91.今日の監視
※20151206 改行位置修正
「あいつ、昼夜逆転させたのか」
手渡されたパンとチーズにかじりつきながら、キーファは呻いた。
「そのほうが安全だ」
イーリンは水筒から水を飲み、蓋をする。
今日の野営地はダーヴィという村だった。村とは言え、街道沿いにあるので補給基地及び宿場として機能している。
まず、小さい村にもかかわらず、貴人のための宿舎がいくつも用意されていた。調理人が同行していれば料理もできるようにキッチンが付随しており、浴場も設えてある。調理人がいない場合は食事を運んでくれるようになっており、まともな食事にありつける。厩もあり、十頭ぐらい軽く入れるほど広い。
それから、護衛隊のためのキャンプ地も広く準備されていた。村の住人は多くないため、いつ来るかわからない客のために宿屋はできない。だから、野営できる場所を作るために広く開墾し、井戸をいくつも掘った。この街道を通るのは野営できるだけの装備を持った隊商がほとんどだ。だからそれで十分だった。
銀の馬車の客人は、当然のように村の施設に泊まった。警護役の騎馬隊は馬たちとともに厩の二階が割り当てられた。
館の周りに護衛を立てようとしたが、これは村側が警護役を置いているという理由で断られた。他にも村を利用している客がいる場合、護衛同士で諍いになることが非常に多いからだそうだ。
そのため、今日の寝ずの番は全員、キャンプ場の護衛に回った。
「向こうの護衛は今日はいいのか?」
キーファの疑問にイーリンはうなずいた。
「野営地の方は低木がない。我らが隠れる場所がないからな。機会があれば合図がくる。来たらお前が行け」
「俺だけ?」
「音もなく飛べるだろう? それに、今日はもう少しあの銀の貴婦人の情報を探っておきたいと言っていた」
「ピコ自体の護衛は?」
するとイーリンは不思議そうな目をした。
「……何だよ」
「お前があの方の身の安全を心配するとはな」
「馬鹿にするなよ?」
イライラした口調でキーファは言う。眉根は寄せられ、口はへの字に曲がっている。
「仕事としてあいつの護衛を請け負ってるんだ。失敗は許されないんだよ。当たり前のことだろう?」
「……そうだな。失言だった」
すまん、とイーリンが頭を下げるのを見て、キーファは視線を逸らした。
「やめてくれよな。……あんたのそういう姿、見たくねぇ」
「間違ったことは間違っていると謝るべきだ。ただそれだけだ」
イーリンはさして気にした風でもなく言った。
「それに、私はもう『赤の女王』ではない。ただのメイドだ」
「……業界最高峰の腕を持つ、ただのメイドか。壮大な無駄遣いだな」
「好きなように言え」
そう言ってイーリンはぽん、と果物を放る。キーファは果物を受け取ってかじりついた。
合図が来るまで二人は木の上からターゲットの泊まっている館を睨みつけていた。騎馬隊がすぐそばにいるのと、村の護衛が近くにいるので、忍んでいくこともできない。
ただ、彼らの泊まっている館はカーテンがなく木枠の窓に木製の扉がつけてあるのみで、隙間から中の様子が少しだけ見える。
ドラジェも全ての部屋の窓を塞ぐだけの布は持ち合わせていなかったのだろう。ちらちらと見える光の中で、夫人は銀髪に白い肌をしていることが分かった程度だ。
銀髪も白い肌も取り立てて珍しくない。晩飯のメニューやワインのラベルなど情報のうちにも入らない。しかも、今朝方、風で覆いをめくった時にすでに確認済みの事項だ。
夜も更けて、水音が頻繁に聞こえてきた。風呂に入っているのだろう。窓の扉は閉めていても、音はダダ漏れだ。聞こえてくるのはもっぱらドラジェの鼻歌ばかりだ。鼻歌が途切れたあとは水音はしなくなった。貴婦人は一人で風呂に入ることもできないのだろう。
その後、明かりは寝室らしき場所に移動し、二つの部屋以外は暗くなった。ドラジェのいびき以外は聞こえてこない。今のところ男女の関係があるようには思えない。……今のところは。
昨夜、天幕で見せていたあのイラつきは単に文化的な生活ができないことへの不満だったのか。
王都までほぼ一日おきにこうした宿場としての村がある。王都に近づいて行くほど他の街道と合流して立派な街に成長していくのだが、そこまではこの村ですら贅沢だ。
「つまらんな」
「仕事だ。諦めろ」
イーリンの言葉にキーファは肩をすくめた。そのとおりだ。今の使命はあの夫人の情報を少しでも多く手に入れること。
その時、キラリと光るものが視界を過ぎった。緑色のようなな何か。
「キーファ、合図が来た」
「今のが?」
「そうだ、早く行け」
イーリンに睨まれて、仕方なくキーファは立ち上がると羽を広げ、空に舞い上がった。