エピローグ
エピローグ
全てが終わりを告げた。
エストが死亡して結界がなくなった後、拡散した瘴気は全て、マリナの大魔術によって消費された。
その結果、レデニア周辺の空気は全く淀んでおらず、アグリム・ドゥガルが現れる以前の様子を取り戻していたのであった。
瘴気が消失する直前にあった、瞬間的な天変地異は特に町に被害をもたらすこともなく収束し、渦中にあった人間以外はアレが何だったのか、詳細を知ることもなかった。
そんな平穏が戻ったレデニアに、英雄たちが帰還する。
****
坑道の集落でケンジとカミケンの帰りを待っていたフィーナやグラナル。
一瞬、坑道付近すらも覆い尽くした瘴気により、付近の人間のほとんどが倒れてしまったが、居合わせていた解毒術師や治癒術師によって治療が行われ、現在は全員が毒を取り除かれピンピンしている。
そんな中に、山の上の方からよたよたと戻ってくる影が二つ。
「あっ! 帰ってきた! 帰ってきたぞ!」
その姿を確認した町人が歓喜の声を上げる。
声に気付いた周りの人間が次々と集まり、二人の下へ駆け寄った。
「ストライダーだ! ストライダーが帰ってきた!」
戻ってきたのは言わずもがな、ケンジとカミケンの二人。
満身創痍のカミケンに肩を貸しながら、ケンジが手を振っていた。
カミケンはフツ・レンツィスに刻まれた魔術によって、ある程度の応急処置がなされていた。
念のため、と治癒術を刻んでくれていたレデニアの魔術師や職人には感謝してもし足りない。
「ほら、カミケン。みんなが出迎えてくれたよ」
「ああ……帰ってきたんだな、俺たち」
喜色満面の町人たちの姿を見て、二人は安堵の笑みを零しあう。
ようやっと平和を取り戻したのだ。
二人で手に入れた平和。それをかみ締めつつ、町人たちの輪の中へ入っていった。
それからはまた時の流れが早かった。
無事にアグリム・ドゥガルを討伐をしたことを報告し、これでレデニアは平和になったことをグラナルに告げた。
報告を受けたグラナルはすぐにレデニアに戻って、町の人々にそれを発表した。
町は歓喜に包まれ、すぐ傍の脅威が取り払われたことを喜び、ストライダーを称えた。
町人はすぐに宴の準備を始め、その日の夜には盛大な祭りが開かれることになった。
レデニアの町に新たな記念日が作られた瞬間であった。
その祭りの中、庁舎の中でフィーナは祭りの様子を眺めながら、静かにゴブレットを傾けた。
「そうですか……マリナが……」
ケンジから報告を受け、フィーナは複雑な表情を浮かべていた。
グラナルも部屋の隅で酒を煽っている。
「すみません、ボクがついていながら、マリナを守りきれなかった……」
「いいえ、ケンジさん。これもあの娘が望んだことなのでしょう」
「我々も全くの被害がなく、あの邪竜を討伐できるとは思っておりませんでした。……それが身内だったのは、きっと不幸中の幸いであったと思います」
「お父様……」
ゴブレットの中の酒を空にし、赤い顔に少し涙をにじませたグラナルは、呟くように言う。
「まだ、アレとはお互いにわだかまりを持ったままでしたが……この結果はもうどうしようもありません。受け入れるしかないのでしょうな」
「グラナルさん……」
「すみません、ケンジさん。私は町の見回りに行ってきます」
そう言って、グラナルは部屋を出て行ってしまった。
マリナとグラナルの間には、一言で言えない色々な事情が挟まっていたが、それでも最後の最後に父娘としての絆を取り戻せそうな気がしていた。
それだけに、こういった別れになってしまったのは、グラナルとしてもこの上なく悲しいことであろう。
そんな父の背中を見送りながら、フィーナも目じりをぬぐった。
「ケンジさん、マリナのことはあまりお気になさらないでください」
「フィーナさん……」
「……本音を言えば、あの娘にはもっと幸せになって欲しかった。そうなる権利があったはずなんです。これまであの娘はとても厳しい人生を送ってきたんですから、これから先、いくらでも幸せになってよかった。……そう、なって欲しかった……」
堪えられず、フィーナが大粒の涙を零す。
彼女にとって唯一の妹であった。
グラナルは父であり、町の運営の師匠でもあったため、家族としてと言うより仕事上の上司として付き合うことが多かった反面、マリナとはとても親身に接していたのだ。
本当の意味で心を許していたのはマリナだけだったと言っても良い。
