第3話
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アリシアとレオナールは、お互いキラキラに倒れぬよう一定の距離を取って話しをしていた。
「で、だ。その証がある以上は、よほどのことがない限り聖女にはならないだろう」
「そうなのですか。それで、私はいつお嫁さんになるのでしょうか? あ、されるのでしたっけ」
〝嫁〟に来ることに関して最初はひきこもりたいと言っていたのに、今ではそれを受け入れているアリシア。レオナールは口を開けポカンとなっていた。
アリシアは首を傾げる。すると、フードからサラリと美しい髪が流れた。
「ご、ごほん! おっ、お前は、その……魔界に来ることを拒ないのか?」
レオナールはアリシアの髪に触れたい衝動を抑え、態とらしい咳をしそっぽを向きながら言った。
「……んー、そうですねぇ。ここよりかは、マシだと思いますし」
「と、いうと?」
「ここは、眩しくてキラキラしてて……こんな私には、とてもいられない世界です。……むしろ、こんな私がいて申し訳なくて引きこもって――」
段々と顔が俯くアリシア。背景には暗い影が現れ周りにはキノコが生えるのではないかというぐらい、アリシアの気分は沈みきっていた。
そんなアリシアを見て、レオナールは慌てて声をかける。
「おっ、おいおい。そんなジメジメするな」
「は!す、すみません……」
「謝るのも禁止だ」
「はぅ……す、すみま……あ。うぅ……」
てっきり怒られているのかと思い、謝ろうにも謝れぬアリシアはしょんぼりとした。
レオナールは少年の姿になることを恐れることなくアリシアとの距離を詰める。そして、目線を合わせるために、少し腰を屈めアリシアの頭に触れた。
アリシアは一瞬肩が飛び上がるほど驚き怖がったが、その後のレオナールの優しい言葉を聞くと不思議と心が落ち着いた。
「俺は怒ってなどいないから謝るな。しかし、そうも自分を卑屈に思うと、自分がもっと惨めになるぞ? そうなると、お前を産んでくれた母にも謝らなければならなくなる」
「お母様、にも?」
「あぁ。勿論、お前の父にもだ」
頷くレオナールに、アリシアは今は亡き母親の顔と父親のアーノルドのことを思い出す。あれは、まだアリシアが幼い頃――アリシアは両親共にピクニックに行った。暖かい日差しの中、草原を走るアリシアと仲睦まじく寄り添う両親の姿。
アリシアは、聖母のように優しい笑みを浮かべていた母親のことを思い出し、自然と笑みがこぼれた。
あの笑みを思い出すだけでも『アリシア。私の可愛い天使』と言う声が不思議と耳に聞こえるような気がした。
「私は……父様やお母様に感謝しています。こうやって産んでくれて、優しくしてくれて、匿ってくれているのですから……」
「なら、そう簡単に自分を卑屈に思うな」
「はい。善処します」
アリシアはフードの下から微笑む。それは、アリシアにとって久しぶりの笑顔だった。
それを目にしたレオナールは、一瞬胸が高鳴り、そして、その眩しさに呻くとポンッとまた幼い少年の姿に変わってしまった。
「あぁレオナール様! 大丈夫ですかっ?!」
「も……問題、ない」
そこで初めてレオナールは気づく。アリシアが初めて名を呼んでくれたことに。
そのことで気恥しい気持ちになり、レオナールはアリシアに背を向け頬を掻いた。
――コンコン。
誰かが部屋の扉をノックし、アリシアは怯えながら返事を返した。
「ひっ!! は、はははい……」
「アリシア、私だ。使者様のお出迎えが来たよ」
その言葉を聞き、アリシアは再びドンヨリとした気分になった。
「……はい。わかりました……」
そう言うとアリシアは扉を開けた。
扉の前には眉を寄せ、心配そうな顔をしているアーノルドが立っていた。
アーノルドは、まるで最後の別れかのようにアリシアの頬に触れ、ギュッと抱きしめた。
「本当は、お前を行かせたくないよ。アリシア……。それは、お前の母のエミリアもきっと同じ気持ちだ」
「……お父様」
アリシアはアーノルドから離れると「ありがとう」と、言って笑顔を見せる。そして、自分から一歩部屋の外へと踏み出した。
アーノルドはアリシアが自分から進んで部屋の外に出ることに内心驚いていた。それはアリシア本人もそうだった。
