ネリネの魔術
魔犬は前回よりもはるかに速いスピードで疾走する。
体格も明らかに大きい。筋肉もモリモリでマッチョだ。
っていうか、今大きくなっているイングなうじゃないか?
魔犬は大きく口を開けてネリネに噛みつこうとする。
(……そうか理解ったぞ。ネリネの魔術がなんなのか)
「足砕き!」
ルアーキが魔術を放って魔犬の脚を折った。
魔犬はつんのめって転がり、ネリネの脇を通り過ぎていく。
なるほど、魔物に対してはああ使うのか。
ルアーキの魔術は「台無し」と呼ばれているものだということは、恐らく「土台を壊す」ような魔術なのだろう。
魔物の肉体の土台は足――だからこそ骨折させる魔術に変換できる。
脚がなければ移動ができない。移動ができないのなら、大抵の敵は無力化できたに等しい。
これだけでも強力だが、それだけではない。
この魔術は「放って、当てる」という行程を踏まずにダイレクトに作用する。
つまり回避不可能攻撃という側面を持つということだ。
必中かつ、ほぼ一撃必殺――これはかなり強い魔術だぞ。
「ルアーキさんすごいです!」
「でも、あと六体しか無力化できない」
かなり遅れてやってきた斥候の残り二匹――ゴブリンたちにも「足砕き」を使用するルアーキ。
「これで一応退路はできた。まずは村のほうに逃げよう」
「は、はい!」
駆け出すルアーキに、ネリネもついていく。
背後には六十匹の魔物の群れ。
背中にひしひしとプレッシャーを感じながら走っていく。
が、俺は「鷹の目」で確認しているから後ろの状況も分かる。
ネリネが俺に思念で尋ねる。
(敵はどこまで来てるの?)
(俺は潜在能力を引き出してるだけで、「鷹の目」を使ってるのはネリネなんだぞ? 自分で確認できるだろ)
(そ、そうだね)
ネリネが緊張しているのが分かる。
いかんなぁ、こんなときだからこそ気楽にならなきゃ。
でないと勝てるものも勝てないぞ。
……食べるか。
もぐもぐもぐもぐ。
さて、「緊張」のお味は……うーむ、悪くはない。が、良くもない。
形容しがたい味だ。
なんていうか……そうだな、冷えて固くなったこんにゃくみたいな味だ。
なにを言っているのか分からないだろう? 俺もよくわからん。
あえて食べるようなものでもないということだろう。
ほどよい緊張は良い効果をもたらす。「緊張」は必ずしも悪感情というわけではないのだろう。
(あ、気持ちが落ち着いてきた。どうしようもない状況だけどなんとかなる気がする)
充分な量を食べたようだ。別に食べたいもんでもない。
(ありがとう)
やーだねえ、お礼なんか言うもんじゃないぜ。
お前がそんなだと俺も死んじまうからやっただけだ。
(うん。それでも、ありがとう)
……ちっ、調子狂うぜ。
(ところで、私の魔術ってなんだったの?)
ああ? そんなん少し考えれば分かるだろ。
と、そろそろ決めに行かないとヤバいぜ。
追いつかれる。
魔犬のほうが人間よりも遥かに速く走れるのだから、追いつかれるのは時間の問題だった。
ここは村からすぐ来たところに位置する。村の連中のこともよく見えるわけだ。
おお、なかなかにてんやわんやしてる。
まるで準備が整ってない。
壊滅は目に見えている。
ルアーキは柄にもなく決死の表情をしている。
「あ、そうか! こう使えばいいんだ!」
ネリネが自分の魔術の正体に気づいた。
まあ不正解だったとしても、基本の部分はおさえられているだろう。
ネリネが意識を集中する。
魔力を練って、放たれる――
「えいっ」
「えっ?」
――ルアーキに向かって。
変化は極大だった。
「お、おおっ? おおおおおお―――――ぉぉぉおおおおおおおおお!!!!! ネリネくん!!!! こいつはすごいぞ!!!!」
ルアーキの身体からオーラが漏れ出しているようにも見える。
これが魔力か。
ネリネの魔術は強化付与だ。
ネリネの魔術にかかった魔犬はそれまでの魔犬よりも速く、強く進化していった。
「成長」などの可能性もあるにはあったが、掛けた相手にメリットを生み出す効果であることは間違いない。使い方は変わらない。
強化付与であるほうがこの場を切り抜けることには有利なので、賭けに勝ったといえる。
この魔術によってルアーキの魔術が大幅に強化される。
「すごい力だ。これなら……足砕き!」
瞬間、魔物の動きが止まった。
前線にいた魔物が一斉に「足砕き」を食らったのだ。
後ろにいた魔物たちは前にいた魔犬の突然の停止につんのめり、急停止をかけるが激突する。
玉突き事故が発生していた。
「一撃であんなに……何匹だろう?」
(15匹だ)
「15匹!? そんなに? よくわかるね」
(目はいいんだ)
「ネリネちゃん、魔物は匹ではなく体と数えるんだ」
「あ、そうなんですか!(グリが匹って数えているからそうなんだと思って)」
うるせえ、どっちでもいいだろ。
そこの宮廷魔術師様だってお前のことを「くん付け」したり「ちゃん付け」だったり一定しねえじゃねえかよ。
魔物たちが骨を折られた者たちを乗り越えて進んでくる。
「残りあと三回……ネリネちゃん。もう一度頼む!」
「はい!」
ネリネが再度魔術をかける。
ルアーキが「足砕き」をして、さらに魔物の数が減る。
これで半分。
(ルアーキのは回数制限があるようだが、大丈夫か?)
