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朝陽の中の二人

 私は、倒れた陛下に近寄って抱き起そうとしましたが、重くてできません。

 尻もちをついてしまいました。

 仕方なく、座り直して陛下の頭を私の膝に乗せます。

「あなたの言うことを聞くわ! だから早く解毒剤を!」

 答えずに、ケレム様は利き手ではない方に剣を持つと、自分を斬りつけて行きます。

 服が切れて、血が滲んできました。

「なにを……」

 それから、小瓶を私に放って寄越したのです。

 私は小瓶の栓を抜くと、指に垂らして少し舐めてみました。

 大丈夫なようです。

 陛下の頭を起こして飲ませます。

「ふん、用心深い女だな」

 ケレム様はムッとしたような口調で言いました。

 当たり前ではありませんか。

 陛下はうつらうつらとし始めます。

 それから意識を失いかけた陛下に、ケレム様は自分の剣を握らせたのでした。

 遠くから大勢の乱れた足音がしてきます。

 全てが綺麗な夕日の中で始まって、そして終わったのでした。



 宮殿の一番奥の部屋に入れられました。

 陛下は血止めをしてもらい、今はベッドに横たえられています。

 息が荒く、苦しそうです。

 汗がひどいので、拭いて差し上げたいのですが、水も布もありません。

 呼鈴で侍女を呼ぶことにします。

 が、いくら引っ張っても誰も来てはくれません。

 日は落ちて辺りは真っ暗、ベッドの脇の灯りだけです。

 暖炉がありますが、火の熾しかたを知りません。

 ただの役立たずです、私。

 いいえ!

 扉を開けようとして、鍵がかかっていることに気が付きました。

 まあっ! 私にも考えがありましてよ!

 きょろきょろと部屋の中を見回します。

 手頃な大きさの壺を見つけました。

「きゃああああっ!」

 大声で叫んで、扉に壺を投げつけます。

 派手な音を立てて、壺は粉々になりました。

 思わず陛下を見ますがベッドからは荒い息が聞こえるだけです。

 廊下をどかどかと走って来る音が聞こえ、扉の鍵が外されます。

 側仕えが来たようです。

「何事だ!」

「医師を呼びなさい! それから盥! 水! 布! 持って来なさい! すぐに!」

「何だと!」

「先帝の皇子を殺す気ですか! お前が行かないのなら私が行きます。そこをどきなさい!」

 側仕えが私の腕を掴んで行かせまいとします。

「誰に手を掛けているのですか! その汚い手をお離しっ!」

「……はい」

 首切り姫の迫力は現役のようです。

 とにかく急がないと。

 急に、静な声が廊下に響きました。

「医師を呼んでまいれ。それから、聖女様のお望みの物を用意いたせ」

「陛下! すぐに!」

 ケレム様です。

 側仕えが走って行くと、ケレム様は私の肩を押して、部屋の中へと入り、扉を背中で閉めます。

 足元に散らばる壺の破片を見ると、眉を片方上げました。

「ふ、凄いじゃじゃ馬だな」

「あーら、女は見た目で判断してはいけないとお教えしたではありませんか? もう、お忘れになったと? 耄碌するようなお年には見えませんけど?」

 ケレム様は、ドン! と扉を拳で殴りました。

「楽しいね、聖女様。でも、そんなに強気でいられるのもあと少しですが。いいこと教えましょう。聖女様がエルトゥールに飲ませた毒消し、あれね、正体は麻薬なんです。それも一度だけでは完全に毒を消すことはできないんですよ。毒が消えるまで飲ませないと。毒が消えた時は、毒消しを飲まずにはいられない体になっているんです。コカの毒が本当に怖いのはね、その毒消しの中毒性にあるんですよ」

「……そんな」

「ああ、可哀そうなケレム様。陛下に使おうとした毒で自分が死ぬなんて。まあ、検討を祈りますよ。ああ、側仕えには、お二人の世話をするように言っておきます。では、御機嫌よう」



 やってきた医師もケレム様と同じことを言いました。

「コカの毒消しは他にはないのですか!」

「ありません。ですからコカの毒は怖いのですよ」

 まずはコカの毒を消すために多量に使用する毒消しによる中毒。

 その後から来る、毒消しを求める禁断症状の激しさ。

 苦しさのあまり剣で喉を突いたり、気が変になってしまう者もいるとか。

 薄めた毒消しを闇で流して、中毒症状に苦しむ人々が犯罪を起こす例が頻発したので、先帝の前から、ずっとコカは薬種商でも扱うことはない、禁制の薬草だったそうなのです。

 そんなものを用意したケレム様の執念には恐ろしいものを感じます。

「いっそ死なせてあげた方が……」

「いいえ! それはできません! 必ず、助けます!」



 禁断症状の前触れは光を嫌うようになること。

 それが現れ始めたら次のように処置すること。

 激しい体の震え、けいれんを起こすので、舌を噛み切らないように布を口にかませること。暴れ出すのでベッドに縛りつけておくこと。禁断症状が治まったら拘束を解き、水や食べ物を与えるように。