アリシアは、最初は憂鬱で憂鬱で仕方がなかった。人前に出ることも、自分から積極的に前に出ることもなかった。しかし、不思議と今のアリシアは覚悟を決め、前を向き歩くことができた。
「不思議だわ……。以前の私なら外に出るなんて考えられないのに……」
廊下を歩きながら呟くアリシア。アリシアはレオナールから貰った証を見る。レオナールは自分のことを『魔王』と言った。
しかし、アリシアの想像していた魔王とは、その姿や性格はまるで違い、実際は、王子様みたいだった。
こんな後ろ向きなアリシアに優しい説教をし、自分と同じキラキラが苦手な変わった王子様。
「想像していた魔王様と本当に違うわ……ふふっ。こう……おどろおどろしくて角とか生えてて、毛深くて口が裂けて歯も尖ってて。……でも、実際は優しくて」
アリシアは不思議な気持ちになり自分の胸に触れる。そして俯いていた顔を上げ前を向き、使者達が待っている馬車へと乗ったのだった。
そこでアリシアは、ふと思い出した。
「……そういえば、魔王様に何も告げずに出てきちゃったわ。怒っているかしら……? それに、私が聖女になれば、きっとお嫁さんも無効よね……私の暗いところでの引きこもり生活がぁ……」
その頃のレオナールはというと、アリシアの部屋に残されポツンとその場で立ち尽くしていた。
「は? え? あいつ、どこに行ったんだ?」
その場で立ち尽くしてているとアーノルドがレオナールに気づくと「おや?」と、言いながら首を傾げた。
「そういえば、マオウ君はお家には帰らないのかい?アリシアは聖女の儀式に行ったが……」
「あっ、あぁ、そうだったな。お父上、すまないが俺は失礼させてもらう」
「そうかい? 気をつけて帰るんだよ」
少年版レオナールはアーノルドの横を通り過ぎ、そのままアリシアの家を出たのだった。
アーノルドはレオナールの立ち去る背中を眺め思う「あの子は、なんだか不思議な感じがするよ」と。しかし、それが具体的に何をさしているのかはアーノルド自身もわからなかった。
恐らく、アーノルドは無意識に感じ取ったのだろう。レオナールが〝魔王〟ということを。
馬車は蹄を鳴らしながら歩き続け、街の奥にある森へと向かう。アリシアは馬車の中からレオナールのことを考えていると、突然、馬車が止まった。
すると、誰かが馬車の扉を開いた。
「どうぞ」と、手を差し伸べエスコートされる使者に、アリシアは冷や汗と手汗を掻きながらも受け入れる。アリシアは、自分のこの手汗に使者も内心は引いているのではないだろうか?と、思った。
アリシアの頭の中では『帰りたい』『ひきこもりたい』という文字が何度もよぎっていた。
「はっ! うーーっ!!」
また後ろ向きな考えになるアリシアは、ハッ我に返り頭を大きく左右に振る。突然のアリシアの行動に使者たちは驚くと、お互い顔を見合わせ首を傾げていた。
使者たちに連れて来られた場所――それは、プロセティアの歴史にも知られる場所である。
この場所は、初代聖女が身を清めるために、一ヶ月間誰とも合わずに居座ったという洞窟と評されていた。
洞窟の両脇には敬意を込めて、祈る聖女の石像が建てられている。建てられた石像を見るからに初代聖女は相当美しい容姿をしているらしい。祈る姿は、まるで天使のように見えた。
そして、祈りの瞳からは優しげがあり哀しみにも見えるような瞳をしていた。
「確か……この石像を作った方は、初代聖女様を知っている方なのよね?」と、小さく呟くアリシア。
「さぁ、アリシア様。この中に」
「はぅ! は、はいです!」
突然声をかけられ驚くアリシア。アリシアは、もう一度薬指にある証を見る。
「……大丈夫、なのかしら?」
そう呟いた時だった。
耳元で、見知らぬ美声が聞こえてきた。
「大丈夫だ。安心しろ」
「っ?!」
聞こえてきた美声は、レオナールの声だった。
驚いたアリシアは、辺りをキョロキョロと見回す。しかし、レオナールの姿はどこにも見えなかった。
「アリシア様?」
「へ?! あ、えーと……そ、そのぉ〜……。う、ううっ! き、緊張して、お、お腹がー! うー、いたたたたー! で、ですので、少々心の準備をしてもいいでしょうかっ?!」
「……は、はぁ。ど、どうぞ……」
必死なアリシアに押され返事をせざるを得ない一人の使者。そして、アリシアは使者から離れ、木の裏へと脱兎のごとく慌てて隠れたのだった。
