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翠眼の魔物  作者: ミドリのヤツ
12/20

あまりにも強い敵と、夜明けの光。

 魔狼の咆哮によってネリネの足は釘づけにされた。


(おい、動けよ!)

(やば、夢の中でいろいろ思い出していっぱいいっぱいのところにやられたから――)


 どうやらネリネは夢の中で昨日のことをずっと思い出してしまっていたらしい。

 それで気分が沈んでいるところに恫喝じみた咆哮を食らい、理性が持たなくなってしまったようだ。


 仕方ねえなあ。バリバリもしゃもしゃモグモグ。

 テッテレー。レベルアップ。

 あー美味かった。……とか言ってる場合じゃねえ!


 魔狼が、かぎ爪で攻撃してきている。


 あ、ヤバい。速すぎ。間に合わない。 なら間に合わせるしかねえな。

「ゾーン」限定解放――!


 一秒が体感三秒くらいになる。

 肉体のリミッターを限定解除して無理矢理動く。


 このかぎ爪は掠っただけでもヤバい。死にはしないが、戦闘不能の深手を負うだけの威力がある。

 だから受けることはできない。確実に避ける。


 う――おおっ、ギリギリセーフ!


 この「ゾーン」の限定解放は、ネリネが寝てる間に俺が習得した技だ。

 強くなったから使えるようになったというよりは、一回使ったから慣れでできるようになったという感じ。


 一回きりの「ゾーン」ではどうにもならない場面が出てくると思って用意しておいたものだが、

 こんな早くに使うことになろうとは。


足砕きルイン!」

 ルアーキの魔術が魔狼に対して使われる。

 だが、


「折れないだって!?」


「長く生きた魔獣――長命種エルダーとなったこの魔狼には対魔力がある。人間の魔術程度で傷つけることなど、できはしないのだよ!」


 そりゃダメだ。俺のビームも効かないってことじゃないか。


「なら、強化付与わたしのまじゅつで!」


「させると思うか!」


 ネリネが振りかぶったところに、魔人ベーロスが肉迫する。


 ネリネは直ぐに判断を翻し、身をかわす。


 そこにヤルタが駆け込んできて、拳を放つ。

「遅くなりました!」


 ヤルタは疾風のように現れた。急いで駆けつけて来てくれたらしい。

 そう遅くはない。この人が戦いに参加してくれるのならありがたい。


 鋼鉄のナックルを装備した修道女の拳は、魔人の腕によって防がれていた。

 ウソだろ。ゴブリンの頭蓋骨を粉砕した拳だぞ!?

 効いた様子がないってどういうことだ!?

「なんて硬い」

「魔人を、ただの魔獣製造機のようには思わないことだ」


 ヤルタは飛びのいて距離をとる。

 ネリネが再び魔術を放とうとするが、魔狼に邪魔されて使えない。


「ルアーキ様! ネリネ様! それから修道女の人! 早くそいつを倒してください!」

「これじゃあ安心して眠れません!」


「はあ!?」

 ネリネは村人の発言に怒りまじりに呆れた。

 こいつら状況分かってんのか?


