嘘と秘密は乙女の必需品ですわ
アレクサンド様のお世話はメラニーさんに任せることにして小屋ごと明け渡し、私は領主館へと戻ってきました。
やはり全裸の男性のお世話は、私には到底無理だとわかったからです。
それに、それにですよ。
トーリ様がいらっしゃることになったんです!
お兄様もご一緒です。
レネさんの反応が今から楽しみです。
ニヨニヨしてしまう私です。
ヒュージェットさん言うところの『本当』とやらを見せていただこうではありませんか。
何週間か経った夕方、ダラハーの村に立派な馬車が到着しました。
扉の紋章はザッカリー家のものです。
私はヒュージェットさんと並んでお出迎えです。ドレス姿ではありませんが、さすがにボンネットはかぶっていません。
「ヒュージェットさん……、こんな立派な馬車を見ると、ここへ来た時のことを思い出します」
「リーナ様……」
「随分、昔のような気がしますね、ヒュージェットさん」
「そういえば、一年、経ちましたな、リーナ様」
「……そうね……」
トーリ様が初めてダラハーへいらっしゃる。
これを機に私には心に決めていたことがありました。
ハトゥーシャとのことが落ち着いたら、トーリ様に全てお話しして、つまり、私が異世界から来た迷い子だということを打ち明けて、どこか他の国に行こうと思っているのです。
何しろ、私には迷い子特典があるので、どこの国でだって生きて行けますから。
お人形かしら。
そう思ったのも無理はありません。
トーリ様に続いて馬車から降り立ったのは、アイスブルー、いえ、もっと深い色の瞳に、赤茶の髪をした、それはそれは綺麗な男性だったのですから。
この方がお兄様……
ご兄弟だけあって、トーリ様とお顔はよく似ていらっしゃいますが、繊細で儚げな印象を受けます。
お体があまり丈夫ではないとのことなので、余計そんなことを思うのでしょう。
お兄様がトーリ様に手を引かれて、私の前にいらっしゃいました。
「兄上、これがリーナです。リーナ、ローリ兄上だ」
優し気な瞳に見つめられて、ドキドキしてきました。
きっと顔も赤いです。
「初めまして。リーナでございます」
メラニーさんに淑女のお辞儀を習っておいて良かったと思いました。
何てったって、小国とはいえ、王宮の、それも王妃付きの侍女だったのですから、私より宮廷のしきたりには精通しています。
誰も教えてくれなかったのですかと逆にメラニーさんに言われ、嫌われ者だから公式の場には出してもらえなかったのと、苦しい言い訳をしてしまいましたが。
「よろしく、リーナ。私がローリだ。世話をかけるね」
「ひゃん!」
手を取られ、手の甲にキスされてしまいました。
思わず変な声を出してしまった私です。
「兄上!」
「レネ!」
この噛み合わない兄弟の問答の原因を探れば、診療所から出て来たレネさんなのでした。
いつも大体ヨレヨレの恰好をしているレネさんですが、今朝まだ暗いうちに牛の出産があったとかで、今日はことのほかヨレヨレで頭もぼさぼさです。
さっき見た時は診療所のベッドで寝ていましたから、今、起きて来たに違いありません。
あ、大きな欠伸です。遠慮ないですね。
「ああ、ローリじゃないか。久し振りだな。そういえば今日だったかな。着くのは」
「レネ! レネ! 会いたかったよ!」
ローリ様は弟の手を離すとレネさんの方へ駆け寄り力任せに抱きしめたのでした。
トーリ様の顔がひきつります。
「レネ、会いたかったよ」
ローリ様、色気がダダ漏れです。
「それはどーも。リーナ、今からメラニーさんのところへ往診に行くから用意し、て、苦しいよ! ローリ! 離せってば! ローリ! ローリ? お前、熱っぽいぞ! また無茶したな! バカ! 診療所に来い!」
今度はレネさんが、ローリ様を引きずって連れて行きました。
「レネは腕の良い医師ですからね、ご安心を、トーリ様」
「爺! 男だろ、レネは? それも貧相な! それなのに兄上は、レ、レネに求婚するなどと! 王都からダラハーまでの間、ずっと聞かされ続けてきたんだぞ!」
「何と! なぜそのような誤解が! レネは女医ですぞ、トーリ様」
「女! あれが女! ローリ兄上はいったいどこがよくて求婚などと戯言を」
「ヒュージェットさん! 私もメラニーさんもレネ先生は男だと思ってたのよ」
「リーナ様まで」
「だって、自分のこと僕って」
「ああ、それはですね。医師の世界は男社会ですからな、舐められないようにと始めたのがクセになっているらしくて」
まさかのボクっ娘だったんですか! レネさん!