(まだまだ打てるよ)
ならいい。
慌てていた村の連中もいつの間にか静かになって、ルアーキの魔術の力に見入っている。
「さらに頼む!」
「はい!」
残り15体。
魔物たちとの距離は、もう二十メートルもない。
「最後だ。よろしく!」
「はい!」
「足砕き! ……しまった、取り逃がした!」
残り――1体。
さいごのゴブリンが一矢報いんとてルアーキに襲い掛かる。
「うわああっ」
(まあ役割は果たしたわけだし、こいつには退場してもらってもいいか)
(そんなひどい! ルアーキさんがいなかったら私たち死んでたんだよ!)
(ああ、死んでから感謝しようぜ。いいだろ別に。ゴブリン一匹くらいなら村人でもどうにかできんだろ)
そんなことを考えていたのに――
「発っ!」
修道女ヤルタの鉄拳がゴブリンの頭蓋を打ち抜いた。
ゴブリンは死んだ。
こうしてすべての魔獣は戦闘不能になった。
……ヤルタさん、戦えるんかい。
殺ルタさんだったんか。
ヤルタさんマジやるぅ~↑ ひゅ~(口笛)。
「や、やった……! 村は救われたんだ!」
村人の一人が泣きながら叫んだ。
「うおおおやったああああ」
「魔術すげえええ」
「救世主だあああ」
村が勝利に湧きたつ。
ルアーキはほっとした表情を見せた。
ネリネも笑っている。
ヤルタはなんかよくわからんが祈っている。
「祭りだ!」
「もうこれは祭しかない!」
「祭りを開こう!」
「宴会! 宴会!」
「祭!」「酒!」「肉!」
若者が騒ぎ出す。
お前ら祭したいだけだろ。
「僕は疲れたから休ませてもらうよ」
「まあまあ魔術師様そんなことおっしゃらずに」
(私も休もう……ああ、でも家には)
嫌なことをおもいだしたな? いいぞー。
(もぐもぐ。でもこれで一躍、村の英雄になれたんじゃないか? そしたら母親だって悪いことは言わないだろう)
それですべてが解決するわけじゃない。母親の言ったことは消えない。
それでも母親と仲直りしたいとネリネは言ったのだから、その機会くらいは貰っても悪くはないだろう。
(そっか……。私、もう一度お母さんとやり直してみるよ)
俺はやり直さなくていいと思うけどね。
「祭りの用意に取り掛かるぞ! おいそこの娘、お前も手伝うんだよ!」
「え、私?」
意外なことに、呼ばれたのはネリネだ。
「当たり前だろ! お前は魔物どもをこの村まで引き連れてきた厄介者だ。魔術師様に処理していただけなければどうなっていたか――」
「おまえは魔術師様の隣にいて無意味に腕を振っていただけで、何もしていないじゃないか!」
「い、いや私、でも――。それに一緒に逃げてきたのはルアーキさんもじゃないですか!」
「魔術師様を本名で呼ぶとは何事だ!」
「村を救ってくださった魔術師様に感謝の祭を!」
「魔物を連れてきた厄介な娘に贖罪の処刑を!」
「え、ええー……」
さすがのネリネも引いている。
(やっぱりこの村、救わない方が良かったんじゃね)
(い、いや、そんなことは、ない、よ……?)
まったく自信無し。
厄介な方向にしか動かんな。
「いやいや、ネリネさんは私の弟子になりまして、私の魔術の手助けをしてくれたのです。魔獣を連れてきたわけでもありませんよ」
「え?」
ルアーキの言葉に耳を疑う村人たち。
ルアーキが懇切丁寧に人々の誤解を解くと、
村人の反応は180度変わった。
「そうだったのか! 村娘すげええええ」
「こいつ名前なんだっけ?」
「ネリネでしょ」
「そっか! ネリネ様マジ聖女!」
こいつらの手のひら返し、鮮やかすぎるでしょ。
どんだけだよ。
人間ってこんな奴らばっかりなら救う価値ないだろ。
……?
なんで俺は人間を救おうとしている?
魔物なのに?
なにを……誰かに、なにかされた……?
そういえば知るはずのない知識を……どうして……。
だが生まれてから俺になにか仕込むタイミングなんてなかった。
なら、生まれる前……?
いや、まさかな。
(どうしたの?)
(いや、なんでもない)
「でも、私も手伝いますよ」
「いえいえいえネリネ様はそこでじっとしていてください。ルアーキ様とお二人で祭りの主役なんですから」
日が暮れる。
太陽が沈む。
日の光が消えていく。
そのことが、どうにも俺を穏やかな気分にさせる。
じき、夜だ。
かがり火が焚かれる。
「大変な一日だったね」
ネリネが俺に向けて言う。
そうだな。
俺たちにしちゃあ、今日はずっと大変な一日だった。
これ以上なにかあるとかだったら、勘弁してくれ。
流石に俺も目が持たんぞ。
ルアーキがぼやいた。
「やれやれ。今夜は、騒がしい夜になりそうだ」
そういうフラグやめて。