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ミサンガに思いを馳せて

作者: 音羽 光理

「お父さん、もう帰ってるの」

と、ある日の夕方、学校から帰ってきた椎奈が夕飯の準備をしていた僕に言った。

「今日早かったんだね」

「うん、定時で上がれて」

「何作ったの」

椎奈は荷物を置くと、ご飯をよそっている僕の手元をのぞき込んできた。

「混ぜご飯」

僕は三つのお茶碗の内で一番小さいものを手に取った。

「お母さんにお供えするから、椎奈、先食べといて。塾遅れるよ」

仏壇に混ぜご飯を供えて、鈴を鳴らし、手を合わせる。そうして椎奈より少し遅れて食卓につき、一緒に食事を始めた。 

今日の献立は、混ぜご飯、ハンバーグ、それに添えられたサラダ、インスタントの味噌汁だ。ハンバーグはお湯につけるの代物なので実質作ったのはま混ぜ飯だけになる。これもご飯を炊く前に素を入れて炊飯器のスイッチを押しただけなのだが。

テーブルには椅子が三つ。本来人が座るべき私の前の席は空いている。少し大きなテーブルは二人の料理を乗せただけでは場所が余って、少し寂しい。

家族が三人から二人になって十年たつ。妻は病気で亡くなった。二人きりの食卓にも、もう慣れた。当時小学生になったばかりだった娘の椎奈は高校生になり、私は白髪が増えた。

「あ、椎奈、マヨネーズ冷蔵庫から出して」

「はいはーい、あれ」

ついでにビールも、と言いかけると、冷蔵庫を開けたまま椎奈が動きを止めた。

「お父さん、明日の朝のパン、もうないよ」

マヨネーズとまだ何も言っていないのにビールの缶を置きながら言う。私が毎晩ビールを飲むのはこの家では承知の事実だ。

「あたし、塾帰りに買ってこよっか」

「夜遅くなるし、いいよ。行くよ」

ぷしゅっと音を立てて、ビールの缶を開けながら答える。

あー、飲んじゃったの、という椎奈の悲鳴が聞こえる。

「自転車で行くから」

椎奈はまだ納得できないように睨んだ。自転車でもダメなんだよ、という心の声が聞こえる。

無視してビールをもう一口飲んだ。





「ごちそうさま」

「あ、ちょっと待って椎奈。俺も一緒に出るから」

「もう行かないと遅刻するから。早くしてね」

急かすような口調で言うと、椎奈はさっさと塾の準備をして、退屈そうにに玄関にしゃがみ込む。

俺には父親の威厳がないようだ。しかし一応待っててくれるという事は、嫌われてはいないのだろう。

夕飯の片づけは後回し。携帯と小銭をポケットに突っ込んで、鍵だけかけて家を出る。

外に出るとむわっとした空気が身を包んだ。夏が始まる前の蒸し暑い風にうんざりする。


自転車を漕ぎ出すと少し涼しくなった。蒸し暑い風でも、自転車に乗っていると少しは冷たく感じる。

 一緒に自転車で走る時、いつからか椎奈の方が前に出るようになった。前は後ろについてきていたはずなのに。久しぶりに見る娘の姿は大きくなったように見えた。

横断歩道を渡ると、椎奈の通う塾の手前にあるコンビニが見えてきた。椎奈についていこうとすると、ここまででいいよ、と止められてしまう。仕方なくコンビニの前で自転車を止め、しばらく椎奈の様子を見ていると、同い年くらいの男の子がやってきて仲良く話し始めた。仲のいい男子がいるとかいう話は椎奈の口から聞いたことがない。ふと考えてみると高校生になってから、椎奈の友達の話をあまり聞かなくなった気がする。今椎奈にどんな友達がいるか、全然知らない。小学生の時は誰々と遊びに行ったとか、よく話してくれていたのに。高校生にもなると、話さなくなって当然か、と思うが、少し寂しくなる。

 コンビニの中には高校生がたくさんいた。このコンビニは塾からも学校からも近い位置にある。学生鞄とは違う大きな鞄を背負った体格のいい男子高校生の一団を見つけた。多分あの鞄は野球部だ。その中でも背が高い生徒と小柄な女の子が話している。女の子は高い位置で結ばれたポニーテールを揺らし、笑顔で話している。その二人を見て懐かしくなった。高校生の時、私は野球部で妻は野球部のマネージャーだった。当時の妻は目の前にいる女子生徒のように小柄で、いつも笑っている明るい人だった。毎年、夏の試合の一か月くらい前にマネージャーが野球部員にミサンガを作ってくれた。三年の時、物を壊しやすい私のミサンガは、試合の前に切れてしまった。それを見かねた同じクラスで仲の良かったマネージャーがもう一度作ってくれた。それが妻だった。恋仲になったのは、成人してからだが、当時の私はそのころから妻の事が好きだった。もらったミサンガをとても大切にしていた。切れてしまってからも財布にしまって、大事にしていた。いつの間にかどこかに行ってしまっていた。今、どこにあるのだろう。かなり前のものだから、なくして当然なのだが。妻と似た背格好の女の子を見て、干渉に浸ってしまった。


明日の食パンと切れかけてたペットボトルのお茶。ついでに椎奈の好きなチョコのアイスも買っておいてやるか。必要なものをかごに入れてレジに並ぶ。前を見るとさっき見かけた女生徒が前に並んでいた。後姿もよく似ている。


 「すいません、落としましたよ」

会計を終えて店を出ようとすると声をかけられた。さっきの女生徒だった。手には青と白のミサンガ。当時、妻からもらったものだ。驚いてそのまま立ち尽くしていると女生徒が心配そうに顔をのぞき込んでいた。慌てて、ありがとう、と言いミサンガを受け取る。どこにあったんだろう。財布の中に入ってたのかな。でもあのころから当然、財布は変えている。不思議な偶然に頭を悩ませながら、ふと妻の笑顔を思い出す。


コンビニを出ると、自分の汗の臭いが混ざった、夏の独特な空気を感じる。

空を見るとたくさんの星が煌めいていた。時々寂しくなる。自分のやり方に不安にもなる。でもなんとかやってるよ。辛くなったら思い出すから、また今日みたいに励ましてほしい。 

額に汗をかくのを感じながら、自転車にまたがる。帰ろう。灯りのついていないあの家へ。






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