人の恋路に首を突っ込むのは無粋ですわよ、と誰かが言った BYトーリ
トーリ視点です。
「ダメ、出来ない。メラニーさん……お願い……」
「やはり、ここはリーナ様が先に……」
「だって、こういうのは元侍女の方が慣れていると何かの本に」
「何かって、何の本ですか!」
「だって、修羅場だったらどうするの!」
「修羅場よりも濡れ場なのでは……」
「ストーップ! メラニーさん! 待って! ひとまず待って! はあはあ……ドアを開けるのがこんなに難しいとは」
ここは診療所の裏手に建て増しされたレネの宿舎である。
寝室と台所の二部屋しかないそこの寝室のドアの前で、リーナとメラニーさんは押し問答を繰り返しているのだ。
昨日ダラハーへ着いたのだが、兄上はレネの診療所に連れて行かれて一晩戻って来ず、明けた今朝なのである。
「やけに静かね。まさか思い余って」
「リーナ、レネは医者だろ? それはないと思うぞ」
「そ、そうね。人を助ける人が、人を……何て、ないわよね。でも、一体何をしているのかしら」
いい年をした男女が一晩一緒にいて、何をしているかなんて……
リーナに聞いたら『トランプ』と言っていた。
トランプではないと、俺は思う。
メラニーさんの言う『ジャンケン』も絶対違う。
とにかく。
騒いでいるだけではドアは開かないのである。
焦れた俺は叫んだ。
「俺が行く!」
「だめーっ! トーリ様! レネ先生は女性なんですよ! 女性の寝室に男性が入るなんて!」
リーナとメラニーさんの口調は、双子か、というぐらい揃っている。
仲が良いんだな。
しかし。
「兄上は中にいる」
「だから、困っているんです!」
よくわからん。
この問題を解決したいのか、したくないのか、さっぱり見えてこない。
女って好きだよな、こういう取り止めのないやり取り。
ドアは蹴破って幾らだろ?
不意に、俺の脇をトコトコとすり抜けて行った者がいる。
あれ、こいつは、確か。
ガチャ。
ついに禁断の扉が開いた。
リーナとメラニーさんが叫んだ。
「キャーッ! マシューくん! ダメー!」
物ともせず、ガキは言う。
「レネ! みずやりおわったぞ! おやつ!」
「ああ、マシュー。ご苦労さん。リーナにおやつをもらっておいで……、って三人とも何でそんな所に突っ立ってるんだ?」
狭い寝室の中は呆れるくらい物が少なくて、壁に寄せた木のベッドに赤茶の髪が見える。
後は机と椅子が一脚。
机の上にも床にも本がうず高く積み上げてあった。
レネは昨日と同じようなヨレヨレの恰好だが、目が少し赤い。
まさか泣いた? 泣かせた? 俺が? 兄上が?
「あ、あの、朝食、どうなさるのかと、思って、あの、ここへ運びましょうか」
リーナが力を振り絞って答えた。
もう朝食というより、おやつの時間に近い。
レネはベッドの赤茶の髪を愛おしそうに撫でると寂しそうな顔になった。
そんな顔をされると、何だかこちらが悪者のように思えるじゃないか!
「ああ、大丈夫。行くよ。気を遣わせて済まなかったね……」
スープを置くリーナの指が震えているのがわかる。
「ありがとう……」
レネがパンをちぎって口に運ぶ。
スープを掬って口に運ぶ。
寝室の隣りの台所に小さな咀嚼の音が続く。
俺たちは息を潜めてレネを見守っていた。
何を待っていたのか、何を恐れていたのか。
スプーンが止まった。
「そんなに睨まなくても、公爵夫人に納まったりなんかしないよ、弟くん」
え、俺?