「と、とにかくトーリ様、病人は医師に任せて、我々はひとまず領主館へ参りましょう。手紙で知らせましたようにアレクサンド様に会っていただきたいのです。お怪我をされているので、こちらから出向くとアレクサンド様には伝えてあります」
「……、そうだったな。ハトゥーシャが絡むとなると厄介だからな。そうするとしよう」
領主館に荷物を置き、そのまま私が以前住まいにしていた小屋を目指します。
近づくにつれて子どもの泣き声がしてくるのに気が付きました。
マシューくんです。
何かイタズラをしてメラニーさんに叱られているのでしょうか。
でも、そんな微笑ましい事態ではないことがすぐわかりました。
声を上げているのはマシューくんだけだからです。
アレクサンド様とメラニーさんはどうしたのでしょう。
まさかハトゥーシャが?
私が先に一人で小屋に入りました。
マシューくんが飛びついてきて訴えます。
「りーな、りーな、ねえ、とうさまだよね、このひと、とうさまだよね!」
「マシューくん……」
「だって、メラニーがいったもん! いいこにしてたらとうさまがむかえにきてくれるっていったもん! ボクとおなじきんのかみにあおいめのひとだって、いったもん!」
「メラニーさん……」
「去年頃から、父親のことをしつこく聞いてくるようになってしまわれて。多分、遊び友達に何か言われたのだと思いますが。それで、つい、アレクサンド様のことを……」
「うそつき! メラニーのうそつき! だいきらいだ!」
私がマシューくんをたしなめようとした時でした。
「マシュー! メラニーに謝りなさい!」
アレクサンド様が大声でマシューくんを叱ったのでした。
大人の男性の一喝にマシューくんは口をつぐみました。
アレクサンド様は今度は優しく仰います。
「父さまじゃないと、メラニーが一度でも言ったかい? マシュー」
「ううん、いってない」
「だろう? でも父さまが悪かったね。ごめんな、マシュー。怪我がもう少し良くなったらマシューに言おうと思っていたんだ。父さまが悪かった。父さまはマシューに謝ったよ? 今度はマシューがメラニーに謝る番だ。ちゃんと言えるかな?」
「ごめんね、メラニー」
「良く言えた。いい子だ。ここへおいで、マシュー」
「とうさま! ボクのとうさま! はやくおけがをなおしてね! そしたらつりにつれていってくれる? おおきなふねもつくってくれる?」
「ああ、もちろんだ。馬の乗り方や剣の使い方も教えてあげられるよ。そうだな。まずは二人で釣りに行こう。約束するよ」
「やったあ! シャルルやミラやガブリエルにじまんしてやるんだ! やったあ! とうさま、だいすき!」
「父さまもマシューが大好き……だよ……」
く、とアレクサンド様は唇をかみしめられました。お兄様ご一家の最期を思い出されたのでしょう。
メラニーさんがマシューくんを連れ出してくれました。
トーリ様、ヒュージェットさんが中へ入ります。
アレクサンド様は目を少し赤くしていました。
「私も父に随分、遊んでもらったことを思い出しました。私は、母が平民でしたので長い間庶子扱いだったのを不憫に思ったのでしょうが。兄も子煩悩な人でした。いや、失礼いたしました。怪我のためこんな恰好ですみません。ハトゥーシャのことですね?」
「ええ、今はどういう状態なんでしょうか? こちらには断片的な情報しか入って来なくて」