そんな最愛の妹を亡くして、悲しくないわけがない。
ケンジには『気にするな』と言うものの、それが本心であるわけもなかった。
「すみません、ケンジさん……今は、一人にしてください」
「……わかりました」
ケンジには何も言葉がかけられず、フィーナに言われるままに部屋の外へと出る。
こんな時、人生経験の浅さが悔やまれる。
涙に濡れる女性を前に、気の利いた言葉の一つもかけてあげられないとは。
祭りの夜は、そんな悲しみに気付くこともなく、焚き上げられたキャンプファイアと共に燃え上がっていく。
宴は夜通し行われ、陽気な楽器の音や、調子はずれの歌声は、いつまでも続いていくのであった。
****
翌日。
宴の片付けに追われるレデニアの町の上空に、突如として不思議な影が浮かんだ。
『この世界にいる、この世界の住民でないものたちよ。我が声を聞け』
それは遠く響く雷のように低く、腹の底にズシンと来るような声音で語りかける。
『そなたらはこの世界の神との契約を完遂し、邪竜を討ち滅ぼした。次はこちらの契約を履行する時である。速やかに準備を済ませ、帰還するがよい。扉は既に開いておいた』
町人全てが見上げるなか、特に返答を聞くような素振りもなく、影はただただ呼びかけてくる。
この世界の住人ではないもの、つまりケンジとカミケンの二人に対して。
「そういえば、エストが言っていたな」
家の中から、窓の外に浮かんでいる影を見上げてケンジが呟く。
「ボクらの世界の神様と契約して、現世の人間をこっちに呼んだんだって」
「そうなのか……」
痛む身体をベッドに横たえながら、カミケンは何とか朝食を摂っているところであった。
エストの話では、この世界でマナの発生器官を手に入れた人間を現世に迎えることが、現世の神にとっても有益になるのだとか何とか。
こちらの世界での仕事が完遂なされたのだとしたら、二人は速やかに現世に帰らないといけない。
勝手な話だが、そういう契約だと言うのだからどうしようもない。
「粕谷は良いのか? 君にとって、この町はとても大事だろ?」
「それはそうだけど……」
ケンジにとってレデニアは最早、第二の故郷といっても良いほど愛着のある町であった。
ボロボロだったレデニアの町に降り立ち、町の人間と共に復活させ、そして窮地にあった町を救うに至った。
たった一年ほどしか滞在していなかったが、それでもこの十数年生きてきた中で、一番に濃い経験をした町でもある。
そこを離れるのは、正直心苦しい。
「でもさ。ボクが駄々をこねて、それでどうにかなると思う?」
「うーん……」
窓の外に浮かぶ影。アレはエストと同じく神であるとは言え、同格であるとは言えないだろう。そんな風格がある。
何せ、片や泉に現れる普通の女性の姿、片や空中に浮かぶ巨影である。
どう考えても格が違いすぎる。
「エストを殺すことは出来ても、ボクにアレを殺すことは出来そうもない」
「不穏なことを言うなよ、粕谷……」
「だって、契約を破るにはそれぐらいしか方法が思いつかないし。……だからまぁ、帰るしかないんだろうね」
通常、人にはどうすることも出来ない次元に存在するもの、それを神と呼ぶのだろう。
空に浮かぶあの影は、紛れもなく神である。ケンジの剣も届くまい。
その点、エストの格は精霊止まりだったわけだ。アグリム・ドゥガルも『精霊』としか呼ばなかったのはその所為であるのかもしれない。
「そういうカミケンはどうなのさ? 向こうに帰りたいと思ってるの?」
「そうだな……俺の場合は、ずっとエスト様と訓練ばかりしていた思い出しかないし、帰ることにもそれほど抵抗はないかな」
「……そうか。そう言えばそうだったね」
カミケンがこの町にいたのはほんの短い期間である。
ほとんどの時間はエストと共に訓練を続け、ひたすら自分の力を高めることに費やしていた。
それでこの世界に愛着を持てと言うのも難しい話か。
「俺だけ帰って、粕谷は残してもらえるように頼む、とか無理かな?」
「さっきの声、聞いてた? 『この世界の住民でないものたち』って言ってたでしょ? つまりそういうことだよ、多分」
あの神はケンジを見逃すつもりもないと言うことだ。
恐らく、逃げ隠れでもしようものなら、実力行使でもして連れ帰るつもりだろう。
ならば、大人しく帰るべきだ。
レデニアに迷惑がかかるのは嫌だし。
「それに――」
「うん? なに?」