「あの魔獣の群れをなんとかした宮廷魔術師様たちなら、そんなたった一人と一匹、なんの問題もないでしょ」


 だめだこいつら。

 はやくなんとかしないと。


 村人の叫びにヤルタが抗議する。

「この二人が倒した六十体の魔物の、さらに親玉なんですよ!? あんなのよりよっぽど危険に決まってるじゃないですか!」


「それをなんとかするのが魔術師の役割だろ。さっさと職務を果たせ!」

 強面の中年村人が頑迷に言い放つ。


 いまさっき、はやくなんとかするといったな? あれは無理だ。

 愚民過ぎるでしょ、いったい何なの。

 この民衆はやく滅びないかな。


 魔人が人間を嘲って笑う。


「哀れだな魔術師! 愚民どもに急かされる英雄というのは、お前たちに戦う意義などあるのか!」


「村の連中なんか正直どうでもいいんだけどね! ただ死にたくないだけだ!」


「そこの村娘を引き渡すというのなら、この場で命をとるようなことはしないと約束してもいいが、どうする?」

「それは断る!」

「ならば死ね!」

「それも断る! 僕は生きる! そしてネリネくんもだ!」


 魔人ベーロスと魔術師ルアーキのやりとりに、民衆が怒鳴る。


「我々がどうなってもいいとは、それが救世主の言うことか!」


「君たちを救おうなんざ欠片も思っちゃいないんでね!」


 ルアーキの返答に呼応するように魔狼のかぎ爪が近くの家屋を薙ぎ払う。

 家は半壊した。


「――――い、いやああああ私の家があああああああ!」

 村人の一人が叫び、それによって村人たちがパニックになる。

 ようやく今の状況がつかめたらしい。


 村人たちは絶望的な状況に颯爽と現れて村を救った二人の魔術師(とついでに修道女)の存在を英雄視していたようだ。

 その存在がいることで、どんな敵が来ても自分たちに危害が及ぶことはないと思い込んでいたらしい。

 どうせなんとかしてくれると思い、安全地帯から好き勝手なことを言っているつもりだったのだろう。


 絶望的な愚かさだ。


「私は民衆を救うつもりなのですが……」

 ヤルタは寂しそうにポツリとつぶやいたが、誰の耳にも聞き届けられることはなかった。


「逃げろ」「早く離れるんだ!」

 村の歳を経た者たちが指示する!

「た、たたた戦わなきゃ!」

 村の若者が農具を構えた。

 酪農で藁に使う、でかいフォークみたいなやつだ。

 他にも鋤とか鍬とか持ってる奴もいる。


 戦力になってくれる? それは勇敢なことだ。そういう村人も居たんだな。声がでかい阿呆が多くて気づかなかったぜ。

 だが悪い。正直なところ邪魔だからやめてくれ。……と、あえて告げる必要もなく、村人たちは武器を持ったまま震えて動けない。


 魔狼と魔人の猛攻に、俺たちはギリギリ耐えている。

 ルアーキやヤルタはともかく、なぜ普通の村人のネリネがなんとかできているかというと、それは「鷹の眼」の効力が強い。

 視覚に依らない空間認知ができるこの力で常に相手の動きを把握し、ただ「避ける」のみに集中して体を動かし続けている。

 俺が指示を出し、ネリネはただ動きに集中する。その役割分担を行っていることで、なんとかギリギリのところで耐えているのだ。


 とはいえ、なかなか動きが激しい。さっきの限定解放「ゾーン」だけでなく、昨日の「ゾーン」の疲れも取れきっていないネリネのスタミナは、あまり長くはない。


 どうにか突破口を開かないと……。


「う、うわあああああーーーーーーーーーーーーーっ!」

「なぜ出てきた!」


 恐怖に負けたのか無謀な突進をしてきた村人が、魔人の罵倒と共に弾け散る。

 馬鹿め、無駄に命を散らしやがって。

 だが、これで相手はワンアクションを浪費したことになる。


(今がチャンスだ。ネリネ!)

(わかってる!)


強化付与エンチャント!」

「よしきた全力! 足砕きルイン!」


 ルアーキの魔術が再び魔狼に襲い掛かる。

 バキリ! と音を立てて魔狼の足の一本が折れる。


「一度に三回分の魔力アルカを、それも強化エンチャントされた状態で放って、折れたのがたった足一本か……っ!」


 ルアーキは戦慄し歯ぎしりする。

 その言葉が正しければ、魔狼の足一本に魔物45体分の魔力をつぎ込んでいる計算になる。


 どんだけ強いんだ。長命種アルターの対魔力ってヤツは。


 だがこれで少しは有利になった。四本の足のうちの一本が無くなったということは、立ったままかぎ爪攻撃ができなくなったということだ。


 しかも三本足ならば方向転換が苦手になる。素早く動けるのなら、背後に回り込めるようになる。


 魔狼がヤルタの拳をまともに食らえば、有効打になるハズだ。

 ヤルタの攻撃は魔術ではなく物理だ。対魔力は関係ない。

 少なくとも魔術よりは攻撃が通ることを祈る。


 緊急回避をしながらヤルタが魔狼に迫り、

 それに合わせてルアーキが魔人に魔術をかけようとする。

 ちょうど相手を入れ替えたような状態だ。


「強化付与!」

「足砕き!」

「くっ! 私に傷をつけるとは」


 おっ、魔人に対しては足砕きが通るようだ。

 両方の足が折れているのが分かる。


 長命種は魔術に強く、物理に対しては普通。

 魔人は物理に強く、魔術に対しては普通。

 そういうことか。

 これによって相互補完を行っているのか。


「だが無駄だ。そのような魔術は、なんの障害にもならない」

「なっ、足が生えた!?」


 いや違う。

 足から生えたのは事実だが、生えたのは足じゃない。

 足から生えたのは……魔犬だ。


(魔犬を足から生やして、足代わりにしたのか!)