「かなり悪いです。あまりに強大になり過ぎたが故に小さな穴から自滅していくでしょう。ハトゥーシャの辺境領でも、現皇帝に反旗を翻そうという動きが。それと同時に、やはり大樹に集うべきという穏健派も看過できません。クラルスはアントワーヌ様を担ぎ出して国の復活をともっともらしいことを言い出していますが、その実はアントワーヌ様の首を手土産に長老たちが皇帝にすり寄って自分たちの地位の安定を図ろうという腐った国に成り下がっています。私はそれをメラニーに知らせようとしたところを襲われて、やっとの思いでここまでたどりついたのです。クラルスはお終りました」
「では、ガスパール攻略としては」
「まず背後を押さえておいてから、正面から交渉にくるでしょうな」
「背後とはダラハーですか!」
「はい、リーナ様。そして、正面からは堂々と使者を立てて縁組を申し込んでくるはずです。七番目か八番目の側妃を差し出せと」
「側妃を出せば円満に解決するのですか?」
「いいえ。ハトゥーシャ領に入る前に首を刎ねられます。そして死体を送り付けてきたと言いがかりをつけて一気に攻め入って参ります」
「何て卑怯な! その皇帝というのはハゲでデブのエロジジイに決まってます!」
「ぷっ! リーナ……。でも、そんな皇帝なら例えば側近の中にも反皇帝派がいるかもしれない」
「ええ、トーリ様。まさに狙い目はそこでしょうけど」
「爺、何か妙案はないか」
「私の弟子や昔の仲間が各国に散らばっております。連絡を取ってみるのも一策かと」
「ネットワークを作るのね! ヒュージェットさん!」
「ね、根と、何ですかな、リーナ様」
「よ、要するに、連絡網ってことよね?」
アブナイ。
生まれ変わったら現代用語の基礎知識を手元に置くようにしたいと思います。
「これ全部リーナが? これは驚きだ。凄いじゃないか」
領主館へ戻り、夕食にいたしました。
トーリ様がいらっしゃるので、今夜は特に頑張りました。
ローリ様は今夜は診療所泊まりでしょうか。
「実は少し手伝ってもらったものも……」
「いや、美味いよ、本当に。リーナ、変わったな。何だかたくましくなった」
「薪割りは苦手ですわ、未だに」
「そういうたくましいじゃなくて、そうだな。強くなったのかな。俺も負けそうだ」
「誉め言葉に思えません」
「誉めてるよ。リーナには感謝してるんだ。あの時、『もっと大人になられませ!』って怒鳴ってくれたこと。兄上の手伝いをしてみて領地経営の怖さがわかった。親父の言うことも少しは聞けるようになったし。これでも自分なりに色々考えるようになったんだからな」
トーリ様も変わりましたよ。
余裕が出て来たというか、変に肩ひじをはったところがなくなったというか。
私たち、今、かなり良い関係なのではないでしょうか。
私の目の前で料理を食べ、ワインを飲み、ヒイヒイ笑ったり、嫌味な目つきをしたり、すっとぼけた顔や真面目な顔をしたりしている人。
でもイケメンですよ、この人、相変わらず。
私、本当にこの人と別れることなんて、できるんでしょうか。
正体を明かして、ハイ、サヨーナラ、なんてできるんでしょうか。
正体を明かすコトもないし、黙ってこのままいてもいいんじゃない?
なんて悪魔のささやきも聞こえます。
メラニーさんなどは、離婚する気ならさっさと貴族院に届け出してますよ、と言うのですが。
ワイングラスを持っている剣だこのあるあの指が、私ではない誰か知らない女性の指を捕まえる日が来るのかもしれない。
そんなことを考えると、自然と涙が出てきます。
ワインを少し飲み過ぎたのかもしれません。
インフルエンザで三日ぶりのシャバだぜ!
仕事納めもせずに病院行ったぜ!
年が変わりそうだぜ!




