第2話
✿―✿―✿—✿―✿
お互い目を掌で隠し、いまだにカーペットの上で身悶えするアリシアとレオナール。
「うぉぉぉ……」
「はぅぅぅ……」
「ふ、不覚だ……くそっ!」
「はぅ……。何てキラキラした方なの……」
レオナールはゆっくりと起き上がると不機嫌そうに呟き、アリシアは自分を守るために再びフードを深く被る。
フードを被り数回瞬きをすると、アリシアはレオナールを見て目を丸くした。
「……え? あれれっ?! ……また知らない人が! きゃう!」
アリシアの目の前にいたのは、キラキラした漆黒の君ではなく幼い少年がそこにいた。アリシアはまた怯えたような目で、見知らぬ少年をおずおずと見る。
「そ、そそそその……あなたは、だ、誰ですか……?」
「まだ聞いていないのか?! だから、俺は魔界の王だ! お前は馬鹿なのか?! 馬鹿なのだろう?!」
頭を無造作に掻き、その場で胡座をかく少年にアリシアはポカンとなった。
「へ? で、でも、そのお姿は――」
「あぁ、これか。これは強い光に当たるとこうなる仮の姿だ。厄介なのが、魔力もその姿同様になるということ。はぁ、全くもって厄介だ……」
そう。アリシアの目の前にいた十歳ぐらいの少年は、実はレオナールだったのだ。その事実に、アリシアも少々納得し、改めて少年版レオナールを上から下まで見た。
(言われてみれば、服も髪型も同じだわ)
目の前の少年がレオナールだと知ると、アリシアは四つん這いでレオナールの傍に寄った。そして、おもむろレオナールの頭を撫で始めた。
「なっ?! なっ、何をする!」
突然頭を撫でられたことにレオナールは驚き、慌ててアリシアから距離を取ると、ベッドの端に逃げるように隠れ始めた。
まるでアリシアみたいに、警戒しながら様子を窺っている。先ほどのアリシアとは立場が逆転だ。
アリシアはレオナールを撫でた手を、ジッと見る。
(サラサラのフワフワ……。まるで猫みたい……)
アリシアはまたレオナールを見る。アリシアの目には謎のフィルターがかかり、少年版レオナールの姿に猫耳と尻尾が生えているように見えた。
警戒しアリシアを見る姿は、まるで初めて家に連れて来られ怯える子猫のようだ。
(はっ! こ、これは……本物の猫?!)
そう思うと本当の猫のように見え、アリシアは右手を少年版レオナールに見せ「チッチッチッ」と、音を鳴らした。
「おいでおいで~。えっと……こ、怖くないよ?」
「なぜ、疑問形なのだ?! ………ま、まぁ、貴様は俺の嫁になった者だ。よっ、寄ってやってもよかろう……うむ……決して撫でられたのが嬉しかったとか、そういうのではないからな」
そう言いつつも素直にアリシアの傍に寄り、されるがままに頭を撫でられるレオナール。
アリシアは「よしよし。よしよし」と、言いながら、レオナールの小さな頭を撫でる。レオナールは気持ちよさそうに目を閉じていた。
本物の猫なら、きっと喉を鳴らしていただろう。
「はぅ……かわいいです」
これこそ猫。いや、ツンデレというやつかもしれない。しかし、当時のアリシアは『ツンデレ』という言葉を知らないでいた。
アリシアは、今もまだ気持ちよさそうに目を閉じているレオナールの頭をふやけた顔で撫で続ける。すると、アリシアの悲鳴を聞きつけたアーノルドが部屋の扉を勢いよく開けて中に入って来た。
「アリシア、さっきの悲鳴はなんだい?! 大丈夫か?!」
アーノルドが勢いよく扉を開けたせいで、廊下の光がアリシアの部屋に入ってくる。
「「うぎゃぁぁぁ!!」」
そしてまた、アリシアとレオナールは何とも言えぬ悲鳴を上げ床に転がった。
アーノルドは慌てて扉を閉め、アリシアが大丈夫なように一個の燭台に火を灯した。
「あぁ、すまないアリシア。つい、また変な奴らが現れたのかと――って、ん? その子供は誰だい?」
アリシアは、眩しい光でやられた目を擦りながらアーノルドを見る。光のせいでまだ目がチカチカしていた。
それはレオナールも同じだった。
「お、お父様……私は、大丈夫です。ええと、この方は、マ・オウ・レオナール・ルシファー様らしいです」
「マ・オウ? 変わった名前だね」
「はい」
アーノルドが首を傾げる中、アリシアは微笑みながら頷いた。
「違う! 俺はマ・オウではない! 魔王だ! 魔王!」
「マオウ様ですか~」
「なるほど。やはり、変わった名だね」
「はい、お父様」
ほのぼのとした雰囲気で会話をするアリシアとアーノルドに、レオナールの眉間がピクピクと痙攣する。
(コイツらは馬鹿なのか?態とやっているのか……?)
