84.初日の夜
※20151206 改行位置修正
食事を終わらせ、後片付けも終わると、寝ずの番の護衛以外は自分の天幕へと引き上げた。
ルーは後片付けのあと、翌日の朝食の下ごしらえもすると言って外に作られた簡易かまどの近くで作業をすることにした。
「あれ、まだ寝ないのか?」
明かりをつけたままの調理台に気がついたのだろう、声をかけてきたのはグリードだった。
「ああ、今日寝ずの番だっけ? ほら、明日の朝はあたしが食事当番だからさ、下ごしらえしとこうと思って」
ルーはナイフ片手に寄ってきたグリードに明るく答えた。
「ああ、そうだっけ」
無遠慮に近寄ってきて後ろから腰を抱くグリードの腕をするりと抜けて、ルーは篝火の火をかまどの残ってる薪に移すと鍋に水を張って湯を沸かし始めた。
「夜食分の食料ってないんだっけ?」
「多分ねぇんじゃねえかな。聞いてねぇし。――何作ってんだ?」
ルーはナイフを持ち替え、食材の鶏肉を切り分け始めた。
「ゆでたまご。あと、鶏肉に下味つけて焼いておくのよ。明日パンに挟めばいいし」
「ふぅん?」
「さすがに二十二人分作るのは時間かかるからね。明日はどこかの街に入れるんだっけ?」
「そう聞いてるけど」
グリードは後ろでルーの作業を眺めている。ナイフを持って作業をしている最中に手を出すつもりはないらしい。
「そこにいるなら調味料取ってくれる?」
「あ、ああ」
グリードはルーの言う調味料を箱から取り出して渡し、また後ろに下がる。
「――こんなところで油売ってていいの? 向こうとこっち、六人で守るんでしょ?」
「ああ、こっちがわは俺とラティーが当番だ」
「ラティー一人にしといて大丈夫なの?」
するとグリードは鼻白んだように呆れた顔をした。
「お前が天幕から離れてこんなところで作業してるから、俺がこっちの護衛に出張ってきてんじゃねーか。他の奴らは全員天幕に入ってる。お前もとっとと戻れ」
「はいはい。これが終わったらね。あ、そうだ。あんたたちが今日の寝ずの番ってことは、明日の御者台はウェインとあたしってことよね?」
「ああ、午前中は寝させてもらわねぇとな」
「――馬車の手綱なんて握ったことないんだけど、あたし」
真っ赤な嘘だが、護衛を専門としない便利屋は一人で動くことが多い。本当だと思われる可能性も結構高かった。
「なぁに、そんなに難しいことじゃねぇ。それでも心配なら、ウェインに任せたらいいんじゃねえの? その辺りは適当にしてくれや」
「んー、わかった。まあ、なんとかしてみるわ」
向こうの方でラティーのものらしい笛の音がする。
「おっと……。お前もとっとと作業終わらせて天幕に戻れよ。ちなみに右にある天幕の方だ。他の奴らはもう寝てるから、起こさねぇようにな」
「ありがと」
片手を上げてグリードは向こうに戻っていく。ルーはようやく額の汗を拭ってため息をついた。
――やばかった。まさかグリードがやってくるとは。火起こしに魔法使うところだった。
どんな一瞬も気を抜いてはいけない。誰かが見ているかもしれない。――それを忘れるところだった。
魔法に敏い者なら、魔法が使われたことに敏感に反応するだろう。それだけは避けなければならない。
(ピコ様)
密やかな声が聞こえてくる。ピコにしか聞こえないよう、その声は魔法で届けられている。他の人間には、虫の鳴き声や鳥の鳴き声に聞こえるのみだ。
ルーのほうからは声を出すことはできない。周りに目をやって、ほんの少し頷く。
(銀の馬車のお客人、正体が判明しました――)
ルーはにんまりと口角をあげた。
キーファは面白くない監視任務を続けていた。休憩に入るたびに銀の馬車とその周囲に作られる天幕の様子を監視し、出入りする人間を監視する任務だ。
たかだか王都までの移動だというのに、こんなに休むのは初めて見た。よほど虚弱な体質の人間が乗っているのだろう。
