4 新居を得る
4 新居を得る
レデニアの町の北に連なる山脈。その中でもレデニアに程近い山で異変が起きたのは、二年ほど前からであった。
山の中腹にある山肌の切れ目のような洞窟。そこから瘴気と呼ばれる毒の空気が発生し始めたのだ。
極初期には人体に即時影響が出るほど濃度も量も少なく、レデニアの人間もこの事件をそれほど重要視していなかったのだが、それでも異変は異変。
他の町から魔術に詳しい人間を呼び寄せての調査をし、しばらく山には近付かないようにお触れを出した。
魔術師の見解も『何か魔術的な影響で世界の境界が曖昧になり、魔界の空気が少しだけ漏れてきたのだろう。すぐに収まるはずだ』と言うものであったため、レデニアの人間も安心しきっていたところもある。
そうして放置しているうちに、瘴気はどんどんとあふれ出し、山を下ってくる。
山の麓にある森を、薄暗く覆い尽くすような瘴気の進行。
魔術師も当初の見解を覆し、『これはおかしい』と断ずる。
それを聞いて、ようやくレデニアの町が対応したのは一年ほど前になってからであった。
瘴気の発生源である山の洞窟へ、数人の調査隊が入り込み、そして誰一人戻らなかった。
瘴気の毒だけが原因とは考えにくい結果を受け、二度目の調査隊を編成し、今度は生きて帰ることを最重視した結果、たった一人の調査員が帰ってくることに成功した。
そして言うのだ。『洞窟の奥に、ドラゴンが』と。
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レデニアの町でも一番背の高い建物、鐘楼に上る。
大きな鐘の下で、ケンジは北の方角を見据えていた。
「確かに、紫色に煙ってるな」
町の北側、山の麓に広がる森どころか、町の外壁の手前まで紫色の煙が侵蝕していた。
あれが瘴気だというのなら、これは既に由々しき事態である。
「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ……」
「放っておいたわけでは……」
「あ、いえ、別に責めてるわけではなくて!」
ケンジの隣には庁舎で出会った金髪の女性がいた。
今日のところは町の案内をしてくれるらしい。
「フィーナさんは町長さんの娘さん、なんですよね?」
「ええ、私ともう一人、妹がいます」
金髪の女性、フィーナは少し困ったような顔で答えた。
「妹は……少し困った娘でして。ご紹介するのはまた後日でもよろしいですか?」
「あ、えっと、そう……ですね」
困った娘、とはどういうベクトルで困ったちゃんなのか、ケンジには推し量る事も出来なかった。とりあえず、曖昧に頷いておけば角は立つまい。
「町の現状は、ある程度お分かりいただけましたか?」
「ええ、かなり窮地に陥ってるってのはわかりました」
町の外壁ギリギリまで迫ってきている瘴気、そして瘴気から自然発生する危険な魔物。
魔物は当然のように人を襲い、殺す。
その所為でレデニアの町は現在、全盛期の五分の一ほどの人口しかいなかったのである。消えた町人全てが魔物に殺されたわけではなく、『こんな危険な町にいられるか!』と逃げ出した人間がほとんどではあるが、町の人間が大量にいなくなったことには変わりはない。
人口の減少が原因で町の手入れにも手が回らず、外壁のメンテナンスも、それどころか門の開閉すらままならない状態である。このままでは町の防衛にも関わる。
「目下の目的は瘴気を退ける事、そして人を誘致する事です。……後者は私たちのほうでどうにかしなければなりませんが、瘴気の方はストライダー様にお願いしたいのです」
「はい。任せておいてください」
とは言ったものの、具体的にどうしたら瘴気を払えるのか、全く方策は思い浮かんでいない。 だが、ここで『無理です』とは言えないだろう。
町を救う英雄、ストライダーとして歓待されているのだ。その期待に応えなければならない。
「良かった。瘴気を退ける方法は、きっと湖の精霊様がご存知かと思います。精霊様はレデニアの町を含めた一帯を祝福してくださっている方です。現在の状況も好ましく思っていないはず。きっとお力をお貸しくださいます」
