森の魔物、人という魔物
村から逃げ出したとはいえ、14歳の少女の体力などたかが知れている。
しかも気持ちが昂っているのだから、それだけ息が切れるのも早い。
結局のところ、ネリネは村はずれの森の前で息を荒くして四つん這いになっていた。
分かったことは、走っているときの苦痛もそれはそれで美味いということだ。
決して派手な味わいではないが、白米のような感じで、毎日それなりの量を食べたいと思える感じだった。同時に、あまり食べ過ぎると気持ち悪くなりそうな感じでもある。
恐らくこの味は喰いすぎるとネリネの体力の限界を履き違える結果になる。
苦痛が緩和されるということは、まだいけると勘違いすることになるからだ。
そのことに俺が気づき、食べるのをやめた瞬間、この村娘ときたらころりとへばりやがった。
(おい、気づいているか)
「ぜえ……ぜえ……なに……?」
(そっちは魔王領だぜ)
「!」
ネリネは跳ね起きた。どうやら気づいていなかったらしい。
ちなみにどうして俺が魔王領かどうか分かったかというと、すぐ近くに俺が流されていた川が流れていて、その川の上流に平行するようにネリネが走っていたことに気づいたからだ。
どうやら俺も少しずつ強くなってきているらしい。
視力が格段に上昇しただけでなく、妙な視点を持てるようになった。
いわゆる鳥瞰とか俯瞰とかいう視点だ。要は地図を見るみたいに上から見下ろすのだ。
「鷹の目」と呼ばれる才能で、人間でも才能があればできることだったように記憶している。どこでこさえた知識なのやらあやふやなので間違っているかもしれないが。
便利な能力なのだが、使いすぎるとちょっと酔う。おそらく使っていくうちに慣れるだろうけど。
(ここから先は魔族領の森だ。入ればどうなるかわからんぞ)
脅しつけると、ネリネはその森を見て怯えて「ひっ」と声を漏らす。あえて食べない。
(逃げるにしても方向を間違えたな。人間領に行くべきだったんじゃないか?)
ネリネが精神的に傷ついたり、苦しくなったりするのは大歓迎なのだが、死ぬのは勘弁だ。俺も一緒に死んでしまう。
ネリネが屈強な戦士とかだったらこの森に入るのも止めないが、残念なことにこいつはただの村娘。剣も鎧も持っていなければ、戦うこともできやしない。
俺のビームもあるにはあるが、アレ、使うごとになにか消費してる気がするんだよな。
連発できるものではないだろう。
「もうやだ……うぅ……ひっく」
ネリネは膝を抱えて泣き出してしまった。
まあ立て続けにいろいろあったからな、無理もないだろう。
この感情は喰う。なかなかに甘くておいしい。なんという感情だろう。
「失意」「絶望」……うーん違うな。もっと小物っぽい感情だ。
あ、分かったぞ。これは「いじけてる」ってやつだ。
「うるさい!」
ヒステリックにネリネが叫ぶ。
お、この感情は「怒り」だな? 図星を指されて逆上しているんだ。いいゾ~これ。
このスナック感、もりもり食べちゃう。
「っ……」
今度は「嫌悪感」に変わった。食われることによって急激に感情が平坦になっていくことに気持ち悪さを感じている。そして同時にそれを行っている俺に対する薄気味悪さを含んでいるわけだ。
うーん。煽れば煽るほど色んな感情が沸き出てくるなあ。
人間って面白ーい。
お、またちょっと強くなった気がするぞ。
(……と、これはいかんな)
「これ以上なにがあるっていうのよ……」
(魔物だ。三匹もいる。犬型か。これはどうやっても気づかれるな)
「そんな!」
(逃げても追いつかれるだけ……。ま、木登りは苦手だろうからやり過ごせばいいだろうさ)
「そ、そっか……」
ほっと胸をなでおろし、俺の言うとおりに近くの木に登り始める。
安心の感情が支配的だが、恐怖の感情はないわけではない。ので味は悪くはない。
ネリネはすいすいと登っていく。おーおーうまいもんだ。
こりゃあけっこうヤンチャしてたな。
「そ、そんなことないよ……?」
恥ずかしそうに誤魔化すネリネ。
ま、そのおかげで魔物はあっち行ってくれるんだから儲けものってもんだ。
木に登り切ったところで、ネリネの(右)目にも犬魔物の姿が見えた。
犬はこちらの様子に気づいた様子だが、特に気にする事もなく目の前を通り過ぎていこうとする。
ネリネはそれでも怖いのか、固唾を吞んで見守っている。
(あの斥候の魔物たちが帰っていけば、本隊が来る。その前に逃げる支度を整えないとな)
俺は話しかけると、ネリネも思念で返してきた。
(せっこう……って何?)
