沈む夕陽の中で
ケレム様は玉座にふんぞり返り、見せびらかすように足を組み直します。
「さあ、名前を言え」
「国王と王妃の名、ですか……私、言えませんわ」
「やはりな、王女ではないということだな」
ケレム様は仮面の下でほくそ笑んでいるに違いありません。
でも。
今まで読んだ少女小説の設定を、知識を総動員して答えます。
「ハトゥーシャではどうなのか知りませんが、ガスパールでは王族は真名を明かさず、通り名を名乗るのです。真名はもちろん王族だけのものなので、ここで明かすことはできません。通り名など、何でもいいのですから、私がどんな名を告げようと全て偽りであり、また、全て本当とも言えます。陛下はどのようなお名前がお好きですか? 頭に思い浮かべてくださった名が国王と王妃の名ですわ」
「私を愚弄するのか!」
「国が違えばやり方も違います! ハトゥーシャのやり方と違うからと言って、愚弄しているなど、皇帝陛下とも思えぬ浅慮な発言ではありませんか!」
「小娘が!」
ケレム様が立ち上がって腰に佩いた剣に手をかけます。
「私を斬るおつもりですか? ガスパールの王女を手にかけようと? ガスパールと一戦交えようということですか?」
「そのおしゃべりの口をきけなくしてやる」
「あなたのお味方はもういませんよ? 陛下……」
ケレム様が剣を握り直しました。
背中を冷たいものが伝います。
ケレム様がニヤッと笑いました。
その時でした。
リーナ様が走って来て、ケレム様に思いっきり体当たりしたのです。
そして、体制を崩すケレム様の顔に手を伸ばし、仮面を叩き落としたのです。
カランと仮面が床に落ちます。
現れたのは、痘痕などない端正な顔。
周囲がザワッと総立ちになりました。
「陛下ではない……」
「ケレム様……」
「陛下は石牢よ! 陛下を助けて!」
リーナ様の叫びに、家臣たちがわらわらと駆け出して行きます。
「来い!」
いきなり、ケレム様に手首を掴まれました。
そのまま、ケレム様に引きずられてしまいます。
「離してっ! 離してっ!」
抵抗しますが、抱えられて玉座の裏から暗い穴に放り込まれてしまいました。
玉座の裏は回転扉になっていたのです。
ケレム様が続いて入ってきました。
背後でパタリと扉が閉まります。
誰かがドンドン扉を叩いています。
利衣奈! 利衣奈! と呼ぶリーナ様の声が聞こえてきます。
返事をしようとしたらすかさず張り手が飛んできました。
「つ……」
口の中を切ってしまったようです。
「騒ぐな」
一言言うと、再び私の手首を握り、暗闇の中を物凄い速さで歩き出したのです。
しばらく歩いて、やっと地上に出てきました。
沈む夕陽が正面に見えます。
そばには静かに佇む塔が。
塔の入口には鎖が張られていましたが、ケレム様は片手で剣を振るい切り捨てます。
そのまま、ずんずんと上階へ進みます。
私が遅れそうになると、腰を抱きかかえて否応なしに足を進ませるのです。
最上階に来ました。
部屋全体が黄金に染まっています。
ただ、窓が四方にありますが、一番西側の窓だけ板が打ち付けられていて、怪しげな雰囲気です。
ここは……
ケレム様がやっと私から手を離しました。
「終焉の場ですよ、王女様」
「アイシェ様の……」
「ああ、あなたは何でもご存知のようだ、王女様、いや、中身だけ聖女様、と言えばよいのかな?」
「……」
「もうすぐガスパールが攻め込んで来るようですよ、王女様。でも中身が異世界から来たみっともない女だと知ったら、王女様ではないと知ったら、ガスパールはどうするでしょうね? それでもあなたを助けてくれるでしょうか?」
「ガスパールは攻め込んではきません。私が人質としてハトゥーシャに来ていることも伏せるように言ってあります。それに、私のことは捨て置けと言ってあります」
声が震えます。
「へえ? 命が惜しくないのかな?」
「命は惜しいですわ、もちろん」
「では、なぜ?」
リーナ様に会う前は、リーナ様との話し合いで解決するものと思っていました。
そして、ガスパールとルロワ将軍と先帝の皇子とでハトゥーシャを滅ぼすつもりでした。
けれど、ハトゥーシャに来て事の真相がわかったのです。
それに……
リーナ様がケレム様と刺し違えてでも、陛下を守ろうとしているのを知ってしまいました。
嫌われ王女がやっと見つけた幸せなのです。
あんなに頬染めて。
あれを見てしまいました。
だから!
「あなたは私と逝くのです!」