「そうなんですか。……じゃあパパっと教えてくれたらよかったのに」
湖の精霊とはエストのことだろう。
彼女が瘴気を払う方法について心当たりがあるのならば、初めて出会った時に教えてくれれば二度手間にならずに済んだのだが……と思ったところで、彼女の言葉を思い出す。
ブレイヴのことだ。
ブレイヴで得られる技術や知識は脳のキャパシティによって最大量が決まっているらしい。
瘴気という得体の知れない煙を退ける方法は、ケンジの知る現実的な方法では無理だろう。となればブレイヴを使った特殊な方法を用いるはずだ。
今のケンジでは脳のキャパシティが足りていないのかもしれない。エストはそれを見越して、ある程度時間を置いてから瘴気を祓う方法を教えてくれるつもりだったのだろう。
「……と言っても、ボクにはブレイヴがどの程度、脳のキャパシティを使うのかわからないしなぁ。って言うか、脳のキャパシティってどうやったら測れるんだ? 女神パワー?」
「何か仰いましたか、ストライダー様?」
「え? あ、いえ……」
急に顔を覗き込まれ、ケンジは驚いて飛び退く。もうちょっとで鐘楼の欄干を飛び越えて落っこちる所であった。
何せ急に綺麗な女性の顔が目の前いっぱいに広がるのである。経験の浅い男子中学生にとっては刺激が強かろう。
「具合が悪いのですか? ……慣れない異世界でお疲れとか?」
「そういうわけではなくて……あ、そうだ」
グイグイと詰め寄ってくるフィーナに対し、ケンジはドギマギしつつも話題を変えるためにポンと手を打つ。我ながらわざとらしいとは思った。
「ストライダー様、って言うのやめませんか?」
「どういう事です?」
「ボクの事は名前で呼んでください。ボクもフィーナさんって呼びますから」
ストライダーと呼ばれても、いまいち馴染めない。誰か外人でも呼んでいるのかと思ってしまう。
それに聞いた話によるとストライダーとは過去の大英雄の呼び名であるという。そんな大それた名前を冠するのは、流石に恐れ多い。
「で、では……ケンジさん、でよろしいですか?」
「はい。これからはそれでお願いします。町長さんにもそうお伝えください」
「はい、わかりました。ケンジさん……ふふ、なんだかおかしいですね」
「そうですか? 変な名前だとは思わないけどな……」
「あ、いえ、そうではなくて! ……男性の方のお名前を親しげに呼ぶなんて、初めてのことで、少し緊張してしまいます」
そう言ってはにかんで笑うフィーナ。
もうそれだけでケンジの心は鷲づかみにされたかのようであった。
(そうだ。これこそ異世界のヒロインのあり方! 正しいメインヒロイン! どこぞの口の悪い女なんてヒロインの枠にも入れない! サブヒロインでもまだ役者不足だ!)
最初に出会った少女と比べても、フィーナの対応はとても素晴らしい。感涙に咽ぶほどである。
その上見た目も完璧なのだから、最早文句の付け所が見当たらない。
「フィーナさん、ボク、ここに来てよかった」
「え? えっと……そうですか」
突然の言葉に、意味のわからなかったフィーナは曖昧に微笑むばかりだった。
困った笑顔も可愛い。
****
レデニアの町は三つの区に分かれている。
庁舎のあった商業区、町民が住んでいる居住区、そして作業場が立ち並ぶ工房区である。
また、南側の外壁の外には農村が幾つか存在しており、そこから作物を卸してもらい、食べ物をまかなっている。現在では農村の住民も少なくなってしまい、作物の収穫量も減ってしまったのだが、レデニアの人口も減ったので、現状は需要と供給で見合っているレベルである。
商業区の一角で細々と作物を売っているのが見えたが、まともに運営されている商店が開いている事が幸運なレベルである。
「商業区でお店を開いていた人も、大半は瘴気や魔物の危険に怯え、レデニアを去ってしまいました。残ってくださった商人の方は、昔からレデニアにいついてくださった方で、レデニアと運命を共にする、とまで言って下さっています」
「まぁ、商店を構えるのにも苦労があっただろうし、易々とは捨てられないだろうしなぁ」
「そう、ですね」
現実的な話をしてしまえば、レデニアに義理立てして居残るというのは建前だろう。