(ああ? 知らないのかよ。敵軍の先発偵察隊のことだ。要するに、こいつらがお前の村を偵察してきて本隊に情報を伝えるんだ)
(そうなんだ。……って、そうじゃなくて、本隊とかってどういうこと!? まるで魔物が軍隊みたいにして襲ってくるみたいじゃないの)
(そりゃあ襲ってくるだろうな。なにせ、魔王軍が攻めてくるんだからな)
俺は既に「鷹の目」で本隊の位置を把握している。すぐ近くにまで来ている。
今日中には攻めてくるだろう。
(そんなことになったら……!)
(村は一瞬で壊滅だろうさ。みんな死ぬ)
領主が死んで混乱しているだろうことも、壊滅を早める一因となっているはずだ。
よかったじゃないか。喜ばしいことだ。
あんな親が死んで、お前の境遇を見て見ぬふりをしていた村人も、嫌な思い出と一緒に消え去る。
スカッとする話だろ?
俺はこの村娘が苦しむのが大好きだ。
だが今回ばかりはこの娘も喜んでいいと思っている。
なにせ親がひどい目に遭って死ぬんだぜ。
こんなにうれしいことはない。
俺は生まれてすぐに「失敗作だ」と捨てられた。
その恨みは、どんぶらこっこと川に流されていたときからしっかり刻み付けられている。
恨んだヤツが死ぬってのは、さぞいい気持ちだろうなあ。
そうだろう?
だが、このネリネってチビガキは愚かだった。
俺が想像していたよりもずっと愚かだった。
「助けなきゃ……!」
思わずネリネは口に出していた。
沸き上がってくる感情は、ある種の切迫感。それと、「決意」だ。
(おい、冗談だろ?)
お前はなにを言っているんだ? 頭がおかしいのか?
自分を利用していた母親のいる村だぞ?
クソみたいな目に遭わせた領主が統治していた村だぞ?
お前は、そんななんの価値もない村人のために、命を懸けるっていうのか!?
(お前は命が惜しくはないのか!?)
俺は生きたい。ただひたすらに生きたい――。
それ以外に望みはないといってもいいくらいだ。
餓死直前、死の淵を漂って見つけた、ただ一つの俺の願望。
おれがネリネをいじめて強くなろうとしているのも、ただひとえに「生きたい」と、それだけなのだ。
俺の中にある絶対的な価値観。そこから外れたことを、こいつはやろうとしている。
他人の命のために自分の命を懸けるなんて、バカげたことをやろうとしている。
なんの報酬もないのにだ。
恐怖の感情を食いすぎて蛮勇を起こしたか? いや、そんなはずは……。
「人間じゃないグリには、分からないよ」
は? なんだよそれ。
なんだよそれ……。
こんな小娘に、「負けた」って気にさせられた。
くそ、なんなんだ。
なんだってんだよ!!!!!
「――っあ、ああああああああああああ!!!!!!!!」
ネリネは叫ぶ。恐怖を拭うように――
飛びかかる。犬の魔物に――
なんの力もないただの村娘が、クソみたいな村人を守るために――
――そのとき俺は、ただ感情を探していた。
――この、聖人みたいな胸糞悪い行動の裏にある、浅ましい打算を。
(わたしが領主を殺したせいで、村人がみんな死んでしまう。わたしのせいで)
(わたしのせいで!)
――そう、そんな自分勝手な理由で、この娘は行動したんだ。
――なんて愚かなんだろう。命よりも大切なものなど、ありはしないというのに。
――だというのに。
(そんな自責を抱えたまま、一生を生きていくなんて辛すぎる)
(わたしは、後悔したくない)
――生命の危機よりも、自責の苦しみの恐怖が勝る。
――自分勝手な行動さえも、誇り高く、英雄的に思えてくる。
――そのことが、すごく、すごく。
むかつくぜ。
なんだかとってもムカつくぜ。
クソ、クソクソクソクソクソ!!!!!!!
おい魔犬ども!!!!!!!!!!こちとら滅茶苦茶キレちまってよお!!!!!!!!!
テメエらに罪は無いんだけどよ!!!!!八つ当たりさせてもらうぜ!!!!!!!!
オメエら!!!!!俺のサンドバッグになりやがれ!!!!!!!!!