頭痛がし始め頭を押さえるレオナールに対し、アリシアとアーノルドは変わらない雰囲気の中でニコニコと笑ってた。
「それにしても、アリシアにこんな小さなお友達がいたとは知らなかったよ」
「うーん?」
「ん、なんだい?違うのかい?」
親子揃って首を傾げる。
「うーん、よくわからないです」
「そうか、よくわからないか。……マオウ君。アリシアは、とある理由から人見知りになってしまった。だから、これを機会にアリシアの友達になってくれないかい?」
よくわからないと言っているアリシアにアーノルドが苦笑いをすると、アーノルドはレオナールの方を向き『アリシアの友達になってほしい』と、レオナールに向かってお願いする。「よくわからん状況になってきたが……まぁ、コイツは嫁になるしな」と、レオナールは思うと、腰を屈め目線を合わせているアーノルドの肩をおもむろに掴みドヤ顔でアーノルドに言った。
「任せてくれ、お父上!」
「マオウ君……! ありがとう!」
アーノルドとレオナールはお互いにガッシリと握手をすると二人揃って頷いた。
こうして男の絆が芽生え、当の本人であるアリシアは首を傾げたままだった。
「じゃあ、アリシア。私は下にいるから、何かあったらいつでも呼びなさい」
「はい」
「では、マオウ君。失礼するよ」
「後の事は任せてくれ、お父上!」
アーノルドはアリシアの身に何も起きていないことがわかると部屋から出て行った。
部屋に残ったのは、アリシアとレオナールだけになる。
「…………」
「…………」
二人の間に沈黙が訪れる。その沈黙を破ったのは、レオナールの態とらしい空咳だった。
どうやら、沈黙に耐えきれなかったらしい。
「こほんっ。あー……なんだ、その」
「はい?」
「……とりあえず、その手を止めないか?」
「そんなぁ〜」
二人きりになると、アリシアは無言でレオナールの頭を撫でていた。レオナールはそれを止めるようアリシアに言うと、アリシアは見てわかるぐらいショボンとした表情になった。
まるで、怒られて落ち込んでいる子犬のようだ。
レオナールはそんなアリシアを見ていると、何だか自分が悪いような気がし少しばかりの罪悪感が生まれた。
しかし「ここで嫁を甘やかしては駄目だ!」と、思い、レオナールは自分からアリシアとの距離を一歩置いた。
距離を置いたせいで、自然と手はレオナールの頭から離れて行く。名残惜しそうに「あぅ……」と、呟くアリシアにレオナールは心を鬼にして無視し、改めて話しを切り出した。
「まず、お前の名を聞きたい。まぁ、ファーストネームは既に知っているがな」
「はぁ、そうですか。えっと、私はアリシア・ハーデと申します」
「宜しくお願いします」と、言いながら、頭を下げるアリシア。
「そ、そうか。ラストネームはハーデと言うのだな……。ふむ……アリシア・ハーデか」
「良い名だな」という言葉は恥ずかしので、口には出さないレオナール。レオナールは背筋を真っ直ぐ伸ばすと、またもや態とらしい空咳をした。
「こほん。先程も言った通りだが、アリシア。お前は今日から俺の嫁になった。正式には婚約者なのだがな」
「婚約、ですか?でも、私なんか……どうせまた、困らせてしまいますし……。あぁ、考えただけでも憂鬱で、もういっそのこと死んでしまいたい気分です……」
顔を俯かせ膝を抱えるアリシアに、レオナールは目を見張るように驚いた。
「はい?!いやいや、死なれては困る!それに、そうマイナスに考えるな!これは、魔女の宣託が決めたことなのだ!俺自身は、まだ誰とも婚約するつもりなど無かったのだ!魔女のやつが、顔だけでも見に行って来いと煩くてな。ま、まぁ……今なら、来て正解だったと……もごもご」
「はい?」
アリシアには最後の言葉は声が小さくて聞き取れなかったらしい。レオナールは恥じらう乙女のように顔を赤らめ、純粋な眼差しで首を傾げるアリシアから慌てて目を逸らした。
「いっ、いや、気にするな!」
「……はぁ、そうですか」
「それと、だ。何度も言うが、俺はマオウではない」
「そうなのですか?」
「そうなのですか? じゃない! 先ほどから何度も言っているではないか! いいか? 今度こそ、よーく、その耳と頭に叩き込むのだっ!」
ビシッと指をさすレオナールに、アリシアは頷く。
