2 こんなのヒロインじゃない
2 こんなのヒロインじゃない
木の合間を縫って走る影が二つ。
一方は森の歩き方にもなれていないのか、頼りない足取りで北へ、北へと逃げているようである。
もう一方は駿速。背の低い影はどこか四足獣を思わせ、バランスを崩す事もなく先を行く影に猛然と迫る。
「な、なんなのよ、もう!」
先を行く影、少女は理解の出来ない展開に、誰にともなく悪態をつく。
「瘴気は……町の北側にしか、ないんじゃなかったの!? 何でここに、魔物がいるのよ!」
少女は背後を確認し、今も刻々と距離を詰めてきている狼のような獣を睨む。
魔物、それは魔界と呼ばれる異世界からの侵入者。
瘴気を糧とし、瘴気の中から生まれる異形の生物。
基本的には人間やこの世界の生き物に襲い掛かるのだが、その理由に関してはいまいちよくわかっていない。
その命は瘴気の中でしか保たれず、逆にマナと呼ばれる対極の位置にある物質の中では生きられないはずであった。
だが、少女を追いかけているのは、恐らく魔物。あれほど凶暴な獣は、この森にはいなかったはずだ。それに体躯も大きい。きっと魔物に違いない。
「このままじゃ、埒があかない……ってか、追いつかれる!」
少女は自分の行く末を幻視する。
このまま必死に逃げていたとしても、あの四足獣の駿足からは逃げ切れないだろう。
後ろから飛びつかれでもしたら、まず間違いなく抵抗も出来ずに噛み殺されるに違いない。
ならば相手の追跡をどうにか妨害しなければならない。
そう思って、少女は地面に落ちていたちょっと大き目の石を手に取る。
「これでも、くらえ!」
そして大して狙いもつけずに投げる。
石はあらぬ方向へと飛んで行き、茂みの中へとガサリと落ちる。
当然、魔物には何の影響もない。
むしろ無理な体勢で投擲を行った少女の方が体勢を崩し、足をもつれさせてしまった。
「しま……っ!」
ここが好機、と踏んだのだろう。
魔物は強靭な後ろ足で地面を蹴り飛ばし、一気に少女との距離を詰める。
土煙が嘘くさいほどに巻き上がり、魔物は牙を剥き、爪を伸ばして少女へと飛び掛る。
「……っ!」
少女は身を固めて頭を腕で守り、そのまま地面に倒れてしまう。バランスを崩してしまった上に恐怖によって身体の自由が一瞬利かなくなってしまったのだろう。
しかし少女がどれだけ身を固めたとしても、魔物の牙を、その爪を防ぐ事など出来ないだろう。無駄なあがきと一笑するかのように、魔物が少女に覆いかぶさろうとした
――その時。
一陣の風が吹く。
魔物が巻き上げた土煙を切り裂き、背後から瞬く間に現れたその風の主こそ、ケンジであった。
肉食獣を模した魔物はその視界も狭く、ケンジの襲撃にも全く気付いていない。
ケンジは魔物の首に腕を巻きつけ、そのまま強く絞める。
急な圧力に、魔物は舌を突き出して苦しさを顔に出す。しかし、ケンジの腕から逃げる事は既に無理だろう。
「う、おおおおお!」
ケンジは魔物の首を絞めたまま、思い切りジャンプする。
そして少女を遥か飛び越えた先で地面に着くと同時に魔物の首の骨を折った。
グデっと力なく地面に伏せた魔物を確認し、ケンジは長く息をつく。
「倒した……のか? いや、それよりも」
一つの命を奪ってしまった実感が、その腕に残っている。
ケンジはこれまで、虫を潰した事はあっても、これほど大きな哺乳類を殺した事などなかった。
しかも、それに道具を利用せず、自身の身体一つで行ってしまった事が、更に殺害の実感を強く、重く感じさせる。
「殺して、良かった……んだよな?」
魔物に注意を向けつつ、ケンジは少女を見る。
未だ起き上がっておらず、それどころか頭を抱えて動かない。
倒れた時にどこか打ってしまったのだろうか、とケンジは心配しながら彼女に近付く。
「あ、あの……?」
「はっ!」
ケンジの声に反応し、少女が顔を上げる。
「い、生きてる……?」
「う、うん、生きてる」
少女に確認され、ケンジも無意識に答える。
(そう言えば、言葉が通じてるな……? これもブレイヴの力ってことなのか?)
などと考えながらケンジは少女に手を差し出す。
「とりあえず、立って。服が汚れるよ」
「ん、ああ」
少女はケンジの手を取って立ち上がり、服についた土を払う。
その仕草が妙に様になっており、乱れた髪を整える姿もどことなく綺麗と感じさせる風格であった。
実際、その少女はとても麗しかった。
黒めのボブカットヘアもサラサラとしていて、白い肌に朱の乗った頬、少し勝気にも見える強い光を宿した瞳などは特に印象的であった。
服装は流石に世界柄と言うか、ヨーロッパの伝統服のようであったが、それも時代錯誤とも思えないほどに似合っている。
正直、ケンジのクラスにいたどの女子よりも魅力的に見えた。
「あ、あの、大丈夫? 怪我とか、ないかな?」
「……平気」
見惚れるようなケンジの姿に、少女は逆に訝る。
少女から見れば、窮地を救ってくれた恩人ではあろうが、顔つきも服装もへんてこな人間にしか見えないだろう。
恩人とは言っても警戒するのは当然か。
「あ、あの、ボクは……」
「あなた、もしかして、ストライダー?」
「す、スト……? 良くわからないけど……」
「異世界から来た人間でしょ? 湖の精霊のお告げの通りだわ」
少女はケンジの周りをグルグルと回り、品定めをするように眺める。
「あ、あの……」
「うーん……なんかパッとしないわね。こんなのが本当にアグリム・ドゥガルを倒せるのかしら?」
「えっ……?」
少し期待して寸評を待っていたのだが、それはかなり低評価であった。
少女の顔を見ても、今にも唾を吐き捨てそうな勢いである。
「私はてっきり、もっと背の高くて、屈強な戦士のような人が来るものかと思ってたわ。こんな顔の平ぺったいガキンチョがやって来るんだとしたら、湖の精霊の審美眼も疑わしいわね」
歯に布着せず、ズカズカとモノを言う少女に、ケンジの顔が引きつる。
何故、見ず知らずの少女にここまで言われなければならないのか。
しかし、何か言い返してやろうと思っても、これまでのいじめられていた経験からか、口ゲンカなどに用いれる語彙を持ち合わせていないのに気付くケンジ。
「なに口パクパクしてんのよ。言いたい事があるなら言ったらどう? アホみたいよ」
「が……ん……あの……」
「チッ、しゃっきりしないわね。まぁ、良いわ」
ケンジが言葉にならない声を紡ごうと必死に足掻いているのを尻目に、少女は北へと足を向ける。
「一応、精霊様からのお告げだからね。案内してやるわ」
「えっと……どこに?」
「察しも悪い。頭使って喋りなさいよ。……私たちの住んでる街、レデニアよ」
それだけ言って、少女は自己紹介もせずに歩き出してしまう。
慌ててそれについていくも、ケンジはどこか釈然としない気持ちを抱えたままであった。
気がつけば、彼女からお礼の一つも言われていない。
(な、なんなんだ、この女……ッ!)
腹の中にイラつく気持ちを抱えながら、ケンジは少女の後を追った。