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翠眼の魔物  作者: ミドリのヤツ
2/20

ネリネの母

 村娘は水盆に自分の顔を映した。


 ほーん、なかなか美人じゃないの。どうりで変態の標的にされるわけね。


 左目をすっぽりと覆うほどの長い前髪は美しい金髪のブロンドだ。年齢は十四歳前後というところか、頬の輪郭に幼さが残る。目鼻立ちも整っており、幼いながらも美人に見える。

 だが左目の周囲は大きな傷痕が残っている。

 顔色は蒼白で、この世の終わりみたいな表情をしている。


 領主を殺したあと、村娘は我を取り戻すと悲鳴をあげて駆け出し、自分の家に逃げ帰った。

 「やっちゃった。やってしまった」と呟きながら、現実を認めたくないとばかりにベッドに顔を埋めて、それから「これは夢だ、夢なんだ」などと散々現実逃避をしていた。無いはずの眼球である俺を認めたくないのか、瞼をぐりぐりと抑えたり、なんかかんだ痛かった。

 その間、村娘はずっとこんなことばかり考えていた。


(どうしようどうしようどうしよう殺しちゃったどうしよう)

(バレたら殺されるバレたら殺される)


 危機を脱したらそれはそれでまた危機とは、なかなか難儀な娘さんですことねえ。

 殺したのは俺だけど。まあ最早この娘さんと俺は一心同体みたいなところがあるわけで、罰を受けるのは一緒だ。


 村娘はこの先の未来が怖くて怖くて仕方がないらしい。

 だからこそ、その感情は美味で美味で仕方ないんですが。

 しわしわになっていた頃より全然楽。つかこの数分で結構強くなったような気がする。


 と、それからさんざん悩んだ挙句(まあ10分くらいだったのだが)、ようやく現実と向き合う決心がついたのか、水盆に自分の顔を写したのだった。


 俺は爛々と緑色の瞳が妖しい輝きを湛えている。



「やっぱりある……」


 泣きそうな顔で村娘は映った俺を見て呟いた。

 そうそう。現実とは向き合わないといけないわけよ。でないと君が泣いたり悲しんだり怖がったりできないでしょ? ごちそうさまです。


「ごちそうさまですじゃないよ……人の気持ちも知らないで……」


 や、知ってるから食えるし、美味いんだけどね。


 ……ん?

 いまこの村娘、俺の思考を読んだか?


「読んだもなにも……」(……わたしの頭の中でいろいろ喋らないでよ)


 え、はい。ほーん、へえなるほどね!

 いま俺は、この村娘の脳を借りて思考してるんだ。さながらハッキング。

 ん、ハッキングってなんだ? 知ってるけど知らない単語だ。どこで覚えたんだろ。まあいいや。


 俺は脳を借りているから、その代わり俺の思考は村娘に筒抜けになる。


 つ ま り

 俺がいやらしい妄想をすれば、それから村娘は目を背けることができない!

 この村娘の思考をレ〇プできるってことだ!


 やったぜ!!!!!!


「嫌嫌嫌嫌!」

 村娘は髪を振り乱して頭を抱えた。

「どうしてこんなよく分からないものを受け入れてしまったんだろう……どうかしてたんだ……」


 村娘は後悔する。

 その感情も、いただきです。

 爽やかなのどごし。濃厚でドロドロとしているが、気持ち悪さは感じない。あっさりとしつつも口に残る味わいだ。

 「後悔」。また美味しい感情を知ってしまった。

 ま、俺には口も喉もないから、感覚的なものなんだけどね。

 結構この感情はやみつきになるな。知らず知らずのうちに食いすぎてしまうかもしれないぞ。


 なんて思っていたら、村娘から感じていた後悔の感情が消えた。

 胸につかえがとれたみたいに急に明るくなって、顔を上げた。ぐっと大きく伸びをする。


「ま、いっか。後悔したってしょうがないよね。今できることを考えよー」


 は?

 領主殺して30分でこれっすか?

 この村娘の倫理観おかしくね? ってか落差凄くね?

 ってかこのポジティブって感情、胃もたれする。端的に言って不味い。


 と一瞬思ったし村娘の頭の具合を心配したが、全ては俺のせいだと気が付いた。


 俺が「後悔」という感情を食べ過ぎたせいで、彼女の中から後悔が消えてしまったのだ。

 つまり俺が悪い感情を食べ過ぎるとこの村娘はポジティブになるってわけ。

 喰いすぎると良くないんだな。


「良いわよ。むしろ好いわよ。だって、これで後悔ばっかりしてないで前を向いて進めるもの」


 と、にんまり顔の村娘。マジでポジティブ思考に切り替わりやがった。


「私はネリネ。あなたは?」


 いや、名前なんてねえよ。生まれた瞬間に親に捨てられ川に流されていた身でね。


「かわいそー。そう、じゃあ名前を付けてあげるわ。そうね。緑色の目だから――グリ! いいでしょ?」


 だせえな、もっとかっこいい名前を付けてくれよ。

 ってか、今ちょっとよぎった憐みの感情うぜえな。不味いわけじゃないが、嫌いだ。


「かわいいじゃない。決まりよ。ね、グリ」

 ネリネはそう言って笑う。もうどうやっても俺の名前はグリで決まりらしい。

 不服極まりないが、まあこいつ以外に呼ぶ奴もいるまい。

 好きにしてくれ。


 と、玄関先で物音がする。

「あ、お母さん帰ってきた」


(本当に母親か? 出たら領主殺しの罪でひっ捕らえられるんじゃないのか?)