「……いや、なんでもない」
この世界にある一番強い執着も、既になくなっているのだから。
****
元々、ほとんど持ち物もなく、身一つでやってきたストライダーの二人。
帰る時にも身軽なものであった。
「この剣はレデニアに託します。元々、この町の地下にあったものですから」
そういって、カミケンはグラナルに霊剣ファニアを預ける。
レデンが使っていた邪気を祓う剣。それはレデニアにとって新たな至宝となるはずである。
そして、ケンジからも剣が渡される。
「レンツさん、エニ、それに職人さんたち。ボクはこの剣に助けられました。これがなければ、きっとアグリム・ドゥガルを討伐できなかったでしょう。ありがとうございました」
「ストライダー……いや、ケンジよぉ。持って帰っても良いんだぜ? 俺たちは、その剣をお前のものだと思って作り上げたんだ」
「ウチもその方が良いと思います……」
レンツを含め、職人たちはそう言うが、ケンジは首を振る。
「フツ・レンツィスはすばらしい剣ですが、ボクの世界では無用なものです。持っていると捕まっちゃうんですよ」
「そ、そうなのか?」
「きっと、この剣にも窮屈な思いをさせてしまいます。それよりは、こっちの世界で輝いてもらった方が良いと思って」
「そういうことだったら……なぁ、レンツ?」
「……わかりました。確かにお預かりします」
エニに支えられながら、レンツはケンジからフツ・レンツィスを受け取る。
レデニアの職人が作り上げた最高の剣は、レデニアの職人たちの誇りとなり、また、新たなシンボルにもなるはずだ。
そして……
「これも、受け取ってもらえますか」
「……はい」
ケンジから渡されたもう一振りの剣。
神殺しの英雄が遺した、どす黒い剣である。
霊剣ファニアとは対を成すほどに禍々しい雰囲気を持つ剣は、ヨネスが受け取った。
「これは魔術協会が厳重に封印しましょう。これは……きっと世に出ては災いをもたらすものでしょう」
幾柱もの神を屠ってきた剣。それは存在するだけでも強い影響を及ぼすはずだ。
そんなものは魔術師全員で強力な封印を施し、みだりに世の中に出回らないようにするべきである。
「正教の連中が何を言おうと、もう二度と目覚めないように封印いたしますので、ケンジさんもご心配なきよう」
「ええ、信じます」
ヨネスの固い約束を信じて、ケンジは彼に魔剣を託した。
これで、この世界に残していくものは全てだ。
「それでは、俺たちはこれで」
「レデニアのみんな、本当にありがとうございました」
ケンジとカミケンが頭を下げるのに、グラナルが代表して前に出る。
「礼を言うのは我々のほうです。ケンジさん、カミヤさん。我々はどれだけ言葉を尽くしても、あなた方に感謝を伝えきれません。あなた方だけではなく、他のストライダーにも助けていただきました。彼らは惜しくも命を落としてしまいましたが、彼らの分も含め、この町の中心にあなた方を称える碑を築きましょう」
「そして、私たちはあなた方を末永く語り継ぎます。異世界からやってきた英雄が、忌々しい竜を討ち、この町を、世界を救ってくださったことを」
フィーナの謝辞も受け取り、二人は大きく頷いた。
英雄として称えられるのも照れくさいものであったが、それと同じくらい誇らしいものでもあった。
自分たちが成し遂げた功績。それはこの世界に残り続ける。
世界に残した爪あとがあると言うのは、それだけで生きた意味になる。
それをしみじみかみ締めて、二人は町に背を向ける。
「それでは、ありがとう」
「さようなら」
二人の挨拶を受けて、町の人間は割れんばかりの声を上げる。
それは別れを惜しむ言葉であったり、感謝の言葉であったり、思い思いの気持ちを込めたものだった。
成し遂げた充実感をいっぱいに感じながら、二人はレデニアの町の大門をくぐったのであった。
やってきたのはエストの泉。
既に主を亡くしたこの泉のほとりに、光る柱を見つける。
「これが、異世界の門か」
「不思議なモノだな。ボクらがこっちに来た時にも、こんな門をくぐってきたんだろうか?」
「俺はあんまり覚えてないな」
「ボクもだ」
こっちに来た時には無我夢中であった。
何せバスの事故に巻き込まれたその瞬間であったのだから、落ち着いて周りを見ることすら出来なかったのである。
こんな門があったとしても、それを覚えていることは無理だったはずだ。
「でも、二人で入るには狭いな……」