他の護衛や騎馬隊からも隠すようにして銀の馬車の客を天幕に誘導するドラジェの様子は、何かに怯えているようにしか見えない。
銀の馬車の扉をそっと細く開け、顔だけ出して周りの様子を確認して、それから自分だけ出て、天幕の入り口を大きく開き、その端につけられた紐を馬車の扉に結びつける。それから馬車の扉を開け、客にも白い布をすっぽりとかぶせ、前が見えない馬車の客を手を引いて誘導し、天幕の奥まで入ったのを確認して、銀の馬車の扉を閉め、天幕の紐を外して元のように天幕を閉じる。
布で客を隠すとは。上から見られる可能性まで考慮しているのだ。
本当に何を警戒しているのだろう。
銀の馬車に潜り込めれば、少なくとも客の匂いが追える。だが、きっちり閉じられた馬車には鍵までかけられている。隙がない。
キーファは舌打ちした。だがまあ、少なくとも客の手と声は聞こえた。布を被せられても体のラインは見えたし、服の裾も見えた。ドラジェのものでない匂いも確かにした。
――女、か。
なるほど、この男所帯の護衛たちの好奇の目やいやらしい目に晒したくないというのはわかる。
花のような芳しい香り、上等な布地の服、苦労を知らないしなやかな白い細い手。細い肩と腰。
――間違いねぇ、どっかの貴族の奥方か、令嬢。
だが、ドラジェに脅されてるとかいう雰囲気ではないように思う。
ドラジェが天幕に入ってからすぐ、短い悲鳴が上がった。その声が短かったので、歓迎してのものか嫌ってのものか判別できなかった。
休憩が終わると逆の手順で客人が銀の馬車に連れ込まれ、天幕が撤去される。
その後の休憩もほぼ同じ手順で同じことが繰り返されただけで、それ以上の情報は得られなかった。
野営の準備が始まったところで、キーファは騎馬隊と寝ずの番の位置を把握しつつ、ドラジェたちの寝所となる天幕をずっと監視していた。
野営の天幕は休憩の時とは違い、床がきちんと作られる。そのおかげで歩き回るドラジェと客人の足音がよく聞こえた。
女とドラジェは同じ天幕で、仕切りはなかった。寝床として準備されているのは薄いマットのようだが、準備していた護衛の言葉から類推するに、二人分のマットは重ねられて一人分として設置されているらしい。
客人用に全て使ったということなのだろう。
天幕が出来上がり、ドラジェと客人が入ってしまうと、あとは時折ぼそぼそと喋る声が風に乗ってきた。
騎馬隊の天幕とは離れているし、そばには馬が繋がれていて、馬の起こす音にまぎれて騎馬隊の天幕までは届かない。
寝ずの番は野営エリアの一番外側を外に向かって警戒している。広いエリアの四隅に四人いるだけの護衛では、かなり心細いのだろう。篝火の横で当番の護衛が所在なくウロウロしているのが見える。
キーファは時折旋風を起こして護衛を翻弄しながら、ドラジェの天幕に耳を集中させた。他の者たちが寝入る頃合いに風を使うと、中の声がとぎれとぎれだが聞き取れるようになった。
やはり客人は旅の疲れでドラジェに八つ当たりしているようだ。周りに気を使うのも忘れて、甲高い声が時折届く。
『こんな――野宿だなんて――』
『それは申し訳――だが――爵夫人、あなたも――』
『その名で呼ばないで!』
『では――ラフィーネ――――』
キーファはにんまりと笑った。どこぞの貴族と思ったが、あたりだったか。爵位を聞きそびれたが、名前から類推するのは難しくないだろう。
にしても、あの枯れ木のようなドラジェがどうやって貴婦人を籠絡したのだろう。
あの声音からすると、金のためだけではあるまい。声からするとそれほど若くはない女性だろう。
明日、天幕の片付けの時にでも風でいたずらして顔を見てやろう。
キーファの顔に久しぶりにどす黒い笑みが浮かぶのを、顔をしかめて見ている者がいることを、彼は知らなかった。