18 覚醒する大魔術師
18 覚醒する大魔術師
現時点で、ケンジが経験したことのある瘴気の濃度を超えている。そんな気がした。
一行は森の深部、さらに言えば山の中腹にある坑道までの道のり、その中間地点付近を目指して行軍していたのである。
その目的地付近の現在地は、アグリム・ドゥガルの棲む山に程近い場所となる。
瘴気を生み出す邪竜、アグリム・ドゥガルの棲みかに近づけば、その分瘴気が濃くなるのも道理であろうか。
(エストの泉の水がなければ、窒息死しそうだな……)
心なしか、ケンジが持ってきた小瓶の水が濁るスピードも速い気がする。
(こんな中に、マリナとヨネスさんが入っていったのか……大丈夫なのかな)
一応、小瓶を持っているだろうが、長時間の行動は危険だろう。
すぐに見つけ出すのに越したことはない。
そう思い、ケンジは足元に視線を落とす。
(二人が移動した痕跡を探すんだ。足跡か何かが残っているはず……!)
レデニアには狩人も幾人か住んでいた。ケンジはその狩人から得たブレイヴによって、様々なスキルを獲得することが出来たのである。
狩人は瘴気が溢れる前は北の森や、他の場所で狩りを行い、獣の肉や皮、獣脂などを売って生計を立てていたのだ。当然、森歩きにも慣れている。
追跡する対象の足跡を追うのも、ブレイヴに含まれていたのだ。
(かなり新しい二人分の足跡がある……そのほかにも古い足跡がいくつもあるな)
発見できるほとんどの足跡は、森を走る獣……ひいては魔物のものだろう。
新しい足跡は、間違いなく人間のものである。ここ最近、こんな森の奥までやってきたことのある人間なんて、ケンジたちしかいないだろう。
だとしたら、この二つの足跡はマリナとヨネスのもので間違いない。
足跡は休憩地点を中心に、ぐるりと回るように続いていたのだが、急に途切れる。
争った形跡はなく、二人が倒れているわけでもない。しかしすっぱりと足跡が消えているのは、かなり妙だ。
(何かあったはずだ。でも血痕もないし、二人が戦闘に巻き込まれたわけじゃないのか?)
森の中に魔物が潜んでおり、こちらに敵意を見せているのは先ほど確認したとおりだ。
そんな状況で、森の中で足跡をすっぱりと途絶えさせた二人。怪しい。
(足跡から得られる情報はまだあるはずだ。……これは)
大きめの足跡の方、恐らくはヨネスの足跡だ。
これが、一歩退いており、
まるで目の前の出来事に驚いて、たじろいだようでもある。
そして、小さめの足跡の方、恐らくはマリナの足跡。これが、横になびいている。
急に横からタックルでも受けたかのような痕跡だ。
しかし、周りに二人以外の足跡はない。
続いて上を見上げる。
木々の枝が複雑に入り組み、瘴気の濃さも相まって日の光が落ちてこない。
高いところにある枝には、いくつも弦が巻きついており、その幾つかは下に垂れている。
(ターザンロープの要領で、樹上から奇襲してきたのか……? 向こうの枝の上から飛び込んできて、マリナを抱えて向こうへ……)
魔物の襲撃によってマリナは攫われてしまい、目の前で急にマリナが消えたことによって動揺したヨネスはたじろぐ。そして、そこを狙われて彼も連れて行かれた。
こんなところだろうか。
その場で二人を殺さないところを見ると、こちらをおびき出す作戦のようでもある。
ケンジが枝の上に飛び乗ると、その痕跡が見て取れた。
枝の上には弦がこすれたような跡、そして幾つかの爪あと。枝からジャンプする際、力んで爪を立てたのが枝に傷をつけたのだろう。
周りを窺うと無数の枝があり、どこへ飛び移ったのかはわからない。あれらを全て調べるとなると、日が暮れてしまいそうだ。
しかし、調べる対象ならばある程度絞ることは出来る。
(魔物がどの程度のサイズなのかはわからないが、人一人を抱えるとなると……さらに言えばヨネスさんぐらいの大の大人を一人抱えるとなると、枝の太さ、大きさを選んで乗らないと折れてしまう。ってことは)
幾つか、目ぼしい枝はある。
そのうちの一つに乗っかってみると、新しい爪あとが残っていた。しかし、思ったより数が多い。大きさもまちまちだ。
敵はやはり複数のようだ。
(でも爪の向きは一定だな。進行方向は、こっちか)
敵が移動している方向に目星をつけるとほぼ同時。
「きゃあああああ!!」
静かな森の中を引き裂くような悲鳴が聞こえた。
****
時間は多少さかのぼる。