「俺は、魔界の王であるルシファーの血を引き継ぐ者! ルシファーの血族である! いわゆる、魔族だ。そして魔界の王の座は、今や俺へと下ろされ、俺は『現魔王』となったのだ!」
えっへん、と腰に手を当て顔を上げるレオナール。アリシアはそんな彼の小さな頭に再び手を置いて「なでなで、なでなで」と、呟きながら頭を撫でていた。
「まぁ、貴方が魔王様なのですね? 小さいのに偉いですね。よしよし」
「えへへへ……って、違ーう!! お前は理解していないのか?! 俺は魔王だぞ! 魔族だぞ!? 怖くはないのか?!」
(いや、今更驚かれてもなんだか傷つくだけかもしれんが……)
そう内心思ったレオナールとは裏腹にアリシアは胸の前で手を合わせ、優しい笑みを浮かべていた。
「そんなことありません。それに、ちゃんと理解していますよ? あなたが魔族で、私をお嫁さんにするために迎えに来たと言うことも。ふふっ」
その言葉にレオナールの口はあんぐりと開き、唖となった。
「な、なら、今までの俺のツッコミは……?」
「はい?」
ニッコリと微笑み可愛らしく首を傾げるアリシアに、レオナールは「侮れない娘だ……」と、小さく呟いた。
アリシアのアレが天然から来るものなのか、それとも態となのかは本人しか知らない。レオナールは呆れた顔でアリシアを見ると溜め息を吐いた。
「では、お前は俺の元へと来るのだな? と言っても、拒否権は無論ないのだがな」
「しかし、私はこれから聖典の儀式に行かねばなりません。……本音は、どちらも行きたくないのですけれど……。ひきこもりたいですし……」
「む? 聖典の? と言うことは……お前は聖女候補なのか」
アリシアはレオナールの言葉に首を横に振った。
「いいえ。魔王様はご存知ではないのですか? この国は、十六歳になる娘に必ず山の奥にある洞窟へ行き、聖女の資格があるか確認するための儀式をするのです」
「あぁ。そう言えば、そうものがあったな」
そう言うと、レオナールは不敵な笑みを浮かべ、アリシアの左手をそっと手に取った。
「っ?!」
人見知りのアリシアは驚き手を引こうとしたが、レオナールは逃げようとするアリシアの手を逃がさなかった。
「あ、あの……? な、なななにを――」
「黙っていろ」
レオナールは目を泳がせながら挙動不審になっているアリシアの薬指に「チュッ」と、キスをする。アリシアはその感覚に一瞬目をとじると、左手の薬指は淡い真紅の光に包まれた。
「な、なんですかっ?! あうっ……あ、熱いですっ……!」
薬指から放たれる真紅の光は、アリシアに熱を与える。そして、光が落ち着くと薬指にはあるモノが浮かび上がっていた。
「…………?」
薬指に浮き上がったもの――それは、一輪の薔薇の紋様だった。
まるで指輪の変わりにも見える。
「……これ、は?」
「これは、証だ」
アリシアは「証?」と、言いながら指を見る。レオナールは腕を組みながら、そんなアリシアにその証のことを話した。
「それは〝俺のモノ〟という名の証。これがあれば、そこらの低級悪魔でさえ近づくことはできないだろう。無論、それは他人からは決して見えない。相当な力を持っていなければ、光の者にも気づかれることはなかろう」
「なるほどぉ~。魔王様は凄いのですね」
「ふふふ、今更気づいたか? って、頭を撫でるな!」
レオナールは頭にあるアリシアの手を払い除ける。すると、アリシアがまたしょんぼりとした表情になった。
「お嫌ですか……?」
「……うっ!」
アリシアの潤んだ瞳で見られ、レオナールは眉間に皺を寄せ黙ったまま俯いた。
「べ、別に嫌というわけではない……。そういうのは慣れていないだけだ……」
そう小さく呟いた瞬間、レオナールの体は闇の霧に覆われ、あっという間に、あのキラキラした容姿に戻った。
「お、戻ったか」
「う…………」
「何だ? どうした?」
突然呻きだしたアリシアにレオナールは首を傾げる。アリシアは目を手で隠し「うにゃぁぁぁ!!」と、叫んだ。
「キラキラ、眩しいです! あうー、死ぬーーぅ!」
「…………」
(なんつーか、魔族でもないのに変わった娘だな……)
レオナールは腕を組みながらカーペットの上でゴロゴロと転がるアリシアを、ただただ見ていたのだった。