(そんな使い方ができるっていうの!?)


 マズイぞ。これでは足を砕いたとしても、そのたびに魔犬を足から生やされて、何回でも復活してしまう。

 魔犬を生成する能力に何らかの制限があればいいんだが……それを見破るのは、難しいな。


「そろそろ真の力をお見せしよう」


 魔人ベーロスが宣言すると、月影が大きく伸びた。


 いや、それは月影などではない。延長したベーロスの肉体。そしてそこから生成される魔犬たちだ。


 影の中から目が開く。

 あちらこちらから、俺たちを見つめる眼。眼。眼。


 ベーロスが重々しく口上を唱える。


「我らは全にして一の群勢。その瞳・その嗅覚・その脚から逃れること能わず。――見よ。我らは貴様を追い続け、必ず捕えるもの也」


 その場に魔犬が出現する。その数は60、80、100……。まだまだ増える。

 この数を処理するのは……無理だな。


「終わりだ。小娘」

 ベーロスが宣言する。


 だが、終われない。

 終われるものか。

 そんなに俺は潔くない。

 でなければとっくに死んでいる。

 だから、生きる。

 その意思は、俺が持てる最も強固な力だ。


(――諦めるなよ。そんな感情は俺がすべて食い尽くす)

(大丈夫。まだ死んだわけじゃない。まだなにも失ってはいない。幸せになるって約束したんだ。そうそう命を諦めてたまるもんか)


 上等だ。


(後ろから伏兵が来ている。分かっているな)

(分かってる)


 派手な演出の裏で、密かに背後から一体。魔犬を生成し忍ばせている。

 抜け目のないやつだ。

 俺たちが「察しがいい」のは分かっているが、どんな絡繰りがあるのかは分かっていないと見える。

 だからまだ生気はある。

 詰みにはまだ早い。


「――行くぞ」

「――来い!」


 号令一下、魔犬ガルムどもが一斉に突撃する。

 ルアーキもヤルタも、自分たちのことで精一杯だ。


「ネリネちゃん!」

 ルアーキ、叫んでいる暇があったら敵を倒せ。

 と、そうじゃない。強化付与エンチャントを求めているのか。

 だがそんな余裕はない。なぜなら――


 いまこそが唯一の勝機だからだ。


 この派手な攻撃、さすがに魔人ヤツにとっても大技と見た。

 これだけの魔犬生成をやってのけた。だとすればあいつが生成できる魔犬の数はもう少ないのではないだろうか。

 それならば今ここで、こちらも渾身の大技を放つ。


「……エンチャント」

 ぼそりとネリネが魔術をかける。

 魔犬どもは俺たちに向かって殺到している。ということはつまり魔人の近くに肉盾はいないということ。

 ならば攻撃は通る。


 魔狼には通じなくても、魔人には通じる。


 左目強化付与グリーンアイドエンチャンテッド魔力ワンバレッド完全投資オールインの全力閃光。


 無論、こちらも防御を捨てての特攻。リスクの高さは承知の上だ。

 けれどやる。肉を切らせて骨を絶つ。

 その先にのみ生きる希望があるのなら。

 絶望なんざしてる暇はない。全力で突っ切るのみだ。


 食らえ魔人。俺の全力攻撃を――!








 そのとき、夜が明け。

 太陽の光が、地上に降り注いだ。





 ――――――時は来たれり。

 ――――――我の蒔きし魂たちよ。今こそ反逆の狼煙を上げ。

 ――――――魔王の喉笛を食いちぎれ。





「ァァァアアアアアアああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 俺は叫ぶ。

 熱い。熱い。熱い!

 焼ける。焼けてしまう。


 その日光に、魂が焼けてしまう!


