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プロローグ

 プロローグ


 夢が叶う国グラントリア。その王都グランツは活気に溢れていた。

 聳え立つ王城闘技場から響く怒号や商店街の喧騒、職人街から溢れる熱気はグランツの豊かさを大いに表していた。

 そんな光り輝くグランツにも恥部があった。裏町のルーセリア通りである。そこは、夢を見てグランツに来たものの大きな夢に身を持ち崩した者たちの掃き溜めのようなところであった。


 俺の父さんはそんなルーセリア通りで食事処を出している。お客さんは滅多に来ないけど、俺には自慢の父さんだ。

 でもいつからだろうか、そのことをちゃんと言えなくなったのは。

「おはよう!ヴォルク!ミランダ!今日という日が始まったぞーー!」

 まだ日が出てもいない早朝にも関わらず、父さんはよく響く声で俺たち兄妹を叩き起こして来た。毎日のことであるが、いい加減うざい。

「んーー、あとすこしーー」

「…………俺も寝る」

 妹のミランダはまだ|微睡≪まどろ≫みの中らしいので、兄である俺もお供しようと思う。眠いしな。

「こらー!早く起きないと仕入れができないぞー!朝飯抜きでもいいのかー!」

「んっ!!ミラ起きたー!ミラお腹すいたー!朝ごはーん!」

「…………ねむい」

「ガッハッハッハッ!ヴォルクは本当に朝が苦手だな!」

 父さんの声は本当に響くんだ。寝起きな俺の頭に鈍痛を与えるくらいには。

「さあ愛する我が子たちよ!今日のおかずを買いに行こう!それじゃ、いってくるぞ!母さん!」

 父さんが母さんの遺影に向かって大きな声で告げてから、俺たち家族は裏町のさびれた商店街に向けて繰り出した。


 *


「よし、今日は卵料理にしよう!」

 そして立ち止まったのは養鶏場の出張店舗。文字通り、主に鶏肉や卵を取り扱っている。

 表町の商店街で競争に負けた商会や小さすぎる商店などは大抵裏町のルーセリア通りに流れてくる。この店もそのうちのひとつだった。

「らっしゃい、卵3個で銅貨1枚ね」

「おはよう店主!卵を10個買うから銅貨3枚に負けてくれ!」

「あいよ。マーカスさんはうちに長いこと贔屓にしてくれてるからね。特別だよ」

「かたじけない店主!ガッハッハッハッ!」

 店主は未だ眠そうに顔をしかめながら卵10個を売ってくれた。

「ちょっとマーカスさん。まだ朝早いのに声がデカイよ」

「おお、いつもすまんな店主」

「いいよいいよ、裏町は助け合いだからね」

 裏町にはお客さんが滅多に来ないから、食べ物を取り扱う商店などは商品を腐らせないうちに同じ裏町民に割安で卸してくれている。無学の俺には計算ができないから詳しくは分からないが、今日の買い物で父さんが得したのはなんとなく分かった。

「お父さん!ミラお腹すいたー!」

「うむ!そうだな!家に帰ってさっそく朝飯をつくろう!」

「ミラ、お兄ちゃんと手をつないで帰ろうな。朝ごはんまであと少しだぞ」

「うん!!」

「毎度ありがとうございました。これからもご贔屓に」


 *


 いつも大きな声でうるさくする父さんだが、1日の中で唯一静かになる時がある。それは料理をしているときだ。

 家の中に卵が焼ける匂いが漂っている。父さんは、少し焦げ目が付いたら食べごろだと言っていた。

「おいしーー!お父さんたまごおいしーよー!」

「そうだろう!そうだろう!」

「……うん、美味い」

 この頃には、俺はお父さんの料理を褒めちぎることをしなくなっていた。面と向かって言うのが、どこか恥ずかしかったからだ。

「ヴォルクもミランダも美味しそうに食べてくれて、お父さんは嬉しいぞ!ガッハッハッハッ!」

 そして父さんは声のトーンを落としてこう言った。

「なあヴォルク。父さんはな、グランツで一番の食事処を出したかったんだ」

「……そう。でも、今は裏町に流れた、負け組だ」

 本当はこんなことを言いたいわけじゃなかった。でも、お客さんの来ないウチでも負け組じゃないって言い返して欲しかったんだ。

「……そうだな。俺の腕が足りないばかりに母さんには苦労をかけた」

「…………」

 母さんはミランダがまだ小さい頃に倒れた。近所の物知り爺さんに聞いたら過労だろうって、裏町のウチじゃ碌な物も食べさせてあげられなかった。父さんはあれから本当の自信をなくしてしまったんだと思う。