死の危険を目の前にして、町から逃げ出さないのには相応の理由がある。逃げるためのお金がないとか、逃げ込むための行く先がないとか。フィーナや町長だってそうだろう。恐らく、レデニアまで案内してくれたあの少女も。
しかし、それを歯に布着せずに口に出してしまうのは、思慮の浅い中学生であるが故だろうか。フィーナが困った顔で返答するのを見て、ようやく自分の失言に気付く。
「あ、いや……」
「気になさらないでください。私も本当のところはわかっているつもりです」
おっとりしてそうな雰囲気ながら、フィーナは見かけ相応に大人だ。
中学生のケンジよりも広く物事を見渡す事も出来るだろう。当然、今も残っている商人の本心も少しは感付いていておかしくはない。
だが、それを知っていたとしても胸中は複雑だろう。何せ、彼女は町を治める町長の娘。町の住民が望まずに居残っている、となると言葉にしにくい感情を抱えるハメになる。
「すみません、フィーナさんのことも考えずに……」
「気にしていませんわ。それより、ケンジさんの寝泊りするお家に案内いたします」
先を歩いていくフィーナの顔が、笑顔であってもあまり晴れやかでない事が、ケンジの心に小さく針を残した。
商業区を抜け、居住区へとやってくる。
ここまで来ると、少し人気があるようであった。
雑多に並ぶ民家。その間を通る道には人影もそこそこあったし、少し見上げれば家の間に通された干し紐に洗濯物が引っかかっているのが見えた。
「あの家です」
フィーナが指差す先、少し小高くなった場所にある一軒家があった。
「あんな立派な家……誰が住んでいるんですか?」
「今は誰も。ですので、ケンジさんの好きなようにお使いください」
「えっ!? ボク一人で!?」
一人暮らしなど当然したことのないケンジは唐突に一軒家だけを渡されてビビる。
生活力は皆無である。数日もすれば餓えに苦しむハメになるだろう。
「ご安心ください。家事はある程度、私がやりますから」
「フィーナさんが来てくれるんですか? 良かったぁ……」
「ふふ、やはり殿方はお料理は出来ませんか?」
「ええ、ボクのいた世界でも、ボクぐらいの年頃では積極的に家事を行う男は少ないかと」
一応、学校の授業で家庭実習などがあったが、それもなんとなくでこなしてしまった。今となってはそこで習った事柄を断片的にすら思い出す事が出来ない。
こんな状態で一人暮らしをしろ、なんて無理にもほどがあるだろう。
「私、家事には自信があるんです。今日も夕食を振舞いますわ」
「それは楽しみだ! おなかを減らしておかなきゃ」
そんな事を話しながら、二人は丘を登った。
小さな丘の上にある一軒家。
三角屋根で煙突が突き出ている。平屋の様で、二階はなさそうだ。
「どうぞ、お入りください」
フィーナが先にドアを開け、家の中に入る。
明かりのない部屋の中であったが、雨戸を開けばそこそこ光が入り込み、全景が見えてくる。
家に入ってすぐは居間となっており、大きなテーブルが真ん中にドカンと置かれ、壁には戸棚が備えられている。中には陶器製の食器も揃っており、暖炉もすぐに使えそうだ。薪も十分な量がある。
鉄器も幾つか揃っており、お湯を沸かすのにもそれ用のやかんのような鉄器が暖炉の上につるされてある。
「へぇ、ポンプも家の中にあるのか」
暖炉の隣を見ると、驚いた事に家の中に井戸が備えられてあった。
まるで流し台のような作りをしてあり、そのまま水を流せば壁を貫いているパイプを通って家の外に吐き出される仕組みになっているようだ。
「呼び水は入っていませんが、近くに水汲み用の広場がありますのから、そこへ桶を持っていけば自由に水を持っていって構いませんので」
「そうですか。うわー、何かスゲェ」
珍しいものを見て、ケンジはしげしげとポンプを眺める。
フィクションでしか見た事がなかったものを実際に見てみると、そこそこテンションが上がるものだ、と実感した。
「では、私は夕食の買い物に出かけますので、ケンジさんは呼び水をお願いできますか」
「は、はい、わかりました」
手放しではしゃいでいたのを少し恥じつつ、フィーナの言葉に頷いて答える。
ケンジを見て、フィーナはおかしそうに笑っていた。