恋は人を愚かにしてしまうようですわ……
王都までは目と鼻の先の森の中に、ハトゥーシャの本隊は陣を構えていました。
いくつも天幕が張られ、そこかしこで煮炊きの煙が上がっています。
一際、大きな天幕に連れていかれます。
リシャール副隊長が、私が陛下から賜った恩賜の短剣と書状を将軍に見せ、第六王女リーナであることを伝えています。
「ルロワ将軍……ダラハー攻略には成功しましたが、ウイラード隊長を始め、尊い犠牲者を出してしまいました。取りあえず、動ける六名で人質である王女を連れて参りました」
「そうか……ウイラードが……。ご苦労であった。帰参の宴を用意している。今日は旅の埃を落とし寛ぐがよい」
それから、リシャール副隊長は私をちらりと見ると、将軍に言いました。
「人質はこれからどうなるのでしょうか?」
「聖女様が会って話をしたいとのことなので、ハトゥーシャの都まで連れて行く。言うことを聞かねば首を刎ねるまで」
おおう! 結構、野蛮なお国のようです、ハトゥーシャって。
人質を殺してしまったら、元も子もないと思うのですが。
騎馬民族ということですから、機動力を活かし、力にモノを言わせて、グイグイやってきたようです、今までは。
リシャール副隊長が心配そうにしていますが、問題ありませんよ。
行ってくださいな。
お湯を使ったら必ず傷薬を塗って、言われたお薬を飲むんですよ?
別れる前に約束した通りにしてください。
そう。
私のことは捨て置くようにと言いましたよね?
リシャール副隊長たちが天幕を出て行き、将軍とその従者、私の三人になりました。
さあ、女は度胸です!
「ねえ将軍閣下、聖女様って黒い髪に黒い瞳なのでしょう? 鼻も低いしのっぺりした平たい、まあ特徴のない平凡な顔つきよね?」
「……」
将軍は何も言いません。
自分の顔をあげつらうのは辛いですが、将軍を味方に引き込みたいのです。
それに……
私がぶちゃいくなのは、認めたくありませんが……
事実です……
とにかく、美醜にこだわっていてはいけません。
ウイラード隊長が本隊で信頼できる人というのは、このルロワ将軍とのことでしたから。
「召喚された時に変な板を持っていたでしょう? ファミ、ファミって歌う板よ。私、あの歌の二番も歌えるわよ?」
「何が言いたい?」
「私は聖女様をよく知っているってことよ。よく知っているなんてものじゃないの。私が聖女様なんだから」
「出まかせを言うな! 盟友ウイラードの仇として今すぐお前の首を刎ねてやりたいくらいだ!」
「仇は皇帝陛下の方でしょう? バカ皇帝がバカな命令をしたから、ウイラード隊は酷い目に遭ったのよ!」
「……バカ皇帝」
将軍の手が動いて剣がスラリと抜かれます。
よく手入れされた豪奢な剣です。
抜き身を提げたまま、将軍が私に近づいてきます。
私の細首など紙を切るようなものでしょうね。
だから必死で訴えます。
「あなたに会いに行けと言ったのはウイラード隊長よ!」
将軍が歩みを止めました。
「まさか、ウイラードは生きているのか……?」
「バカ皇帝のせいでウイラード隊長はもう剣を持てなくなったのよ! 親衛隊ではいられなくなったのよ! 死ぬより辛いことじゃない!」
「……知っていることを全部話せ!」
「この人は大丈夫なの?」
私が従者を見ると、将軍は笑顔になりました。
意外と素敵なおじさまの顔です。
「ウイラードの息子だ」
息子さんが天幕の入口を少しめくって外をうかがいます。
それから、きっちりと幕を閉めると頷きました。
「では、父は生きているのですね。あ、ありがとうございます、ありがとうございます! 私は皇帝陛下のダラハー襲撃には反対でした。こちらの損害が大きいとわかっていましたので。でも、命令には逆らえなくて」
「それをさせたのは、聖女様なのね? ルロワ将軍」
「ええ、そうです。でも、リーナ様……、聖女様は確かに黒い髪に黒い瞳だが、ぶちゃいく、あ、いや、あなたの言うような不細工な方ではありませんぞ」
「またまた、本人がいるからって気を遣わなくてもいいのよ?」
「いえ、リーナ様。将軍が仰るのは正しいと私も思います。決して美人とは言いませんが、不思議な魅力を持った方ですよ? 皇帝陛下も聖女様を片時も離さないほどですから」
気弱で平凡な外身でも、中身が入れ替わると少しマシに見えるというのでしょうか。
リーナ様、凄いです。
「とにかく、ハトゥーシャとガスパールの戦いは避けたいの。ガスパールだけでなくて、ほかの国ともよ? あ、ありがとう」
今は、縄もほどいてもらい、火の周りで車座になって座っています。
ビスケットとお茶も出てきました。
「ね、このビスケット、まずいとは言わないけど美味しくもないわね。お茶もそう」
「だが、ハトゥーシャの中では高級品ですよ! リーナ様が贅沢なのではないですか!」
「ああ、ごめん、ごめんなさい。バカにしたわけじゃないの。でもねえ、何だか色気のない味ねえ」
そうなんです。
将軍の天幕とはいうものの、特別立派なわけではなく、どちらかというと質素なのではないでしょうか。
ハトゥーシャは男文化が大勢を占めている国のようです。
「宮殿の中は豪勢なのかしら?」
「え? いえ、そんなことは。私たちとそんなに変わりませんよ。皇帝陛下は贅沢な方ではありませんから」
そこは良いところのようです。
「皇帝陛下ってどんな方なのかしら?」
「戦好きだと言われてます。領土を広げることが趣味みたいで」
「体育会系なのね。奥様は?」
「ええ、あの、跡継ぎに恵まれないからと、その……」
「窓から突き落として殺した、と言われております。妻殺しと」
「……ルロワ将軍」
「そうですな、陛下が周辺各地へ侵略を始めたのも、その頃でしたか。皇后は聖女様と同じ黒い髪に黒い瞳でした」
「側妃を出せと言うのは……」
「ああ、ははっ、あの噂ですか。側妃を出させておいて首を刎ね、死体を送り付けてきたと言って、言いがかりをつけて攻め込む、というものですな。あれは、小国が作った作り話ですよ、リーナ様。これだけは皇帝陛下のために言っておきますが、ある時、縁談を持ちかけられた小国の王が、妻殺しの名前に恐れをなして、娘を不憫に思ったのか首を刎ね、死体を送り付けて来たのが始まりです。王自らも自死し、国は崩壊したと。一度、そういうことが起こると噂が独り歩きいたします」
「……じゃあ、妻殺しも、本当は事故かもしれない、ということ?」
「私たちはそう思っております」
ハトゥーシャの皇帝陛下に対する認識が随分と変わってきました。
ハゲでデブのエロジジイではないかもしれません。
むしろ、亡くなった妻に似た黒い髪に黒い瞳の女性の関心を引こうとして上手く行かない、とても不器用な人に思えてきました。
けれど、今、その聖女様の言いなりになって、しないでいい戦いを仕掛けているのも本当です。
殺風景な宮殿で、質素な食事をとり、休むことなく鎧に身を包み、馬を駆る。
繰り返し、繰り返し、繰り返し。
ただ一人の人の笑顔が見たいために。
ただ一人の人に褒めてもらいたい、それだけのために。
何をすれば喜んでくれるのかわからなくて。
どうすれば笑ってくれるのかわからなくて。
自分のできることと言えば、戦うことだけ。
私と同じではありませんか。