「でも、ミラはしあわせだよ!みんなで朝ごはんが食べられるもん!」

「んっ!ああ!そうだな!ミラはえらいなー!」

 そう言いながら父さんはガシガシとミラの頭をなでた。

 父さんが自信を持てなくてもいい、家が貧乏でもいい。俺はいまの日常が続いてさえくれれば他に何もいらなかった。


 *


 ーー世界は残酷で。ソイツはそんなある日の夕暮れに突然やってきた。

「夜ご飯の前だってのに、ミランダのやつ寝ちゃったよ。父さん」

「お、そうか。寝かせておいてやれ」

 そんな会話をしていた時、玄関の扉が勢いよく開け放たれた。

「こんばんは、マーカス卿。今日は卿に渡すものがあって参りましたぞ」

 ソイツは漆黒の執事服を纏う眼帯をした壮年の偉丈夫だった。

「なっ!?お前たち!奥の部屋に行ってなさい!」

「え?」

 事態が飲み込めないまま、父さんは俺たち兄妹を奥の部屋に押し込めようと突き飛ばした。咄嗟に俺はミランダを抱きしめながら奥の部屋に引っ込んだ。

「おや?マーカス卿にご子息が居たとは。これは驚きですな」

「こ、子供たちに手出しはさせん!俺はもう何も失いたくない!」

 父さんの焦燥ぶりは異常だった。

 ソイツは不気味な笑みを浮かべながらズカズカとこちらに近付いてきた。

「これは困りましたな。マーカス卿が決死の覚悟をお持ちなら私も相当の覚悟を……ん?」

 ソイツは母さんの遺影を物珍しそうに眺めたあと、深いシワを刻みながら醜悪な笑みを浮かべた。

「なんと。ご夫人はお亡くなりになられたのか。もしや、ご自分でお召し上がりに……?」

「そんなわけがなかろうが!クソ野郎!その口聞けなくしてやる!」

「ほっほっほっ。負け組風情がよく吠える。では、卿にはご退場願おう」

 そう言い終えるとソイツは背を丸めた。途端に周囲の空気が震え、ソイツの周りに黒い(もや)がかかる。何事かと俺はつい顔を出してしまった。

「やっとあなたに引導を渡せると思うと、今から笑みが止まりませんよ!」

 靄が晴れると、偉丈夫だったソイツは黒い毛皮に覆われた人狼(ライカンスロープ)になっていた。

「らい……かん……」

 自然と口から漏れた。言葉にして再認識した。すると俺は震えが止まらなくなりミランダを抱きしめながら尻餅をついた。

「黒狼の系譜か、雑種風情が吠えるなよ!」

 すると父さんの周りが白く発光したかと思うと、父さんは白銀の毛皮をもつ人狼(ライカンスロープ)に変わっていた。

「父さんも……人狼だったのか……」

「そうですよ。マーカス卿は元々銀狼の系譜最強の戦士だった。それが、どこかの人間の女にたぶらかされ、一族を裏切って駆け落ちとは。失笑ものですよ」

 人間の女に?それって母さんのことか?

「エリーは何も持たなかった私にかけがえのないものを与えてくれた!彼女を侮辱することは許さん!」

 父さんの激昂のあと、俺の目で捉えられない速度で突進した。

 とてつもない衝撃音。父さんが突き出した拳をソイツは涼しげな顔で受け止めていた。

「落ちましたね……銀狼最強と呼ばれたあなたが……」

 ソイツはそうこぼし、体が一瞬ブレた。いや、俺が見えなかっただけだ。

 だが、俺が認識した時にはもう遅かったーー。

「がっごはぁっーー」

 父さんの背中から赤黒い突起が生えていた。否、ソレは黒い人狼の突き出した片腕だった。

「急所を潰しました。これでもうあなたは死を待つのみだ」

 ソイツはおもむろに片腕を引き抜き、変身を解いて壮年の偉丈夫が見えたと思ったらその姿が(かすみ)のように消えて行った。

 そして父さんが支えをなくした置物のように倒れる。その姿が母さんが倒れた瞬間に重なった。

「と、父さんっ!」

 ミランダをその場に横たえ、父さんのもとへ走る。ほんの少しのところで間に合い、父さんを抱える。いつのまにか父さんは人狼の姿からいつもの父さんの姿に戻っていた。

「ヴォルク……無事で、良かった……」

「しゃ、しゃべらないでっ!」

 俺は咄嗟に傷口を押さえ込んだ。

「なあヴォルク。父さんはな、グランツで一番の食事処を出したかったんだ」

「ああ!毎日言ってるんだもん!分かってるよ!」

 夢を語る父さんの腹には、俺が両の手のひらを広げても多い尽くせないほどの大穴が開いていた。必死に抑えてても溢れ出る真っ赤な血はドロドロしていて、時間もゆったりと流れているように感じた。

「父さん、しっかりして!死なないでよ!」

「すまん、な……もう父さんはダメだ……」

「ダメだよ!ミランダはまだ小さいのに!俺もこれからどうやって生きていけばいいって言うんだ!死んじゃいやだよ!」

「……ヴォルク。これからはお前がミランダを守るんだ」

「父さん……」

 そして父さんはいきなり自分の歯を4本抜いた。しかもすべて犬歯を。

「父さんからお前に託す。人狼の力だ。上手く使え……」

 父さんは握りしめた犬歯を俺の胸に突き立てた。刺さったところから血が流れるが、父さんほどではない。じきに塞がる程度だ。

「父さん?これって……?」

「人狼は自分の犬歯の数だけ……つまり4本分、人狼の力を誰かに引き継ぐことができる」

「えっ?」

「いま父さんの……犬歯4本全部、お前に刺した……この意味がわかるな……?」

「…………」

 俺は意味がわからず首を横に振るしかなかった。

「現役時代最強と呼ばれた父さんの……ポテンシャル全てをお前に授ける……ミランダはお前が守るんだぞっ!!」

「!!」

「わかっ……たな……」

 もう父さんは気力もないような、目も虚ろになってきたようだった。だったらせめて今まで言えなかったことを……。

「と、父さん!俺がんばるから!ミランダのことも任せてよ!父さんみたいな立派な料理も作れるようになるから!だから……!」

 父は安らかに微笑んで、

「頼んだぞ……」

 ーーそういって事切れた。


 月の出ていない深夜、ケモノの慟哭(どうこく)だけが悲しく響いていた。

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