振り払われた仮面
「それではずっと仮面をつけておくことにしましょうかね? エルトゥール」
急に響いた声に、その場にいた全員が振り向きました。
「ケレム!」
「ケレム様!」
西日に照らされて顔が恐ろしい美しさを醸し出しています。
「何ですか、私の顔に何かついていますか? それとも、映りの悪い鏡だとでも? エルトゥール」
手には抜き身の剣が握られています。
それが西日を反射して、きらきらと怪しいまでの光を放っています。
陛下とアリが私を背中に庇うようにスッと前に出ます。
二人とも丸腰です。
こんな時に……
陛下はアリも無言で制して、静かに言いました。
「アリ、利衣奈様を連れて行きなさい」
「でも、陛下……」
「早くっ!」
ケレム様が剣を持ち上げると、見せびらかすように赤い舌でちろりと舐めます。
蛇……
ゾワリ、と背中が震えました。
私の手を引いたアリと、陛下は左右に少しづつ離れて行きます。
ケレム様を頂点とした三角形ができました。
一斉に走り出したら、ケレム様は陛下と私のどちらを狙うでしょうか。
じりじりとした時間が過ぎて行きます。
その瞬間は突然来ました。
「アリ!」
陛下が怒鳴ってアリと私が飛び出します。
でも、それを待っていたかのようにケレム様は地面を蹴って、大きく跳躍しました。
そのケレム様に陛下が飛びつきます。
ケレム様が陛下を斬りつけます。
後ろに飛んで剣をかわすことができましたが、服が斜めに切れて体にぶら下がりました。
「あ! 陛下!」
「アリ! 来るな!」
「はああっ!」
ケレム様が楽しそうに陛下に剣を振るいます。
目も留まらない速さで追い詰めていく剣は、陛下の胸や肩や腕に血を滲ませます。
そしてついに、陛下に馬乗りになったケレム様は艶やかに微笑んで剣を振り上げました。
アリが剣と陛下の間に割り込みます。
ケレム様は舌打ちをして、そのまま、アリの肩から背中にかけて袈裟懸けに斬り降ろしたのです。
「きゃああっ! アリ!」
アリがゆっくりと陛下の上に倒れていきます。
陛下が起き上がってアリを抱きしめます。
「アリ! しっかりしろ! アリ!」
私は、アリのそばへ行こうとして、足がもつれて転んでしまいました。
そのまま、這っていきます。
アリの手を取ります。
「アリ! アリ! 死んじゃダメよ!」
「り……な、さま……ごめ、ん……」
アリの手が私の手を滑り落ちていきました。
「アリ! アリ! しっかりして! アリ! 嫌よ、こんなの嫌よ……アリ、アリ、ごめんね、ごめんね、私が、私が……」
「おや、大っ嫌いなアリだったのではないですか? 利衣奈様。ご希望通りに私が成敗してさしあげたのに」
「ケレム……アリは、まだ子どもだぞ……何という惨いことを……」
陛下はアリをそっと地面に横たえます。
私と陛下は血だらけのまま、地面に座り込んでいました。
「ほう、血だらけの夫婦か……」
ケレム様は馬鹿のように笑い出しました。
ひとしきり笑うと、ひねくれた笑いを顔に貼り付けました。
「くくくっ、ははっ、その子どもを使って私を謀ったのはどなたです? ねえ、利衣奈様。あなたが余計なことをしたばっかりに、こんなことになったのではないですか?」
「謀るとはどういうことだ、ケレム……」
「エルトゥール、何てオメデタイ奴なんだろうね。お前って奴は」
「おめでたい?」
「私はお前に痘痕がひどくなる薬草を飲ませていたんだよ。それをこの聖女様が気付いて、アリを使って薬草をすり替えていたんだ。綺麗に治ったじゃないか、エルトゥール。その顔ならアイシェも喜んだろうに!」
突如、激昂したケレム様に私も陛下も言葉がありません。
「アイシェは、ケレム、お前を……」
「馬鹿か? アイシェはお前を愛していた! なぜだ! なぜ、みんなお前を愛するようになるんだ! 私の方が見目も良い、優れているのに! なぜ、お前なんだ!」
父もそうだったよ。
あの頭のオカシイ先帝のことだ。
自分の弟に嫉妬していた。
昔から弟の方が親からも親戚からも可愛がられた。
自分の方が勝っているのに、なぜだとね。
だから、ハトゥーシャを滅茶苦茶にしてやった。
弟が大好きなハトゥーシャを滅茶苦茶な国にしてやった。
誰もが恐れる国に、してやった。
弟の大好きな人々の首を刎ねてやった。
最後には、弟の首も刎ねた……
何にも残らないのに。
弟が生きていたら、弟だけはこんな兄でも愛してくれていただろうに、それさえも自分から捨ててしまった。
寂しい、寂しい、寂しい
一人ぼっちは寂しい……
お前もそうなると、父は私に言った。
エルトゥールに自分と同じ思いを抱くようになると、そう言った!
「私はならぬ!」
私はそう叫んで父を斬った。
だから、皇帝の座をお前に譲ったんだ……
「ケレム様……」
「それに、利衣奈様、あなたも悪い」
「……私」
「私があなたに触れる度に、体に力が入るのがわかった。嫌がっているのがわかりました。あなたも私の味方の振りをして、エルトゥールのものだった」
ああ、何という哀しみなのでしょうか。
私は、一人ぼっちの寂しさをよく知っています。
嫌われることの辛さをよく知っています。
けれど、私はケレム様のようにはなりませんでした。
トーリがいたから、でしょうね。
トーリが私の八つ当たりを一手に引き受けてくれていたからでしょうね。
ケレム様も、陛下にそうすれば良かったのに。
陛下なら受け止めてくれたでしょうからね。
でも、トーリと陛下では役割が違っていました。
ケレム様の寂しさの原因を作ったのが陛下だから。
誰に八つ当たりすれば良かったのかしら。
ケレム様は……
「ケレム、すまなかった……気付かなくて、済まなかった……」
「エルトゥール……」
ケレム様の肩に手を置き、頻りに謝る陛下。
ケレム様も微笑んで、陛下の手を……
綺麗な夕日に二人の姿が映えて、夢のような美しさです。
知らず知らずのうちに涙がこぼれていました。
「ケレム……、何を……した……」
え?
陛下がずるりと体を傾けました。
そのまま、地面へと倒れていきます。
「……陛下! 何を、ケレム様、いったい何を!」
「コカの毒はよく効きますね。なに、傷口に塗り込んだだけですよ。濃いヤツをね。このままだと陛下は死にますよ? 利衣奈様。さあ選んで、聖女様。私のものになるなら、解毒剤を飲ませましょう」
「……、早く解毒剤を、お願い!」
「ふふ、今から私がハトゥーシャの皇帝エルトゥールです。さあ、聖女様。一緒にハトゥーシャを滅茶苦茶にしようではありませんか!」
それから、ケレム様は懐から仮面を取り出すとそれを被り、大声で叫んだのです。
「ケレムが謀反を起こしたぞ! 誰かある! ケレムが謀反を起こしたぞ! 宮殿に幽閉せよ!」