睨んでなんかいないぞ。
「ザッカリー家は公爵家だったのですね」
「リーナ様、知らなかったのですか?」
リーナのバカ。何を今更のように。
「私は貴族が嫌いだし、大体、私は平民だし。それにね、医者の医療行為を勘違いされても困るんだよ。お兄さんには一晩中、説明したんだが、わかってもらえない。弟くんからも、兄上によく言って聞かせてくれないだろうか。とても迷惑してるって」
レネはそこで一息入れたが、そんな真っ青な顔で言われても説得力ないんだよ。
俺をちらりと見たリーナがまことしやかに言う。
「それでは、レネ先生、ローリ様は公爵家であることをカサにきた、権力でレネ先生を縛ろうというロクデナシなのでございますね? あのようにお優しく見えるのは上辺だけで、本質は嫌な貴族ヤローなのですね?」
リーナ……グッジョブ!
「そ、そこまでではないが、とにかく私は嫁になんかならないから。公爵家に釣り合う家柄の娘を探せって言っといてくれ、リーナ」
「まあ、レネ先生。そんなに迷惑だったんなら、お金だけ頂いてはどうかしら? ほら、いわゆる迷惑料ですわ? レネ先生が言いづらいなら私が」
「迷惑を被るのはローリの方だから! そんなことをする必要はない! 王女を降嫁してもいいくらいの家柄なんだ! 私みたいなのが、ウロチョロしたら迷惑なんだよ!」
レネがテーブルを叩いたので、スプーンが落ちた。
今度はメラニーさんが俺をちらりと見る。
俺は頷いた。
押せ! もう一押し、押せ!
「でも、レネ先生。ローリ様のような方から求婚されたら私だったらお受けしてしまいそうですわ。だって贅沢ができるうえに、あんな素敵な旦那様が手に入るのですもの」
「メラニーさん! 私なんかと結婚してみろ! ローリと一緒に公爵家から放り出されてしまうよ。私のしがない給料で二人で食べて行くんだぞ! 贅沢どころか、金のことで毎日ケンカ続きだよ」
「でも、レネ先生、そういう時こそ愛情があるのではありませんか? 愛しているからこそ頑張れるのではありませんか?」
「リーナ……愛しているからこそ、苦労なんかさせたくないんだ! あの人に、生活の苦しさなんて味わわせたくない。だから逃げ出したのに! 何故、追いかけてくるんだ! 愛しているから、逃げたのに……」
言わせた!
そう思った瞬間、後ろから低い声が聞こえてきたんだ。
「……そうか、嫌われたのでなくて良かった。トーリ、レネをあんまりいじめるな。私が不甲斐ないから嫌われたのかと思っていた」
「兄上! いつからそこに? 俺はレネの気持ちが知りたかっただけだ! 本当は兄上をどう思っているのか、知りたかっただけだ。できたら、協力するつもりだったから」
「……そうか。私はお前に心配をかけてばかりだな。枕が違うと眠れなくて。それに隣りの部屋からは怒鳴り声が聞こえて来るし」
「ローリ……」
「私だって少しは考えているよ、トーリ。薬草栽培の許可を取ったし、薬種業の認可も降りた。ここで薬草園を作ろうと思ってるんだ。家を出ても食べて行けるように。レネのそばにもいられるし」
「トーリ様、上手く行って良かったですね! ローリ様もほっとされているみたいですわ!」
リーナとメラニーさんの目がキラキラしている。
「爺より上手だったよ、リーナ、メラニーさん。爺は大根役者だったなあ。爺、一つ貸しだからな。全く。お前がこんなに芝居がヘタだとは思わなかったぞ!」
「……トーリ様、家の方はどうなさるおつもりなのですか?」
「ま、当分好きにやるさ。親父も老け込むには早いし、兄上の子どもに継がせてもいいし、ユーリ兄上もいるし、俺だっている。どうとでもなるさ。ならなくなったら、いっそ潰すか? 親父が若返るかもな。器よりも中の人間を大事にするようになるかも」
ははっ! マジ、疲れた。
慣れないことはするもんじゃない。




