70.検査結果とお医者さん
※20151206 改行位置修正
目が覚めたら夕方だった。窓の外は暗くなってる。そっか、冬だからまだ十八時前でも真っ暗なんだよね。
三時間ぐらい寝た感じかぁ。昼間寝ると夜なかなか寝られないのが難点なんだよなぁ、入院って。今日もさくっと寝られるといいんだけど……。
様子を見に来てくれた看護婦さんに聞いたらまだ山崎先生は来てなかったみたい。まぁ、検査によっては結果が出るまですごい時間がかかるものもあるって聞くし、三時間だとまだなのかもしれない。
それからうつらうつらしながら先生を待った。こんな時にスマートフォンがあれば最高なのになぁ。
そういえば、椅子の上に置いておいた汚れ物がなくなってた。母親は来られないだろうから、やっぱり恵美かな。平日なのに無理させてるなぁ……。後で電話……あ、スマートフォンないんだっけ。電話番号も手元にないや。
今度来るまで待つしかないなぁ。
晩ごはんも終わってお風呂も終わって二十時ごろになってようやく先生はやってきた。
なんか、よれよれ。目の下にクマができてるし、髪の毛もボサボサ。
「木下さん、すみません、遅くなりまして」
「いえ、大丈夫です。なんか先生のほうが倒れそうな顔してますよ?」
「ああ、当直のまま外来出てたもんで……」
そういえば病院の先生たちってめちゃめちゃ激務なんだって聞いたことがある。ドクターやナースを扱った四コマまんがとかよく読むんだけど、ほんと大変そう。多分、この先生もそうなんだろうなぁ。
「先生、ちゃんと寝てます?」
「まぁ、寝られるときには寝てますよ。僕の心配をする前に、自分の体のことを心配してくださいね」
苦笑されてしまった。まあ、それはそうなんだけど。
「検査結果ですが、特に問題がありませんでした」
「よかった」
とりあえず胸をなでおろす。これで家に帰れる。スマートフォンの修理をして、会社にも連絡して……。
「ところで木村さん、手足のしびれは取れましたか?」
「はい、だいたいは取れました」
「ちょっと失礼。――力いっぱい握ってみてもらえますか?」
先生はあたしの手を取るとそう言うので、言われたように力いっぱい握った。もともと握力は弱いほうだけど、どうなんだろう?
「念のために明日、理学療法士さんの診察時間を取ります。手足の機能を確認してもらいますね。もしリハビリが必要ならスケジュールを組んでもらいますから。いいですね?」
「えっと……そんな大げさにしなくても」
「木村さん、あなたは救急搬送された時には低体温症を発症していました。自覚症状として手足のしびれがあったでしょう? 大げさなことではないんですよ」
「……はい」
ということは、そのリハビリの件がはっきりするまでは退院はないってことかな。
「理学療法士さんの診察結果から、退院とその後の予定を立てましょう」
「分かりました」
「じゃあ、お大事に」
にっこり笑って山崎先生は戻っていった。
とっとと職場復帰したかったんだけど、仕方がないや。そういう時なんだと諦めるしかないかぁ。
毛布をかぶるとあたしは目を閉じた。
目を開けると、空のベッドが最初に目に入った。えっと、そうだ、リュウの付き添いをしてたんだっけ。
リュウは、と部屋の中を見回す。もう夜になってる。ランプの明かりで部屋の中はちゃんと見える。でもリュウはいない。
隣の部屋に続く扉をそっと開ける。何の部屋なのかはわからないけど、草の青い匂いがする。棚の向こう側にリュウの背中が見えた。
リュウは何か作業をしてるらしい。ぶつぶつ何かを言いながら手を動かし続けている。
体の調子は大丈夫なのかな。昼間はピコに担がれてぐったりしてたのに。
邪魔になるかな……でもちょっとだけ。
細く開けた扉の隙間からするりと入り込む。周りのものには一切手を触れないようにして。足音もしのばせる。
「――サーヤ?」
振り向きもせずリュウは言い、それからこっちを振り向いた。
戸惑いながら、あたしはほんのり微笑む。でも、どうしてあたしが入ってきたこと、わかったんだろう。
リュウは立ち上がると手元の物を慎重に机に置いてからあたしの方へやってきた。
「そうか、そんな時間か」
うなずく。ばたばたしてたけど、視力が戻ってリュウの顔が見られるのはやっぱり嬉しい。