 とネリネに訊ねたら一瞬恐怖。だが、

「ううん、あれはお母さんだよ。お母さんの音だ」


 生活音を共有していると、なんとなく特有の音というモノを感じ取れたりする。

 きっとそういうものだろう。俺がなんでそれを知っているのかはわからんが、そういうものなのだろう。

 実際、その「お母さん」だったわけだし。


「お母さんおかえりなさい」

「ただいま。どうしてこの時間にあなたがいるの? 領主様のところにいるはずでしょ?」

「あ、うん。それがね……」


 話しづらそうにネリネは口を濁した。不安に思った母親が口を開く。


「もしかして領主様に何か失礼なことをしてしまったんじゃないでしょうね」

「え、えっとね、お母さん。領主様が私の目を潰して、その、いろいろと酷いことをしていたでしょう?」

 エッチな、とかいやらしい、とかいう言葉を使いたくなかったらしい。

 なら俺が言ってやる。いやらしいいやらしいいやらしいいや

(五月蠅いだまれ)。

 ネリネに遮られた。お嬢さんたらマジ切れですわよ。


「耐えなさいネリネ。母子家庭は大変なの。あの方の援助がなければ、あなたを養っていくなんてとてもとても。ねえ聞いてるのネリネ、全部あなたのためなんですからね」

 嫌味な感じで、躾けるように母親が言う。

 お母さん、そのわりに肌が艶々してますねえ。持っているバッグもなかなか高そうな生地を使っている。


(お母さんはいつも厳しいことを言う。でも大丈夫。それは全部私のためなんだから。お母さんならきっと私の味方をしてくれるわ)

 ネリネはそう考え、意を決して告げた。


「お母さん、領主様が死んじゃった。私が殺しちゃったの」

「………………え?」


 母親の惚けた顔は見物だった。

「な、なに言ってるの? 冗談でしょう?」

 しかしネリネは首を振る。雰囲気から、冗談でないことが伝わる。

「…………」

 母親はネリネを突き飛ばした。


「きゃ」

 ネリネは悲鳴をあげて倒れる。母親は彼女にのしかかって首を絞めた。

「お、お母さ……」

「あんたは……」

 母親はぞっとするくらい低い声で呟いた。そして急に大声でまくし立てる。


「なんのためにあんたをここまで育ててきたと思ってるの! こんなに苦労して領主に取り入って、これだけいい暮らしができるようになったっていうのに、それを私に手放せっていうの⁉ 冗談じゃないよ。これから欲しいものだっていっぱいあったのに、あんたが領主に気に入られてさえいれば、あたしの将来は・・・・・・・安泰だったのに・・・・・・・!」


 鬼気迫る形相で母親はネリネを殴った。


 信じられないものを見たと、ネリネは母親を見る。

「ねえ、嘘だよね……? 私とお母さんの、だよね……? 言い間違えただけだよね……?」


「ああ?」

 母親はネリネをゴミのように見る。

「なに言ってんだ。眼球潰されて目ん玉の穴犯されるんだぞ、あんたは不幸に決まってんだろ。でもそれでいいだろ。おまえは、あたしの幸福・・・・・・のために犠牲になっていれば良かったのに!」


「え……? ええ……ぇ……?」

 ネリネの中で、親への信頼が砕け散る。無条件で信じていた前提がボロボロと崩れ落ちている。

 それを味わって俺は、

(あはぁ……なんて美味いんだ)

 これが、絶望の味……!


 ネリネは母親に首を絞められている。

(おい、そろそろ抵抗しないと死ぬぞ)

 意識が朦朧としてきた。

 声をかけてみるが、ネリネは脱力して動かない。ダメだ、抵抗する意識が蒸発している。

 仕方ない。俺は気付けとばかりに少し目からビームを出した。

 母親の網膜を焼く。


「あがあああああああああああ、熱いいいいいいい」

 母親は目を抑えて転げまわる。

「何を、なにをしやがった……!」

「ひっ……!」

 母親の鬼の形相に我に返り、ようやくネリネは恐怖する。

 さっさと逃げろ、殺されるぞ。


 その言葉に反応して、ネリネは家を飛び出した。

 なにも持たず、ネリネはただ恐怖に押されて走った。


 ――もう戻れないような気がして。

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