「じゃあ、俺から先に行くよ」
そう言って、カミケンが前に出る。
「アグリム・ドゥガルを討伐した時には、俺はほとんど役に立てなかったからな。危険を冒すのは俺の役目だ」
「そんなことないさ。カミケンがいなけりゃ、ボクだって成し遂げられなかったよ」
「そう言ってくれると、俺も少し救われるよ」
カミケンは小さく笑いつつ、光の柱へと一歩踏み出す。
「じゃあ、先に行く」
「ああ、すぐに追いかけるよ」
カミケンは一呼吸置いた後、光の中へと入っていく。
姿が見えなくなった後には、気配すら消えてしまった。
恐らく、元の世界へ戻っていったのだろう。
それを確かめた後、ケンジは一つ、大きく深呼吸した。
「はぁ……疲れた。本当に誰にも伝えなくて良かったのか?」
虚空に向かって話しかけるケンジ。
しかし、それは本当に何もないところへ声をかけているわけではない。
『良いのよ。姉さんだってお父さんだって、私がこんなことになってるなんて聞いても、理解しづらいだろうしね』
声が降ってくると同時、その声の主が姿を現す。
その姿は紛れもなくマリナであった。
「でも、元々この世界には神様もいたわけだし、マリナが神様になったとしても、それほど驚かないんじゃないのか?」
『神様は元々いるものだったからね。私が急に神様になったなんて言っても、易々と信じないわよ、きっと』
「今の君の姿を見せれば、一発で信じると思うけど」
マリナは今、幽霊か何かのように空中にふわふわと浮いている。
別に背中に羽が生えているわけでもなし、本当にただただ空中浮遊しているのだ。
そのまともではない状態の上、『神様になりました』と告白したなら、全てが事実として捉えられなくとも、マリナに何かあったのだろう、と認識は出来るだろう。
『それでも、私はアンタと一緒に現世とやらへ向かうことにしたんだから、死んだことにしておいた方が良いのよ』
そう、マリナは神となったのだが、その肩書きは『ケンジの守護神』である。
土地神ですらなく、世界の神でもなく、それでも存在するために何かしら世界との楔を必要とした結果、マリナはケンジの守護神と言う立場を選んだのである。
ケンジという楔を選んだ結果、元の世界へ戻ることを決められていたケンジについていく羽目になったマリナ。
それはこの世界にとって死んだも同然である。
グラナルやフィーナには苦しい嘘をつくことになったが、結果としてはあまり大差がない。
そのため、ケンジにはマリナのことを黙っているように頼んだのだ。
『もう終わったことをグダグダ言わないの! これから新しい旅立ちなのよ!?』
「ボクにとっては元いた場所に帰るだけだけど……」
『私にとっては新境地でしょうが! アンタはそんなところにも気付かないわけ!?』
「気付いてるけどわざとクサしてるんじゃないか」
『かーっ! そんなだからアンタは嫌われるのよ! これならカミヤのほうが好かれるのにも納得がいくわ!』
「あっ! 今そういうこと言うか!?」
『言うわよ! アンタが売ってきたケンカでしょ!?』
「それでも言って良いことと悪いことがあるだろ!?」
『へぇ、デリカシーに欠けたアンタが、そんなモノ気にしていると思わなかったわぁ』
もう何を言っても言い返される、と口を噤むケンジ。
女性に口ゲンカで勝とうなどと言うのが、そもそも無理な話であった。
「もう良いよ、わかった。ボクが悪かったよ」
『わかれば良いの。これからもその気持ちを忘れないようにしなさい。しばらくは一緒にいるわけだしね』
そう言えば、マリナはケンジの守護神となったのであった。
しばらく彼女はケンジの周りを浮遊し続けるのだろう。
そう考えるとこれからの心労がやばそうだ。
『あ、辟易した顔した』
「してないしてない。気のせい気のせい」
『そういうの、すぐにわかるんだからね! もっと私を敬いなさい!』
「敬ってる敬ってる。これ以上なく称えてる」
おざなりな返事をするケンジは、そのまま光の柱へと歩みだす。
このまま口ゲンカを続けていても、生産性など一切あるまい。
『ちょっと待ちなさいよ!』
「わかってるって。ほら、早く来いよ」
振り返って手を差し出すケンジ。
それに対して、マリナは少し微笑んだあと、手を握る。
そうして二人は揃って現世へと繋がる光の柱へと消えていった。
元の世界へ戻るのではない。
また、新たなる二人の世界へ。