リュウはやんわりとあたしを抱きしめてくれた。草の匂い。これ、薬草の匂いだったんだね。
「お茶でも入れるよ」
リュウに促されてベッドのある部屋の方へ戻る。この部屋はもともとリュウ一人の部屋だから、椅子が一脚しかない。仕方なくあたしはベッドに腰を下ろした。
入れてくれた紅茶はとても暖かかった。体が温まってくる。
ペンとメモのジェスチャーをすると、すぐリュウは机から持ってきてくれた。
『もう体は大丈夫なの?』
「ああ、大丈夫。ごめんね、サーヤがあの時間に戻ってくるとは思ってなくて。――君がいない間に全部済ませようと思ってたんだけど」
格好わるいところを見せちゃったな、とつぶやくリュウの声に、あたしは首を振る。
『何やってたの?』
「ああ、あの薬の解毒剤を作って試したんだ。――こわがらせてごめん。でももう大丈夫だから」
あの薬、と聞いてびくっと体を揺らしたあたしに、リュウは頭を下げる。謝るのはあたしのほうだ。
まだ――恐怖心が抜けてない。きっと当分はこの状態が続くんだろう。あの記憶が、他の記憶の向こう側に消えてしまうまでは。
「でも、解毒薬の実験はうまくいったよ。もう少し即効性が欲しいところだけど、それは今後の改良ポイントだな。ピコにも報告したし、レシピも渡しておいた。――サーヤ、あの……」
不意にリュウは言葉を切り、視線をさまよわせた。なんだか心持ち顔も赤いみたい。
「そのっ……もしかしてバタバタして忘れてるかもしれないけど……その」
いきなり椅子から立ち上がり、部屋の中をウロウロし始める。これって……もしかして?
「ああ、いやだめだ。――ちゃんと君に……。くそっ……ご、ごめん。今の、忘れて。明日……声が戻ったら、話を聞いて欲しい。いいね?」
すごく慌てたようにリュウは言う。あたしが勢いに負けて頷くと、「じゃあ、僕は実験の続きがあるから」としどろもどろに言って、隣の部屋に引っ込んでしまった。
……これって、期待していい話、なんだろうか。それとも、何か別の重大な話なのかな。考えてみれば三重苦の間、ご飯を食べさせてもらったこと以外でリュウやピコ、イーリンとはまともに会話してない。
あたしが助けられてから、皆が何をしてるのか、ぜんぜん知らない。
あたしの知らないところで何かが起こってるのかもしれない。だから、ピコはこの場にいないんじゃないか。
ピコがいつもいる庭の四阿に出てみようかと思ったけど、なぜか部屋の扉が内側から開けられない。力が足りないせいじゃなくて、ノブが回らない。
魔法で封じられてるのかもしれない。だとしたら、あたしにはもうお手上げだ。
仕方がない。
明日の朝まで時間はたっぷりあるんだけど……どうやって暇つぶしをしよう。
ぐるっと部屋を見回してみても、読みたくなるような本はない。リュウの森の小屋にはいろいろあったんだけど、仕方ないよね。緊急脱出的にここに匿われてるだけだし。
ピコもイーリンも今日は顔を出しに来ない。
他の仕事がらみできっと忙しいんだろう。
あたしは、体と心の傷をここでゆっくり治していればいい。そういうことなんだろうか。
心の方は……まだ当分かかる。きっと捕まっていたあいだのことを思い出したり顔をみたりしたら、平常じゃいられない。とりわけあの、殺意。
体の傷はピコがきれいに癒やしてくれた。もう痛みはないし傷跡もない。今回の分は風来坊のピコの仕事だから布施はいらないと言われた。命助けられてその上ただで治療までしてもらってしまった。
この御礼はどこかでちゃんとしないとなぁ。着替えとかも全部準備してもらっちゃったし、かかった実費は返そう。
でも、あたしってば一文無しのままなんだよね……。どうしよう。
便利屋ギルド、行ってみようかな。トリエンテぐらいの規模の町ならあるはずだから。今まではラトリーにお任せしてたけど、この状態が続くなら、ラトリーに頼ることはできない。
自分で生きていけるようにならなくちゃ。
いつまでも甘えてちゃだめ。
――リュウに負担をかけることだけはしたくない。対等になれるとは思ってないけど、せめて対等になろうとしようと思う。
そう心に決めて、とりあえずはいろいろ巻き込まれてる間に鈍った体を鍛え直すことから始めることにした。
これで1月10日は終わりです。
今後は彩子サイドの話は(リハビリとかダルい展開部分は)割愛していく予定です。