大切なことは、目に見えないからね
明け方のことです。
ガタンと大きな音がして目が覚めました。
いつの間にか眠ってしまったようです。
あ、あの人は?
ワラ布団にかけたシーツは血だらけです。
が、姿がありません。
まさか外へ出た?
無茶です!
あの体で!
案の定、扉の外で倒れていました。
「あなた! 無茶しないで! 骨が折れてるのよ!」
「アントワーヌ、ど、こだ……」
青い、青い瞳です。
「また、それなの? アントワーヌさまより、自分の心配よ! 言うことを聞きなさ、ちょっと! しっかりして! レネ先生……レネ先生を呼ばなきゃ!」
「ふう、丈夫なヤツで助かった。それにリーナの処置も良かった」
「この村の人ではありませんね。見たことがない人ですもの」
「着ているものは上等だな。ま、切っちゃったけどね。さて、どうしよう」
「え? 服ですか? メラニーさんに頼んで着替えを探してもらいましょう」
「いや、服じゃなくてね。こいつ、しばらくは動かせないからね。往診には来るけど、ここはベッドは一つしかないし。リーナ、僕の家に来て一緒にベッド使う?」
レネさんはにやにや笑っています。
「使いません!」
「じゃ、ここでこいつに添い寝するんだね?」
「添い寝もしません!」
でも、この人をほったらかしにするわけにも、いきません。
「こんな包帯グルグル巻きの人が何かするとは思えません。ここで私が看病いたします」
「全裸だけど、大丈夫かな?」
「け、怪我人です!」
「トーリとはタイプの違うイケメンだよ?」
「怪我人です! って、え? トーリ様を知っているんですか、レネ先生」
「トーリの兄上の主治医だったからね、僕は。ローリに会ったことある? リーナ」
「会ったことはありません。何でもお体が弱い方だとか」
それで、宰相とトーリ様は親子ゲンカしてしまったのですから。
「ローリ様って、どんな方なのですか? レネ先生」
「一言で言えば、鬱陶しいヤツ、かな?」
鬱陶しい……
では、レネさんはローリ様の主治医であることが嫌になって、こんな僻地へ来てくださったというのでしょうか。
ヒュージェットさんは、レネさんは貴族のご機嫌取りやお世辞を言うことが出来なくて、王都では干されていたと仰っていました。
ローリ様というのは、そんなに嫌な患者さんだったのでしょうか。
トーリ様のお兄様なのに、ちょっと想像がつきません。
「じゃ、リーナ。目が覚めたらこれを飲ませてやって。メラニーさんに手伝いに行くように頼んでおくから」
「すみません、レネ先生。診療所のお手伝いができなくて」
「いいよ、いいよ。リーナは頑張り過ぎだと思うから少し休んだほうがいい。添い寝」
「は、しません! 何度言ったら」
「おおっと! 患者が来る時間だ。また診に寄るよ!」
レネさんは白衣を翻してバタバタと小屋を出て行きました。
さて、怪我人です。
今は私のベッドでぐっすり眠っています。
全治三ヵ月くらいかな、とレネさんは仰っていました。
重症ですよね。
鍛えてあるから、これぐらいの怪我で済んだようです。
でも、まあ、見事に満身創痍です。
どうしてこんなことになったのでしょうか。
起きたら聞いてみたいものです。
何より、あの綺麗な青い瞳をまた見てみたい、そう思ったのでした。
汚れたシーツを洗濯して干していたらヒュージェットさんが来られました。
青い瞳の怪我人のことは知れ渡っているようです。
「リーナ様……」
何やら深刻そうな顔つきです。
「どうやらこちらの若者は招かれざるお客のようですな」
「え? どういうことなの? ヒュージェットさん」
「この若者は隣国ハトゥーシャから来たようです。木を伝って降りてくる途中で落ちたのでしょう。崖の斜面に生えている木がなぎ倒されていました。地滑りの後も。何か話はされましたか」
「いいえ。でも、アントワーヌという人のことは何度も口にしていました。誰なのかしら、アントワーヌって」
「アントワーヌ、いや、まさか……」
