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陛下は、やはり私が考えているような可愛い陛下でした

「自殺……」

 自殺などしてしまえば、天の御門をくぐることができず、魂は救われないまま、あの世とこの世の間で永遠にもがくのです。

 陛下が妻殺しを否定しないのは、自分が殺したとするのは、アイシェ様のためだったのですね。

 でも、なぜ自殺など。

 陛下は自分の評判が落ちることなど後回しにして、アイシェ様の名誉を守ったではありませんか。

 アイシェ様を愛しておられたではありませんか。

 それなのに、なぜ……

「実は、言い難いのですが、アイシェ様は……私の婚約者だったのです」

 なんですって!

「私と陛下、陛下じゃなくてエルトゥールと呼ばせてください。私とエルトゥールとは従兄ということもありましたが、年齢も同じで親しい間柄でした。特に、先帝が、私の父があのような酷い専制政治をしいた事もあり、エルトゥールと私は先帝を失脚させ、ハトゥーシャを良くしたいと考え、叔父上夫婦の庇護のもと、力を合わせることを誓い合ったのです。水面下で動いていたのですが、それがなぜか父の知る所となり、エルトゥールの両親は謀反を企てたとして処刑されてしまったのです。叔父上夫婦は、私とエルトゥールをかばって最後まで首謀者の名を明かさなかったために父の逆鱗に触れたのです……」

「双子の弟君がいたと陛下から聞きましたが」

「ええ、父の命令でそれぞれ前線へと送られ、二人とも若い命を散らしてしまいました。なぜ弟君を先に戦地へ送ったかわかりますか、利衣奈様」

「見せしめ……でしょうか」

「それもあるでしょうが、愛する者を傷つけることで、エルトゥールをより激しく痛めつけるためです。人は自分を傷つけることには耐えられますが、愛する者へ危害を加えられることには耐えられないのですから。救えなかったことで、より深く傷つくのです」

「なんて酷い……人の心を持っているとは言えないわ。いずれ陛下も前線へ送られる運命だったのでしょうね……」

「そうです! エルトゥールの後はきっと私だったでしょうね。その前に我々は先手を打ち、政変を勝ち取ったのです」

 ケレム様はすっかり冷めたお茶を一口含みました。

「私は皇帝の座をエルトゥールに譲りました。叔父上夫婦への贖罪のつもりで……」

 侍女たちの言っていた通りのようです。

「今でも忘れることができませんよ、利衣奈様。エルトゥールの戴冠式の時のこと。神官から帝冠を受けたエルトゥールはハトゥーシャの皇帝に相応しい立派な姿でした」

 ハトゥーシャはきっと良くなる。

 戦続きで疲れた領地も、きっと緑が続く豊かな土地になる。

 暮らしも良くなる。

 みんなが若く新しい皇帝に期待したことでしょう。

「そんな時、私はアイシェに出会いました。皇后選びのために周辺の国から姫君を集めたのです。一目で恋に落ちました」

 ケレム様は下を向き、口に手を持っていきます。

「アイシェは自分を主張するような性格ではありませんでした。いつも人の後ろにいて、転んだ人がいたら駆け寄って助けてあげるような、そんな優しい女性でした。踏みつけられた野花を見て涙ぐむような繊細な人だったのです。たくさんの女性の中でアイシェだけが違って見えた……。アイシェも言っていました。こんな地味な私が皇后になど選ばれるわけがないと。お妃選びが終わったら、アイシェは私と結婚することを約束してくれました」

「……」

「でも、数多の女性の中から、エルトゥールが皇后に選んだのはアイシェでした」

「なぜ真実を伝えなかったのです? ケレム様。陛下ならケレム様のお心を尊重してくださったはずです」

「私はあの先帝の息子なのですよ? 利衣奈様。世論は私にも死を与えるべきだと息巻いていたのですよ? それを窘めて、私の命を救ってくれたのがエルトゥールなのです。私に言えるわけがないじゃありませんか! アイシェを愛しているなど!」

 ぐっと拳を握りしめ、歯を食いしばっているケレム様。

「私たちはしてはいけないことをしてしまいました……」

「まさか!」

「誰が人を愛する心を止められるでしょうね、利衣奈様。エルトゥールの目を盗んで会うようになりました。もちろん、私もアイシェも苦しみました。死を選びたくなるほどに……そして、あの日……」

 私たちはいつものように西の塔で会っていました。壁が崩れかけているところがあって危険だという理由で入口が閉鎖されていたので、誰も西の塔には近寄らないからです。

 塔の一番上の窓からは沈む夕日が綺麗に見えていました。

 今でも脳裏に焼き付いて離れません。

 突然、エルトゥールの声がしたのです。

 ここへ来いと手紙が……ケレム……アイシェ……どうして……

 アイシェは突然、私の手を振り切ると窓へ走っていきました。

 そして窓の外へ身を乗り出したのです。

 エルトゥールの叫び声が聞こえました。

 エルトゥールは窓へ駆け寄り、アイシェに向かって手を伸ばしたのです。

 アイシェは、一瞬、微笑んで

 どちらも裏切れないから

 そう言うと、そのまま、後ろ向きに落ちて行きました。

 夕日の中に溶けていくように、ひどく緩慢な時間が過ぎていきました。

 どれくらい経ったでしょうか。

 ケレム、とエルトゥールは険しい声で言いました。

 アイシェを窓から落としたのは私だ。

 お前は止めようとした。

 いいな?

 いいな?

 いいな!



 私の目から涙がこぼれていました。

 ケレム様は自分の悲恋話に泣いているのだと思っているようです。

 私、はっきりわかりました。

 ケレム様、あなたはとても酷い人。

 陛下がアイシェ様を選ぶとわかっていて、先にアイシェ様に近づいたのですね?

 もしかしたら、選ぶように仕向けたのかもしれません。

 陛下をよく知るあなただから、簡単なことだったでしょう。

 何も知らないアイシェ様を騙したのですね?

 アイシェ様を利用したのですね?

 でも、一番の予期せぬ出来事は、アイシェ様が陛下に惹かれていったことなのでしょう?

 策士策に溺れると言いますでしょう。

 最初はケレム様を好きになったアイシェ様。

 でも、誠実が服を着ているような陛下に勝てると思っているのですか? ケレム様。

 手紙で陛下を呼び出したのは、ケレム様、あなたですね?

 そしてアイシェ様がどうするかは予定済み。

 人は自分を傷つけることには耐えられますが、愛する者へ危害を加えられることには耐えられないのですから。救えなかったことで、より深く傷つくのです。

 そう言ったのはあなたです。

 もしかしたら、先帝に密告したのもあなたなのではないかしら?

 ケレム様、あなたはやはり先帝の皇子ですわ。

 人の心を弄ぶ、酷い人。

 弱い心を利用するなんて

 それはもう人とは言えないのではないかしら?

 良かった。

 私、心から喜んでおりますのよ?

 陛下が、私が考えているような可愛い陛下で。

 ケレム様へ一言、忠告ですわ。

 嘘をつく時は、口に手を持っていってはいけません。


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