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続・沈む夕陽の中で

「逝く? お前と? ふははは、逝くのはお前一人だけだ!」

 剣を振り上げ、迫ってきます。

 どうせ斬り殺されるのなら、道連れにしてやろうと思っていました。

 アイシェ様は一人で落ちていきましたが、私は一人では逝きませんから。

「どこへ逃げようというのかな? 王女様」

 狭い塔の部屋の中で追いかけごっこが始まりました。

 ケレム様は長い脚にモノを言わせて剣を振り回しながら私を追い詰めてきます。

 猫がネズミをいたぶるように遊んでいるのです。

 そうよ、そうよ、調子に乗って追いかけてきなさい。

 私だって命が惜しいに決まってるじゃないの。

 あの剣さえどうにかすればいいのです。

 ケレム様が窓を背に立ちました。

 今です!

 私が立ち止まったので、ケレム様が剣を上段に構えました。

 私は渾身の力を込めて体当たりすると、ラグビーのタックルのようにケレム様の腰にむしゃぶりつき、黄金色に輝く窓へと押し倒します。

 剣が手を離れて、下へと落ちていきました。

 長身のケレム様は、足をすくわれて、バランスを崩し、後ろ向きのまま窓の外へと投げ出されました。

 やった!

 やりました!

 けれど、そう思った次の瞬間、ケレム様は私の体に手をかけ、二人して窓枠へとぶら下がった状態となってしまったのです。

 ずるずるとケレム様の手が落ちていき、片手で私の足首を握っているだけになりました。

 支えは窓枠にかけた私の両手だけ。

「さあ、手を離せ! 私と逝くのだろう? 王女様!」

 ケレム様の重みで、じりじりと指が窓枠から離れようと滑って行きます。

 指先が切れたのがわかりました。

 ぬめぬめとした血の感触。

 ……もう、だ、め……

 ずるっと指が窓枠から離れた時でした。

「リーナ!」

 その叫び声とともに、誰かががっしりと私の手首を握ったのでした。

 それからもう片方の手、次に両手と。

「トーリ様!」

「爺! 手を貸せ! 下の男を引き上げるんだ!」

 アイスブルーの瞳がギラギラしています。

 夕陽が赤茶の髪を燃えるように照らしていました。

「は、間に合った……」

 私を引き上げたトーリ様は肩で息をしています。

 ケレム様もヒュージェットさんによって引き上げられました。

 二人とも、激しい息使いです。

 ヒュージェットさんに剣を突きつけられながらでも、ケレム様は皮肉そうな顔つきを止めません。

「私を助けたことを後悔するぞ……」

 その言葉を無視して、トーリ様は私に言います。

「手を見せてみろ……血だらけじゃないか」

 そう言うと首のストールを取り、私の両手に巻き付けて応急処置をしてくれました。

 見ればトーリ様はハトゥーシャの服を着ていらっしゃいます。

「トーリ様……どうして……」

 隣りでにっこり笑うヒュージェットさんもハトゥーシャの衣装です。

「これは……どういう……ことですか?」



「あのな、ウイラード隊長のダラハー襲撃のコトはツナギからすぐ爺に一報が入ったわけ。リーナが人質のフリをしてルロワ将軍に会いに行くこともわかってたんだ。そこで、リーナの秘密についてもツナギから報告を受けた。既にガスパール騎士団はハトゥーシャの北側を固めている。俺に会いに来たリシャール副隊長はルロワ将軍と合流して、南方将軍を討ちに行ってもらった。ほぼ制圧したらしいから、ハトゥーシャの南北は抑えた。西はダラハーを見下ろす崖だし、東は辺境領が自治を求めて集結している。つまり、ハトゥーシャは、今はもう袋の中のネズミ、ということだな」

 それでは、トーリ様は私の正体を知ってしまったということ……

「リーナがユーグ殿とハトゥーシャへ向かった後を、俺と爺で護衛方々つけていたんだ。ユーグ殿には途中で事情を話して協力を頼んだ。ハトゥーシャにすんなり入れるよう服まで用意してもらったんだ。これ、意外と似合うだろ?」

 ニヤリと笑ういたずらっ子のような表情は私の気持ちを緩ませます。

「うふ……」

「やっと笑ったな、リーナ」

「……私、リーナ様ではありません。黙っていて、騙していて、ごめんなさい……」

「ああ、そうらしいな。ま、それで色々と納得したわけだから、気にするな。お前はリーナのままでいたらいい」

「え……」

「聖女召喚に巻き込まれたわけだから、リーナのせいではないし、リーナじゃないのか。利衣奈だっけ? まあ名前なんかどうでもいいか」

「トーリ様……」

「リーナが頑張っているのはわかってるから。ローリ兄上の一件で、名前だとか、家だとか、どうでもいいんじゃないかって思うようになってな」

「トーリ様、随分と素直ではありませんか。いつもそのようにされていれば」

「爺! うるさい!」

「……相変わらずなのですね。ヒュージェットさんとトーリ様は」

「ヒュージェット? ガスパールの伝説の騎士か?」

 後ろから声が聞こえてきたので、トーリ様、ヒュージェットさん、ケレム様、私が一斉に振り返りました。

 そこには、リーナ様に支えられて立っている長身の男性の姿がありました。

 薄汚れた衣服、伸びた髭、蓬髪ですが、碧の瞳が印象的な方です。

 ケレム様に似た容貌、背格好。

 この方は、多分。

「エルトゥール……」

 ケレム様が悔しそうに睨みつけます。

「本物の陛下、でいらっしゃいますか?」

「おお、ガスパールの王女様。可愛らしい方ですね。私がハトゥーシャの皇帝、エルトゥールです。このようなみっともない姿で申し訳ない」

「ふん、死にぞこないが」

「ケレム……ハトゥーシャの皇帝として打ち首の刑を申し付ける。それが屈辱であるなら、潔く自害せよ」

「エルトゥール……、たった一人残った身内である私に自害せよとは……だから、お前は皇帝などには向かぬと言うのだ。なぜ自分の手を汚さぬ! 私はお前を殺そうとしたのだぞ! 妙な情をかけるな! お前のそういう、いい子ぶったところが鼻につくのだ! お前の手で私を討て! エルトゥール!」