「こ、コイツッ!」
腰をがっちり押さえられ、マリナがいくらもがいても解放されることはなかった。
魔物はマリナよりも一回り小型のサルのような外見ではあったが、かなり力が強いらしく、マリナやヨネスを抱きかかえていても、樹上を飛ぶように移動している。
脚力もさることながら、マリナが暴れてもびくともしない腕力も驚異的だ。本気を出せば、マリナの身体などへし折ってしまうのも簡単なのだろう。
それでもマリナとヨネスを連れ去ったというのならば、こいつらにも何か目論見があるのだろう。
しかし、その目論見に黙って乗っかってやる義理はない。
「どこまで連れて行くつもりよッ!」
マリナはケンジから受け取ったナイフを抜き放ち、逆手に構える。
目標は目の前にある。固そうな毛皮は、短いナイフで立ち向かうとなると心許ないが、しかしやるしかない。
「ええいッ!」
気合と共に、マリナはナイフを振り下ろす。
切っ先は固い毛と毛の間を縫って、魔物の肉へと到達した。
『ガアッ!?』
魔物は苦しそうにうめき、バランスを崩した。
枝を掴んでいた足から力が抜け、マリナを担いだまま重力に引っ張られる。
「ひっ」
マリナの身体を浮遊感が包む。内臓が浮く感覚、急に地面に引っ張られるあの感覚だ。
彼女の脳裏に、すぐにこれから起こることが幻視される。
落下する恐怖感というのは、地に足をつけて生きる生物にとっては根源的恐怖に足る。
その恐怖が声になってもれ出るのも無理からぬことだろう。
「きゃあああああ!!」
悲鳴と共に落下するマリナ。それによって魔物の足並みも少し崩れる。
マリナは地面に激突するも、特に受身を取ることも出来なかった。
したたかしりもちをついた彼女は、すぐに起き上がることも出来ず、苦しそうに喘ぐしか出来なかった。
『コイツ、ナイフを持ってる』
『何も出来ない小娘かと思ったが、侮ったな』
「しゃ、喋った……!?」
魔物の言葉を理解できたマリナは、痛みに呻きながらも驚きを隠せなかった。
下級の魔物は獣のように吼えるようなことはあっても、言葉にはならない。ゴブリンがギャーギャー鳴くのはそういう理由だ。
「言葉を操れるほど、強い魔物ってこと……? 厄介ね」
痛むお尻をなでつつ、マリナはようやく立ち上がってナイフを構える。
「言葉が通じるなら、ヨネスを放しなさい! さもないと、ここで皆殺しにするわよ!」
『出来るのか、小娘がッ!』
『調子に乗るなよ!』
激昂し、牙を見せる魔物に対し、しかしマリナは一つも動じない。
「アンタたちこそ、私を小娘だと侮らないことね。魔物が何匹たかろうと、私の敵ではないことを身をもって教えてやるわ!」
『よく言ったッ! ならば死ねッ!』
『元より、あの厄介なヤツを引っ張り出す人質は一人で充分なのだッ!』
(厄介なヤツ……ケンジのことか)
魔物にとって、ストライダーは充分脅威になるだろう。以前、それをどうにかするためにコボルドがマリナをさらった事もあった。
今回は森のかなり深いところまで入ってきたストライダーを危険視し、魔物が対応を取ってきたというところか。
「だったら、なおのこと、私がここで全滅させてやるわ」
『出来るのか、貴様ごときに』
「出来ないと思ってんのかしら? だったら――」
マリナはナイフの血をふき取り、鞘に戻す。
手ぶらになった両手を大きく開き、前に突き出した。
「――後悔させてやるわ」
マリナの周りの空気が、奇妙に渦巻く。
紫色の霧が、何者かの意思に操られた様にのたうち始めたのだ。
「ま、マリナさん! それはまだ……ッ!」
「うるさいわね、この期に及んで、出し惜しみなんかしてられないわよッ!」
マリナの行動を制止するヨネスの言葉を、全く意に介さない。
何かの秘策を持っているのなら、この危機的状況で出し惜しみをする必要はない。
そんなマリナの様子に、魔物たちは色めきだつ。
『コイツ……なんかヤバイぞ』
『何かする前に、しとめるべきだ!』
マリナを脅威だと認定したサルたちは、手に持っていた棍棒を握り、彼女に向かって飛び掛った。
しかし、それよりも早く。
「東におわす風の竜よ、我に祝福を授けたまえ」
『……呪文ッ!?』
『こいつ、魔術師か!』
「今頃気付いても、遅いッ!」
すでにマリナに飛び掛っていた魔物たちは空中にいる。
途中で方向転換することも出来ず、また防御もままならなかった。