「心あたりがあるんですか? ヒュージェットさん」
「四、五年前にハトゥーシャがクラルスという小国を属国としたのですが、その時に国王一家は処刑されたのです。でも、赤ん坊だった末の王子だけは侍女と共に落ちのびたと聞きました。その子の名前がアントワーヌだったかと。クラルスはその子を担ぎ出してハトゥーシャからの独立を勝ち取ろうとしているのかもしれません。ハトゥーシャはそれを阻止するためにアントワーヌを探しているとか?」
「ダラハーに王子様がいると言うの? 四、五年前に赤ちゃんだったとしたら……、マシューくんくらいになっているわね」
金髪の巻き毛、青い瞳のマシューくん。
今、ベッドにいるあの人も同じ金髪の巻き毛に青い瞳です。
でも、マシューくんはメラニーさんの息子です。
偶然ですよね。
ヒュージェットさんと何となく黙り込んでしまいました。
そこへ明るい声がします。
「あ、メラニーさん……」
「レネ先生に言われて手伝いにきましたよ! 何でも全裸のイケメンだとか。一体、どなたなんですか? リーナ様」
「まだお名前もわからないのよ、メラニーさん。ヒュージェットさんが仰るには、ハトゥーシャから来たのではないかって」
「ハトゥーシャ? では崖を降りて来たということですか!」
「ええ、そうみたい」
「なぜ助けたりしたんです!」
そう言うとメラニーさんは凄い勢いで小屋に入って行きました。
私もヒュージェットさんも慌てて後を追います。
ベッドの脇でメラニーさんは薪を手に立っていました。
殴り殺そうとでもしたのでしょうか。
肩で息をしています。
こんなに余裕のないメラニーさんを見たのは初めてです。
「……メラニーさん?」
「この方は、ハトゥーシャから来たのではありません……。この方はクラルスの王弟殿下アレクサンド様です。アントワーヌ様の叔父様です……」
メラニーさんはベッドに近づくと膝をつきました。
そして傷だらけの手を取ると、頬を寄せ、静かに涙を流し始めたのでした。
ヒュージェットさんと私は、音を立てないように小屋を出ました。
切ない限りです。
いつも明るくて、賑やかで、楽し気で。
メラニーさんをマシューくんのお母さんとしか見ていなかった私たち。
四年前。
マシューくんとメラニーさんを逃がしたのはアレクサンド様だったのでしょう。
メラニーさんは恋しい人の思いに応えてマシューくんとともに、あの崖を降りてきたのです。
捕まれば処刑される。
崖を降りきることができれば生き残れる。
イチかバチかの賭けにメラニーさんは勝ったのです。
ここは政治犯や思想犯を集めた、中央からも見放された土地。
管理しているのが、ずぼらな役人だったことも幸いしたのでしょうね。
子連れだったことも良かったのかもしれません。
辺鄙な土地で目立たないように生きてきたのでしょう。
前の世界の私と同じです。
でも、アレクサンド様はここへとやってきた。
クラルスで何かが起きようとしているのかもしれません。
それを伝えようとしたのだと思います。
何だか、メラニーさんが羨ましいです。
羨ましくて涙が出そうです。
ヒュージェットさんが唐突に言い出します。
「私が以前に指摘した通りですな。ダラハーの危機ですぞ、これは。トーリ様に一度ダラハーへ来ていただかなければなりません、リーナ様。もちろん領主として」
「ヒュージェットさん……」
「それに帳簿のチェックもしてもらわないといけません。領主として当然の仕事ですから。えー、おっほん。早速、ツナギをやりましょう」
「ヒュージェットさん……」
「おお、そうだ! 療養ということでローリ様もお呼びましょう。レネが会いたがっていますからね」
「え、レネ先生はローリ様のことを鬱陶しいヤツだと仰っていましたけれど」
「清い水は川の深い所を流れる、と言いましてな、リーナ様。表面だけで判断してはいけないのですよ。メラニーさんに教えていただいたばかりでしょう?」
異世界にも星の王子さまがいらっしゃるようです。