 医師が淡々と対処法について告げてきます。

「どれくらいで快方に向かうのでしょうか」

「人にもよりますが、まあ、三、四日から一週間というところでしょうか」

「ずっとではないのですね? ああ、良かった」

「一週間も続けば命がないということですよ? 長引くようなら、一週間以上続くようなら、死なせてあげる方が本人には嬉しいでしょうね。コカの毒消しは、その激しい中毒作用で知られています。我々の間では『ゾイ』と呼んでおりますよ」

「ゾイ……」

「ハトゥーシャの古い言葉で、『命』という意味です。何とも皮肉な名前ですな……」



 毒消しを飲んでいる間は、陛下はうつらうつらとされています。

 話しかけても応えはなく、生まれたばかりの子どものようです。

 医師が毎日部屋にやってきては、陛下を診察します。

 そして、ある日、私を見て真剣な顔をしました。

「コカの影響はもう無いと思われます」

 私はうなずきます。

「よろしいか? 明日から始まりますぞ、戦いが」



「カーテンを閉めて! 口に布を」

「かませました! 聖女様!」

「手足の拘束も終わっております!」

「あ、あなたたち……ありがとう……」

 あの側仕え二人も三日目から手伝ってくれるようになったのです。

「ぅがああああああっ! ぐがああああああっ! あヴううううううっ!」

 唯一自由になる頭をベッドに打ち付け、髪を振り乱し、凄い形相です。

 口の端からはダラダラと涎が止まりません。

 ベッドは壊れそうにギシギシと鳴り続け、手足を拘束した四隅の支柱は、引っ張られてへし折れそうにしなります。

 

 最初は慣れなくて、私一人ということもあって、殴られたり、蹴られたり、頭突きをくらわされたりと、ボロボロになってしまいました。

 その時も陛下の振り回す手が私の顔に当たって、ベッドから転げ落ちそうになってしまったのです。

 側仕えの一人が抱きとめてくれたおかげで、大事に至らなかったのでした。

 もう一人が素早く陛下の手をベッドの支柱に結びます。

「あ、ありがとう……」

「聖女様……後は私たちにお任せください」

「え、でも、それでは、あなたたちが酷い目にあうでしょう?」

「お二人の世話をするように命令されていますからね」

「さあ、少し休んでください。全く、信じられませんよ。食事も満足にされていないではありませんか」

「それに、湯浴みもされていませんね?」

「え、まあ、そうね……」

 もしかして、私、臭い……?

「ずっと縛っておけばいいのではないですか? どうせ暴れ出すんだから」

「それでは、人としての尊厳が無くなります! へ、ケレム様は志の高い方なのですよ! 暴れていない時の拘束は許しません!」



 禁断症状が出る回数が格段に減りましたが、油断はなりません。

 八日目。

 医師がやって参りました。

「聖女様、一週間経ちました。これ以上の処置は本人にとっても負担かと。心をお決めくださいませ。あなたは良くされました」

「私は自分が褒められるためにやっているのではありません。へ、ケレム様を治すためにしているのです!」

「けれど……治る見込みもないことを続けるのも可哀そうでございますよ」

「……わかりました。あと二日、二日待ってください。あと二日待って良くならなければ、私の手で楽にしてさしあげます」

 もちろん、お一人では逝かせませんから、陛下。



 十日目の朝がきました。

 いつの間にか、ベッドにもたれて、うたた寝をしていたようです。

 太陽がまぶしくて、目を開けました。

 カーテンが開いている?

 陛下は穏やかな表情で眠っていらっしゃいます。

 月の明かりでも嫌われていたので、症状が出る時の目安にしていましたから、夜もカーテンは明け放してあったのです。

 そのカーテンが開いている。

 と、いうことは……

 昨夜は症状が出なかった?

 朝陽の中に横たわる陛下は、髪はボサボサ、無精ひげが伸びて、まるで山賊のようです。

 規則正しい寝息に嗚咽がもれました。

 シーツを握りしめて涙が流れるのにまかせます。

 良かった……

 生きていらっしゃいます……

 ザラッとシーツの上を滑る音がしました。

 私の頭を触ります。

 弱々しく、ポンポンと。

「り……な、さま……」

 しゃがれた声ですが、自分の意思を持った声です。

「……はい、陛下」

 はい、陛下。


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