そこへ向けて、マリナの周りで渦巻いていた風が、魔物に向かって牙をむいたのだ。
魔物たちが感じたのは不可視の壁であろう。
急に迫ってきた空気の壁は、魔物たちを弾き飛ばし、地面や太い木々に叩きつける。
『コイツ……まずいぞ!』
『弓を……』
「させないわ、風陣衝槍!」
強烈に圧迫された空気が風の槍と化す。
マリナが手を突き出すと、それを合図に風の槍は弓を持った魔物に向かって突き出された。
『ガァッ!?』
弓手は透明な槍に身体の中心を貫かれ、血を噴出して枝から落っこちる。
さらに、
「まだまだぁ! 薙ぎッ!」
突き出された空気の槍は、マリナが手を振ることによってバラバラに弾け飛ぶ。
それらは小さな風の刃となって魔物たちへと飛び掛ったのだ。
『グエ……ッ!』
『ゴァ……ぁ!?』
風の刃は的確に魔物たちの急所を切り裂く。
喉を、心臓を、頭を、的確に打ち抜いていくその風は、魔物たちの血を巻き上げてどす黒い色に染め上げられていく。
血霞がつむじ風のようになって逆巻き、そしてようやく風がやんで地面へと染み込んでいく。
魔物たちをあらかた始末したあと、その場には静寂が訪れた。
「はぁ……はぁ……」
響くのはマリナの荒い息遣いのみ。
「ぶっつけ本番でも……どうにかなるじゃない、ねぇ、ヨネス……?」
マリナは同じく連れてこられたヨネスに声をかけるが、しかし彼の姿は見当たらない。
魔法で魔物と共に殺してしまったか、と危ぶんだが、そういうわけでもなさそうだ。死体が見当たらない。
「……逃げられた!?」
****
必死に逃げていた一匹。
ヨネスを担いで枝を飛び回る。
『ち、チクショウ、あんなヤツがいるなんて、聞いてないぞ!』
「諦めたらどうですか。きっと、そのうち追いついてきますよ」
『その時はテメェを盾にしてやる!』
往生際の悪い魔物は、まだまだ逃げ切るつもりであるらしい。
確かに、このまま枝を飛び越えていれば、マリナに追いつかれることはないだろう。
彼女がどれだけ走っても、このスピードには追いつかない。
『げ、ゲヘヘ……逃げ切れば、まだどうにかなる。俺は……』
「残念だが、逃がすつもりはない」
『は……!?』
目の前に現れたのは鉄の刃。
的確に頭を狙ったその刃は、思いもよらぬ方向から飛んできたのだった。
魔物はそれを回避することも出来ず、そのまま貫かれてしまった。
地面へと落下する魔物。緩んだ腕からヨネスを助け出したのは、ケンジであった。
「大丈夫ですか、ヨネスさん」
「ケンジさん! 大丈夫です、マリナさんも向こうに」
「さっきの音……悲鳴もマリナですよね? 大丈夫なんですか?」
「ええ、きっと私よりもピンピンしてますよ」
「ヨネスさんは、どこか具合が?」
「ええ、ちょっと瘴気に酔いまして……」
おかげでまともに魔法を使うことも出来なかったという、情けない話であった。
****
「それにしても、マリナが魔法を使えるなんて、知らなかった」
「驚かせようと思ってたんだもの。当然よ」
マリナがここ最近、ヨネスと共に行っていたのは魔法の訓練であった。
元々、マリナには魔法の才能があり、ヨネスもそれを見出していたため、彼女が本腰を入れて魔術の訓練を行うのならば、それに協力するのに出し惜しみはしなかったのだ。
結果、ヨネスをもしのぐ魔術師が誕生してしまったわけである。
「いやぁ、我ながら驚きですよ。ちょっと手ほどきをしただけだったんですが、まさか弟子がこれほど早く出藍の誉れとなってしまうとは」
「ふふん、もっと褒めてもいいのよ」
ケンジに背負われてぐったりしているヨネスに対し、マリナの態度は不遜だ。
いつもどおり、と言えばそうなのだが。
「まぁ、マリナにもヨネスさんにも、何事もなくてよかったよ」
「私は地面に落っこちて、結構痛い思いしたんですけど?」
「死ななかっただけマシだろ。帰ったら治癒術師にでも見てもらえば良いさ」
「薄情な男ね。まぁ、あんまり心配されすぎても気持ち悪いだけだけど」
口の減らないマリナであったが、彼女が無事で安心したのは本当だ。
憎まれ口を叩くだけの元気があれば、心配もあるまい。
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その後、無事に神字を刻むことには成功し、怪我人もすぐに医者に診せ、死人を出さずにミッションをこなすことが出来た。
レデニアはまた、復興に向けて一歩進んだのである。