木の裏に隠れたアリシアは、使者たちに聞こえないようにコソッと小さな声でレオナールに話しかける。
「魔王様? あの……どこにおいでですか??」
「ここだ」
近くの茂みがカサカサと葉を鳴らしアリシアに近づく。そして、茂みから現れたレオナールの姿に思わず息を飲んだ。
アリシアの前に現れたレオナールの姿――それは、真っ黒な毛並みの猫だったからだ。
「ね、ねねね猫さんっ!!」
勢いよく猫に飛びつき、頬をスリスリと頬擦りするアリシア。猫の姿になっているレオナールはジタバタとアリシアの腕の中で暴れ逃れようとしていた。
「や、やめろっ! 俺だ、俺! 魔王のレオナールだ!」
「はっ! このお声は魔王様!?」
「だから、お前が今抱いている猫が俺なのだ!」
アリシアは黒猫の脇を抱えジーッと猫を見る。じっと見られることにレオナールは気まづくなり、アリシアから顔を逸らした。
アリシアは「なるほど〜」と、呟くと再び黒猫版レオナールをギュッとだきしめた。
「すりすり……すりすり……うっとり♡」
「だっ、だから、すりすりするなー!!」
レオナールはアリシアの腕から無理矢理逃れると溜め息を吐いた。
アリシアは猫に逃げられたことに落ち込んだが、逆に頭が冷めポンと両手を合わせた。
「猫が魔王様なのですね!」
「だから、さっきから言っているだろう……」
疲れ果てたようにガックリと項垂れるレオナール。レオナールは気を取り戻してアリシアを見た。
「その証には魔界の霧を少し入れておいた。その霧のおかげで、俺はこの聖域でも何とか入ることができ、それを通してお前の頭に話しかけることもできるのだ」
「便利なのですね〜」
ジーと薬指にある薔薇の証を見つめるアリシア。まさかこの証にこんな力もあったことを知り、アリシアは興味深そうに証を見つめながら頷いていた。
「で、だ。アリシア、俺も洞窟の中に入るぞ」
「え?! で、でも……あの……」
「なんだ?」
アリシアはモジモジとしながらレオナールを見つめる。その表情はどこか不安そうな顔色だった。
「あの……洞窟の中は、ここよりも光の力が強いです。その……だ、大丈夫なのですか?死んだり、しませんか……?」
「…………」
魔王である自分が非力な少女に心配され、レオナールは自分が心配される立場になるとは思わず絶句した。そして、そんなアリシアの優しさに不思議と心が暖かくなった。
「俺は魔王だぞ? そんなことで死んでは魔王の名が廃るだろう。だから、安心しろ。俺は絶対に死なん」
「…………」
猫の姿だが、なんとなくアリシアにはレオナールがどんな表情をしているのかがわかった。きっと、どこか自慢げで自信があるけれど、その表情には優しさも込められている柔らかい微笑みだと思った。
まだ会って間もないというのに、なぜそう思ったかはアリシアにはわからない。
アリシアは自分のこの不思議な気持ちに内心首を傾げ、胸に手を当て俯きながら考える。すると、そんな俯くアリシアを見て、今度はレオナールが心配した様子でアリシアの傍に寄った。
前足をポンとアリシアの足に乗せ、アリシアの顔を窺うように顔を上げるレオナール。しかし、アリシアの顔は、フードと暗闇のせいでハッキリとは見えなかった。
「どうした、アリシア? 大丈夫か?」
「あ。は、はい。大丈夫です。あの……洞窟の中に堂々と猫を入れるわけには行きませんし。何より、使者様にバレるので、どうぞここにお入り下さい」
そう言うとアリシアはレオナールをひょいっと抱え、フードを取ると自分の頭の上に乗せた。
そして、その上からまたフードを深く被った。
もちろんフードを深く被っているので、一見猫がアリシアの頭の上にいるとは思えない。
「お、おい。これは、本当に大丈夫なのか?」
「はいっ! お任せ下さい!」
「う、うむ……」
「やけに自信満々だな……」と、レオナールは思い、アリシアの頭の上でモゾモゾと動いた。
「あ、動いてはダメです! バレてしまいます!」
「す、すまない……」
(く、くそ……俺としたことが! 落ち着け〜、俺〜。理性をしっかりと持てっ!)
レオナールが密かに、元の姿に戻りそのふわふわな髪に触りたい……そして、キスをし、アリシアを優しく抱きたいと思ったことは、アリシア自身は知るよしもなかったのだった。