「……ケレム、私の気持ちがわからないか」

「剣を持て、エルトゥール。ガスパールの伝説の騎士の前で戦おうではないか」

「陛下! やめてください! そのお体では……」

 リーナ様が必死で陛下を止めようとなさいますが。

「ではヒュージェット殿、ケレムに剣を。ガスパールの騎士殿、私に剣をお貸しくださらぬか」

「御意、陛下」

 ヒュージェットさんもトーリ様も頷きます。

 リーナ様が悲愴な顔で叫びます。

「陛下!」

「利衣奈様、下がっていてください。前にも言ったことがあるでしょう。ケレムのカタは私がつけなければならないと」

「エルトゥール!」

「はは、利衣奈様。エルトゥールと呼びますか。でも、ここは引けない。ケレムとのカタをつけるこの戦いだけは。ああ、そうだ利衣奈様。あの約束、忘れないでくださいね?」

 ああ、陛下、それって、俗に言う『死亡フラグ』ではありませんか!

 この戦いが終わったら結婚しようとか、生まれ故郷に帰ろうとか……

 ああ、陛下!

 そんなフラフラで、足元も覚束ないのに……

「ふふ、エルトゥール、聖女様の中身は異世界などから来たのではない! 隣国ガスパールの王女だぞ! その女はお前を謀っていたのだぞ!」

「……ケレム、まだそんなことを言っているのか? 外側だけ皇帝のフリをした輩が何を言う? お前、そんなに皇帝の外側が欲しかったのか? 中身がニセモノだの何だのと、一番囚われていたのはお前であろう!」

 言い終わるや、スッと間合いを詰めた陛下がケレム様に向かって剣を振り下ろします。

 すかさずケレム様が受けて……

 ギャリと剣がぶつかって泣き声を立てました。

 二人はすぐ飛び退いて、お互いに間合いを取ります。

 床の一点を中心にして、見えない糸で操られているかのように、二人がじりじりと円を描きながら動いていきます。

 均衡を破ったのはケレム様でした。

 大きく跳躍すると、一気に陛下に詰め寄ります。

 目にもとまらない速さで斬りつけるケレム様の剣を受けて、陛下は防戦一方に。

 そして遂に、ダダダダダッと踏み込むケレム様に陛下は押されて、押されて、板を打ち付けられた西の窓に背中をぶつけてしまったのです。

 もう、後がありません。

 そのまま、陛下の顔の前で交差した剣での力比べになってしまいました。

 ケレム様は余裕の笑顔ですが、陛下は真一文字に唇を結んだままです。

 ちろちろと、刃が陛下の顔に触れては、細く血筋を作っていきます。

 リーナ様が飛び出そうとしてトーリ様に抱きかかえられています。

 私は私でヒュージェットさんに肩を掴まれてしまいました。

「そらそら、子どものお遊戯か、エルトゥール! 死ね!」

 ケレム様が体を引くと、これで最後とばかりに陛下目がけて剣を斬り降ろしました。

 ああ、ダメ!

 思わず目をつぶった時です。

 ケレム様が悲鳴を上げたのです!

 見ると、窓を塞ぐために打ち付けられていた板にケレム様の剣が刺さり、その割れ目から溢れ出る黄金色の光の洪水がケレム様の顔や目を射ているのでした。

「……目が……目が……」

 陛下は肩を斬られながらも、危うい所で剣をかわし、ケレム様の剣はそのまま背後の板に突き刺さったのです。

「ケレム」

 よろけながら目を押さえるケレム様に陛下がしっかりとした声で呼びかけました。

 ケレム様が陛下に向き直ります。

 陛下が怒鳴ります。

「手にかけた者たちに代わって私がお前を斬る!」

 言うや、胴を薙ぎ払い、返す剣で正面から一気に斬り降ろしたのでした。

 ケレム様が腰から崩れ、床に膝立ちになりました。

 そして不思議そうに自分のお腹に目を向けました。

 ごぷり、ごぷりと音を立てて血が溢れ出ています。

 それを夢でも見たかのような顔で、ケレム様は何度も触っていました。

 ケレム様の両の手が真っ赤に染まります。

「エルトゥール……?」

 ケレム様が陛下に向けて邪気のない笑顔を浮かべます。

 遅れて、額に一筋、赤いものが流れてきました。

 ケレム様の笑顔がすうっと消えていきます。

「ケレム!」

 陛下が叫んで、ケレム様に駆け寄ります。

「……エルトゥ……ル……」

 ケレム様はその言葉を最後にダンッと前のめりに倒れたのでした。

 陛下がケレム様を抱き起します。

「ケレム! ケレム! ケレム!」

 陛下の号泣と、二人を包む黄金色の溢れんばかりの光の洪水。

 その中から、アイシェ様の声が聞こえたような気がしたのは私だけでしょうか。


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