「意識をしっかり持って、グリ!」

「ダメだ。お前は誰だ! 俺になにをした!」


 視神経ヘノ接続ヲ強化シマス。

 寄生母体ヘノ浸食ヲ強化シマス。

 母体ノ人格ヲ書キ換エマス。


 ああ。

 意識が飛ぶ。




 …

 ……

 ………




「――ふざけんなよ。誰がアンタに身体を渡すかああああああっ!」


 ネリネの絶叫。それによって意識が元に戻る。


(うぁ……俺は……?)


 前後の記憶がはっきりしない。


 そうだ。たしか魔人との戦いで、俺たちは捨て身の博打をして、それで……。

 それから、どうなった?


「グリ、正気に戻った!」


 正気に?

 そうだ。魔人は?


「それよりも、そんなことよりも、アネモネが!」


 アネモネ?


「うっ……痛ぅ……」


 アネモネが、ネリネの側で倒れている。

 後ろから抱きしめたように。

 血だらけで。

 魔犬の噛み跡だらけで。


 朝日の中。辺りは静まりかえっていた。

 魔犬たちはピクリとも動こうとしない。

 死んでいるのかと思うほどだ。だが生きている。


(どういうことだ。なぜアネモネはそこで傷だらけになって倒れている?)

「私たちを庇ったの。殺到する魔犬たちを見て、それで……」


 あの状況でネリネの身を守るために、身を挺して駆け寄ったというのか?

 思えばネリネの肉体に、覚悟していたほどの損傷はない。


「……ハハ、どうにもまいったねこりゃ。身体中が痛くて仕方ないや。動けそうにないよ」

「アネモネ!」


 アネモネは死んではいないらしい。

 だが出血がひどい。内臓に傷がある。

 これは長くはもたないぞ。


「どうにかしてよ!」


 そんなことを言われたところで、俺にはどうすることもできない。

 治癒魔術師とやらがいれば、どうにかなったかもしれないが。


「そうだ。エンチャント!」


 ネリネはアネモネに強化付与の魔術をかけた。


「強化付与。強化付与!」


 連続でかけていく。

 アネモネの肉体を強化することで、どうにか怪我を治せないかと考えたらしい。


 だがアネモネから流れる血が止まる気配はない。

「くっ……どうして……」


 どうして助けてくれた親友の助けになることもできないのか。

 そんな無力感で、ネリネの目からは涙が溢れていた。


「そんな顔、するなって」

 アネモネがきれぎれに喋る。

「おまえは幸せになるんだろう? だったら、笑わなくっちゃ。そうだろう、ネリネ……」

 そう言って笑うアネモネに。ネリネは叫ぶ。

「死なないで、アネモネ!」


 だがそこで、背後に立ち上がる者がいた。


「やってくれたものだな」


 ぎくりとして振り向くと、そこには魔人。ベーロス・ケェルト。

 くそ、死んでいなかったのか。


 ベーロスの胸には大穴が開いていた。ビームは届き、確実に心臓を焼き尽くしていた。

 だが、ベーロスは魔犬の心臓を代用することで生きながらえていた。


 心臓まで代用できるのかよ……。

 そんなの、チートじゃねえか……。


「小娘よ。お前の力もそうだ。だが、それだけではない。この不可解な運の強さはいったいどういうことだ。――魔獣が魔人を裏切り・・・・・・・・・暴走する・・・・など、後にも先にも聞いたことがない。それが同時多発的に各地で起きている。これはお前の差し金か?」


 ネリネはベーロスを睨みながらも首を振る。


「……そうか。わたしにはどうしてもやらねばならぬ急用ができてしまった。ここは引かせてもらう。だが」


 ベーロスはアネモネを掴んだ。

 傷ついたアネモネの細い体から、苦悶の声が漏れる。


「アネモネ!」

「こいつは人質にさせてもらう。お前をどうするかは、魔王様の判断の後だ!」


 魔狼が息を吹き返し、立ち上がる。

 ヤルタは肩で息をしながら膝をついていた。ルアーキも倒れている。


「この娘を殺しはしない。お前に対する重要な切り札のようだからな」


 ベーロスは魔狼にまたがった。


「どこかで会おう。ネリネという娘。私は常に、お前を監視している」


「待て!」

 ネリネが手を伸ばすが、魔狼は止まらない。


 森の先、山のさらに奥まで、魔狼と魔人、そしてネリネの親友の姿は消えていった。

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