89.添い寝と正体
※20151206 改行位置修正
ガタガタと馬車は走る。ふっと意識が浮上してきてルーは目を開けた。
今日はまだ休憩を取っていないのだろうか。荷物の出し入れをすれば流石に目が覚めるはずだ。なので、寝て数刻も経ってないのだろうと判断する。
ルーは体を起こそうとして、がっちり体を抱えている腕の存在に気がついた。それよりも、ベンチに寝ていたはずなのに、床に直接寝転んでいる。いつの間にか毛布が下に敷いてあり、上にも毛布がかけられている。そして、後ろから伸びるこの腕。
問答無用で手首を掴むとぎりっとひねる。「いたっ!」と頭のすぐ後ろから声が聞こえた。
「……グリード、あんたねぇ」
「はずれ、ラティーだよぉ」
ルーは握っている手首を見た。確かにグリードの骨太で筋肉質な手首ではなかった。まだ成人になりきれていない細い腕。
「えっ! ラティー?」
ラティーなら朝から御者台で伝令役をしてたはずだ。後でグリードと交代すると言っていたのに。
「おねーさん、よく寝てたからねぇ。グリードががっくりしてたよ? 何しても起きないって」
――グリード、あとでお仕置き決定。
「じゃあ、お昼も?」
「うん、よく寝てたから。あ、お腹空いた? 一応おねーさんの分、もらってあるよ?」
「そう、ありがと。じゃあいただくわ」
体を起こそうとするが、やはり腹部に回された腕に力が込められて起き上がれない。
「……ラティー、離して。起きるから」
「やだ。せーっかくおねーさん起きたのに」
「……力づくは禁止って言ったわよね?」
「力づくじゃないよー? 普通にしてるだけだし。おねーさんのいい匂いがする」
すりすりと髪の毛に顔を寄せられてる気がする。ルーはため息をつくと、首を少し前に引いてから後ろに勢い良く反らせた。がつっと音がして、後頭部が痛む。
「がはぁっ。おねーさんひどいっ!」
腕がゆるんだ隙にルーは起き上がる。床に座り込んでラティーは鼻と額を押さえていた。
「当たり前でしょ?」
「ひどいなぁ。昼過ぎてもそのまま起こさなかったのにその礼がこれぇ?」
「荷物の出し入れに邪魔だったでしょ? 起こしてくれて構わなかったのに」
するとラティーはにやにやし始めた。
「ううん、他の奴らも眼福眼福って言ってたし」
「……なにそれ」
「おねーさんの寝乱れた姿が見れて喜んでたってこと」
「なっ……次回からきっちり起こしなさいっ!」
ルーが拳を振り上げると、ラティーは肩をすくめた。
「それに、寝返り打ったら落っこちるからって下に毛布引いてくれたの、ウェインなんだよ? ルーを運んだのはグリードだし。毛布二枚しかないから、ボクが寝ようとしたら一緒に毛布かぶるしかないじゃん?」
「……それもいらないから。次回はベンチで寝るから勝手にしないでっ!」
「えーっ、それはグリードとウェインに言ってよ」
「とにかく、休憩時間になったら起こして!」
「はぁーい。じゃ、ボクは寝るね。あ、お昼ごはんはそっちのベンチの上においてあるから」
毛布を引っ張って反対側のベンチに移動すると、ラティーはころんと横になった。
ルーは昼飯を頬張りながら、やれやれとため息をついた。
次の休憩に入ると、ウェインが幌をめくって上がってきた。
「お疲れ様、ウェイン」
「……なんだ、もう起きたのか」
「何期待してるわけ?」
別に、と言って奥から天幕の資材を引っ張り出す。幌を大きく開けると護衛の面々はルーの顔を見て残念そうな顔をして、ウェインと全く同じセリフを吐いた。
「ちょっと、何期待してたわけ?」
資材を渡しながら言うと、にやにや笑いながら去っていく。それがルーには面白くなかった。
ウェインが最後の資材を持って降りると、ザジが幌の外で待っていた。
「あれ、ザジ?」
「降りてこいよ。どうせ半刻は休憩するんだ。体伸ばさないか?」
「わかった」
荷台から降りると、道の向こう側では天幕の設営が始まっていた。
寝ずの番が始まったことで役割分担が出来てきたようだ。休憩の時も銀の馬車と騎馬隊は道の向こう側に行き、こちら側の馬車の面々が資材を運ぶと騎馬隊の六人も協力して休息用の天幕を張る。
こちら側の十六人のうち、午前中は六人が前日の寝ずの番で寝入っているし、午後からは当日の寝ずの番が仮眠を取るため、警戒に当たる人員を差し引くと手が足りなくなるのだ。
それに、騎馬隊のメンバーのほうが明らかに他のメンバーに比べると力持ちで、天幕を組み上げるのもあっという間なのだ。
今回も騎馬隊メンバーが中心になっているようで、ルーが馬車を降りた頃には天幕の形はほぼできあがっていた。
「さすがだね」
「まあ、手慣れてるよな」
ザジの言葉にルーはうなずいた。かつては正規兵で、前線にもいたことがあるような傭兵たちだと考えると、手馴れていてもおかしくはない。
――なぜそれほどの兵士がここに集っているのか、と訝しんでしまうほどに。
「そういえば今日の寝ずの番じゃないよね?」
「ああ、一の馬車はメンバーが多いからな」
「そう。こっちは今日はグリードかな」
「……気をつけろよ。昨日みたいに助けには来れないぞ」
「わかってる。ちゃんと対処する」
男のまま参加すればよかったな、とやはりルー=ピコは思う。だが、そうすると女として探れる部分は探れなくなる。銀の馬車の客人に近寄る機会ができるのも、女のルーだからだ。
そこまで思って、ルーは今日の昼食を自分が持っていかなかったことに気がついた。ドラジェからは女を指名されていたはずだが、特に何も言われなかったのだろうか?
「ん? どうかしたか?」
「ああ、いや。大したことじゃないんだが」
ルーが疑念を話すと、ザジは首を傾げた。
「特にドラジェが騒いでた様子はなかったと思うぜ? 多分、お前が夜警のあと寝てると言われて納得したんだろ。さすがに無理やりお前を起こしてでも持ってこさせろとは言えなかったんじゃねえかな」
「ならいいけど。……そうだ、ザジ。客人の情報だけど」
「ん? 俺の方は特に何も入ってないぞ」
「――ラフィーネって名前に覚えないかな?」
ルーの言葉にザジはたちまち表情を曇らせた。
「……女ってことか?」
ルーはうなずいた。ザジは少し馬車から離れたところまで引っ張ると地面に腰をおろした。ルーも同じように隣に腰を下ろす。耳に唇を寄せて、ザジはささやいた。
「どうやって探った」
「……秘密。まあ、地獄耳が一人いてね」
それ以上は語らない、とルーは口を閉ざす。
「なるほどな。……どっかの夫人か、令嬢か?」
「爵位持ちの配偶者ってところだろうな」
「……三人知ってる」
ルー=ピコは眉根を寄せた。
「まあ、一人は婆さん、一人は赤子だから一人に絞り込めるけどな」
「誰?」
「――なあ、それ教えた見返り、期待していいんだよな?」
珍しく言いよどむザジに、ピコは笑った。
「ボクにできることなら何でも。全部終わったあとの支払いになるけど」
ザジはしばらく黙り込み、地面を睨みつけたあと、ようやく口を開いた。
「じゃあ、全部終わったあとで考える。でいいな?」
「いいよ、ザジ」
ピコはうなずいた。商談成立だ。
「じゃあ教える。――ナレクォーツ伯爵夫人の名前だ」




