、液体の身体を通り抜ける。
ぴちゃり、と幾つかの雫が零れ落ちた。
雫の触れたデパートの床が、音を立てて溶けていく。
何度も、何度も、何度も。
剣を振った。
意味はなかった。
スライムは全く意に介した様子もない。
前に進む速度が落ちる事はなかった。
「止まれ……! 止まれよ!」
スライムの進行方向にはまだ多くの人がいた。
沢山の人がパニックになって逃げているんだ。
だから、渋滞になって、避難が遅れている。
あの人の集団をスライムが飲み込むのもこのままでは、時間の問題だった。
「くそっくそっ! ふざけるな……! 倒せなくても、せめて時雨が着くまでの時間は……稼がなきゃなのに!」
「──ハヅキ!」
聞き覚えのある甲高い声がした。
妖精が私の名前を呼びながら、猛スピードでこちらに飛んできた。
「妖精! こいつの弱点は何っ!?」
「ハヅキ! とりあえず落ち着いて! 闇雲に攻撃しても──」
「落ち着けるか!! 人が、死んでるのにっ! これからもっと死ぬかもしれないのに! 早く! 教えろ!」
「……身体の中に、光ってる水晶玉みたいのがあるの、分かる?」
「水晶玉……」
目を凝らしてよく観察する。
すると、確かに、きらり、と光を反射する、透明な球体の様な物が中にあった。
「あれはコアといって魔力を蓄えて身体に循環させてる……心臓みたいな物なんだ。あそこを攻撃できれば簡単に倒せるんだけど──」
「分かった! それなら魔法で──!」
私は右手に魔力を込める。
雷鳴が火花を散らして、腕に渦巻いていく。
「轟け! イカヅチよ!」
呪文を唱え、腕を前に突き出す。
空間を電光が走り、奴のコアを貫く……事は無かった。
「……え?」
確かに、呪文は唱えた。
雷も生まれた。
でも、それが届く事はなかった。
雷は腕に留まったまま、動こうとしない。
「なんで、魔法が……!」
「……今のハヅキじゃあ魔法を飛ばす力さえ無いんだ」
「そんな……じゃあどうやって、どうすれば!」
「だから、落ち着いて! ボクに提案がある!」
「なにさ!?」
「いいかい? 逆転の発想だ。スライムの動きを止められないなら、目標の方を動かせばいい」
「目標って──」
「勿論、あの人達の事だよ。避難が遅れているのは、出口が一つだからだ。だから人が殺到して混乱が起きてる。つまりだよ、出口を増やせば、自然に──」
「──避難出来る!」
私はすぐに行動を開始した。
まず、人が最も集まっている場所に行き、剣で近くの壁に穴を空ける。
正直、それさえも今の私には難しい。
上手く斬れずに、何度も弾かれる。
その度に腕がひどく痺れた。
(くそ……! いや、焦るな。私がやるんだ!)
弱音を吐いてる場合じゃない。
私は必死に剣を振って、やっと人が一人か二人通れる位の穴を幾つかつくった。
「皆さん! こっちです! ここからも外に出られます!」
大声で周囲に呼びかけると、我先にと人が群がってくる。
「あわてないで! 前の人を押さないで下さい! 一人ずつ外に出て!」
穴が出来てから、人が減るのは格段に早くなった。
これなら避難が間に合う。
全員デパートから出たら、後は時雨が到着するのを待てばいい。
でも人生、そう上手くはいかない。
「ハヅキ! あそこ!」
妖精が叫んだ。
「ママあああ……!」
スライムのすぐそば。
お店の中から、小さい男の子が一人、泣きながらふらふらと外に出てきた。
この事態を分かってるのかいないのか。母親を探して、泣いている。
スライムは歩みを止めない。
男の子の目前に、死が迫っていた。
「間に合え……!」
「ハヅキ! ダメだ──」
スライムが男の子に触れる瞬間。
私は、彼を押した。
男の子が、飲み込まれる事はなかった。
私は。
逃げる余裕はなかった。
気が付いたら、酸の中にいた。
全身が焼ける様に熱い。
無我夢中でもがく。生きようとあがいた。
でも、この液体の中じゃあ、なんにも手に触れる事はなかった。
もがけばもがくほど、絶望だけが、積み重なっていく。
酸素が無くなってきたのか、段々と目の前が暗くなっていった。
(ああ……これは……)
死ぬんだな。
そう思った。
もういいや。
暴れる気力もなく、力無く手を下ろした。
その時、指先に何かが当たった。
反射的に、それを握った。
丸い。
(まだだ)
最後まで、諦めるべきじゃない。
私は残された力を振り絞って、手に魔力を集中させる。
(魔法が前に飛ばないなら……!)
直接、ぶつけてやればいい。
さあ心臓マッサージの時間だよ、スライムさん。
電力の加減は出来ないけどね!
(轟け……!)
手の中で生まれた放電が液体の中で増幅されていく。
暴れて逃げようとするコアを掴んで、決して離さなかった。
やがて、コアが手の中で砕けると。
スライムの身体は、音をたてて弾けて消えた。
私は空中で投げ出されて、地面に激突した。
男の子はどうなったんだろう。
目を開けようとしたが、痛い。
酸の中にいた弊害かな。
困った。何も見えないじゃないか。
「葉月! どこ!? 返事して!?」
えっと……この声は……時雨?
「時雨ー! ここだよー! 大丈夫! 私一人でもなんとかなったよ!」
「葉月! 良かった無事だった。心配して…………」
「……時雨?」
時雨が、駆け寄ってきたかと思ったら、ピタリと止まってしまった。
おかしい。なんで何も言わないの?
「葉月……!」
「なにー?」
「か、顔が……」
顔? ああ、遂にこの葉月ちゃんの美少女っぷりに気が付いたか。
「目が溶けて……それに、皮膚がただれ……」
「…………え?」
「きゅ、救急車! 呼ばないと……!」
「な、なにを、やめてよ。変な冗談は……!」
時雨も酷いよね。
こんな時に、本当に質の悪い冗談を言う。
確かに目の奥が、やたらとずきずき痛いけどさ。
ゆっくりと目を開けてみる。
でも、一向に前は見えなかった。
「もしもし! 救急車をすぐにお願いします! 女の子が強い酸で目をやられて……場所は……」
心臓の鼓動がやたら大きく感じる。
時雨の言葉が、耳に入っている筈なのに、理解出来なかった。
今なら、怒らないから。
ただの冗談だって言ってよ。ねえ。
……お願いだから。
第四話 おしまい。




