7.黒い瞳
※前話までとリュウの口調が違っていたので、修正しました。申し訳ありません。
※20151206 改行位置修正
魔法についての本はなかなか興味深かった。歴史の本と言ってもいいかもしれない。
こっちに来てから魔法を使える人間を見たことがない。ラトリーを通じて依頼を受け、荷物を運んだり依頼内容をこなしたりするのが仕事だから、いろいろな人に会うし、街に滞在してるときとかは酒場とかにもよく行く。でも、魔法を使ってる人も見たことがないし、聞いたことがない。
その理由がようやく分かった。
こっちの世界にも確かに魔法はあるらしい。錬金術もあるらしいけど、どちらも失われた技術。失われた理由は大昔の戦乱。優秀な魔法使いと錬金術士をどれだけ囲い込んでるかで決着がついた後、魔法使いと錬金術士は一斉に捕縛され、幽閉された。同じ戦乱を二度と招かぬように。
以来、魔法も錬金術も禁忌の術とされ、人間の歴史からは忘れ去られていったのだという。
高位聖職者による奇跡の技として回復魔法が、そして元々種族として魔法や錬金術が使える種族にだけ魔法が残っている。そして彼らは、人間の前で魔法を使うことを禁じられているのだと。
こっちに来てからいろいろな種族の人にも会った。妖精族や有翼族、精霊族。魔法が使える種族がいたとしても、あたしの目の前では使わないから、知らなかっただけなんだ。
じゃあ、あたしをこっちに呼び出してるのは彼らなの? ラトリーが喋れるのも、彼らがかけた魔法のせい?
こっちに初めて来た時に言ったっけ。『魔法使いになりたい』って。それが叶えられなかった理由がようやく分かった。
あ、でも回復魔法だけは覚えたかったな。こういう大きな傷を負った時に困らないで済む。
トリエンテに着いたら教会で治してもらわなきゃ。あー、また高いお布施がいるんだよね。今回の依頼料、吹っ飛んじゃいそう。
聖職者の偽善者ぶりを思い出してしまった。
あたしは首を振って頭の中をリセットする。
杞憂だと思うけど、魔法の件でちょっとひっかかったんだ。
現実のあたしが起きてる間、あたしの体って消えてるんだよね。そして、現実のあたしが起きるタイミングを、こっちにいるあたしは知ることができない。現実のあたしをこっちから起こせないのと同様に。
だから、場合によってはいきなり現れたり消えたりすることになる。これって、周りから見たら魔法を使ったように見えるんじゃないかなってこと。
今までのところ、それを咎められたりしたことはない。あたしの存在感そのものに魔法がかかってるのかもしれない。周りの人はそれを不思議に思わないように。
もしそうならいいんだけど……。
いきなり消えたり現れたりすることを悟られることなくリュウさんに運んでもらうのはかなり無理があるよね。
やっぱり全部話したほうがいいのかな。今朝はあの子が起きるのも遅かったから、リュウさんには気が付かれてないと思うけど、トリエンテに着くまではそうもいかないよね。
悩むなぁ。
「あれ、起きてる?」
不意に声が聞こえて、あたしはガバっと起き上がった。そう、ベッドで寝そべりながらあれこれ考えてたのよね。
それから包帯外してるの思い出して、緊張する。そうだ、ちゃんとリュウさんの顔を見られるようにしようって決めたんだった。
「あ、はい。リュウさん。……すみません、勝手に本をお借りしました」
足音で部屋に入ってきたのが分かる。あたしは目を真正面に釘付けにしたまま、固まった。
「ああ、包帯が解けちゃったのか。巻き直すからちょっと待ってて」
ベッド脇の包帯を取り上げるリュウさんの腕がちらっと見えた。毛むくじゃらで大きな手。心臓がバクバク言ってる。
「あの、いえ、もう、その、包帯は……」
「でも……僕の顔、怖いでしょ?」
「木の上を移動するのに、目隠しするのは危ないかなって思って……」
「無理しないでいいよ。移動中は背負子に乗ってもらうから僕の顔は見えないし」
決心してたあたしの心、早くもしおれかけてる。でも……。
「それにね」
リュウさんは寂しそうな口調になった。
「顔を見せて女の子に気絶されるの、僕もいやなんだ」
心臓を刺されたような痛み。
あたし……なんて残酷なこと、したんだろう。こんなことまで言わせて。
傷つけた。
こんないい人を。
「さ、後ろを向いて……どうかしました?」
唇をかんで声を押し殺そうとしたけど、ダメだった。右手で拭うのもおいつかないくらい涙が溢れてきて、あたしは声を上げて泣いた。
「……ごめん、なさい」
まだ喉の奥がひりついてる。目の周りも腫れぼったい。
「いえ、落ち着いた?」
あたしが落ち着くまでじっと待ってたリュウさんは、タオルと水を渡してくれた。ちゃんとあたしの視界に入らないように配慮してくれてる。
「はい。……やっぱり、包帯はなしでいいです。ちゃんとリュウさんの……命の恩人のお顔……見たいです」
リュウさんはしばらく黙ったあと、深くため息をついた。
「分かりました。……でも、耐えられないと思ったら言ってくださいね」
椅子を引きずる音。ぎしっと音がして、多分椅子に座ったんだろうな、と思う。視界の端に毛むくじゃらな足が見える。
あたしはゆっくりリュウさんの方に顔を向け、視線をゆっくり足から上げていった。
黒い剛毛に覆われた足。少し外股なんだ。それから膝の上で組まれた大きな手。胸毛で覆われた胸板はがっしりしていて、体型は逆三角形かな。肩の張り出しがすごい。椅子に座っていても少し見上げる位置に首から上がある。
リュウさんの頬、口、鼻、耳、額、頭。一つずつ見て、それから真正面に向いてリュウさんの目を見た。
外で見た時赤かったのはきっと、月の光のせいなのね。黒い瞳はとても澄んでいて――困っているように見えた。口も少し口角が下がってる。
あたしが叫びだすことを畏れてる――そうなった時を考えて悲しんでるように見えた。
とても恥ずかしくなった。
あたしはこんなに澄んだ瞳、してない。
「ごめんなさい、わたし……恥ずかしいです」
それだけ言って、あたしはうつむいた。
「えっ?」
あきらかに戸惑った口調だ。
どう説明したらいいのか、言葉が出てこない。
「えっと、その、君……」
「サーヤと、呼んでください」
あたしは顔を上げた。精一杯の感謝を込めた微笑みで。