63.気がつけば夜
※20151206 改行位置修正
目をあけると、天井は深いグレーに染まっていた。窓からは街灯の光が入る。部屋の明かりはすべて消されていた。
頭を巡らせて時計を見ると、午後十一時。消灯時間はとうに過ぎていた。
体を起こすと、まだ点滴の管が手首に刺さったままだ。昨日外したはずだと思ってたのに。
サイドボードの上には誰が持ってきたのかわからないけどお茶のペットボトル。それからやりかけだったクロスワードパズルの本が置いてある。
そういえば、奥野くんのくれたクロスワードパズルをやりながら眠くなって、そのまま寝ちゃったんだっけ。あとは全く覚えてない。晩御飯も食べてない気がする。あ、だから点滴刺されてるのか。納得。
仕方がないから点滴台をがらがら押して、そっと部屋を出る。おトイレすませて部屋に戻ろうとすると、看護婦さんに呼び止められた。
「木村さん! 目が覚めたの?」
「え、あ、はい。すみません、なんか寝こけちゃって」
えへへ、と笑うと、看護婦さんは目が怒ってた。
「急に動いちゃだめじゃないの! すぐベッドに戻って! 先生呼んできますからねっ!」
ええと、なんだかすごーく怒られました。昼間から寝てたのがまずかったのかなぁ。
ベッドに戻っておとなしく横になると、すぐにぱたぱたと足音がした。さっきの看護婦さんだ。体温と血圧と脈拍計られる。別にいつもとかわんない気がするけど。
別の足音がして、カーテンから顔を出したのは、先生だった。えっと、山崎先生、だっけ。担当医だ。
「木村さん、大丈夫? 気分悪いとか、頭が重いとか痛いとか、ない? お腹がいたいとか」
「えっと、ないです。すみません、なんかクロスワードパズル解いてたら寝ちゃってたみたいで」
すると山崎先生、眉を寄せて口を尖らせた。あ、もちろん他の患者さんたちは寝てるので、大きな声は出してないんだけど。
「寝ちゃったって……木村さん、丸一日以上眠ってたんですよ?」
「えっ……今日って何日ですか?」
「一月九日の日曜日、午後十一時過ぎです」
「うそ……」
見舞いにきた奥野くんがスーツ姿だったから、土曜日も出勤かって思ったんだもの。なんで丸一日寝ちゃってたの?
「手のしびれや足のしびれ、虚脱感はありませんか?」
「ええと……多分大丈夫です。おトイレまで歩けましたし」
「何か変なものを食べたり飲んだりしませんでした?」
「いえ、特に何も。差し入れてもらったのも飲んでないです」
いろいろ触診されたあと、山崎先生は難しい顔をした。
「眠っている間に頭部CT撮ったけど特に何もなかったし……週明けの退院は延期かなぁ」
ぎくり。そんな、これ以上迷惑かけるわけには……。
「木村さん、明日もう一度精密検査をします。退院はその結果次第です。いいですね?」
「……はい」
不承不承あたしはうなずいた。
ああ、はやく退院したい。スマートフォン修理に出して、のんびりしたい。
意識が浮上してくる。あたしは目を開けてみた。開けても閉じても真っ暗なのは変わらない。でも、音は聞こえてくるようになった。
誰かが階段を上がってるのが聞こえる。
あたしの部屋は教会の居住区でも奥まったあたりの最上階の客室らしい。リュウは薬草を扱ったりする関係で一階に実験室をもらっているとイーリンから聞いた。耳が聞こえるだけでずいぶん違うよね。情報がちゃんと入ってくるんだもの。
足音だけでは誰かはわからないけど、二人の足音が乱れて聞こえる。誰かが帰ってきたんだろう。
「ところでイーリン、彼女はこの先の部屋かい?」
扉越しだというのにはっきり聞こえた。こんな夜中に、こんな大声で話すなんて。それとも響きやすい声の持ち主ってことなのかしら。
「お答えいたしかねます。ピコ様から許可をいただいておりません」
「なるほど、そうなんだ」
くすくす笑っているのは男の人だ。もう一人はイーリンなのね。きっとこの人は誰かを探しているんだろう。治癒師には女性の人もいるしね。
「じゃあ、ご挨拶して行こう。構わないよね?」
「……ご遠慮ください。病に臥せっております。そのような女性に無体を働くおつもりですか?」
「ひどいなあ、イーリン。僕がそんなことをすると思う?」
「ええ、貴方様ならば」
なんだか剣呑な気配が漂ってくる。あたしはびくっとして毛布を頭からかぶった。
清冽な気配が部屋に飛び込んできた。誰かが誰かを探してる。ざわっと心を撫でられた気がして、出ない声で悲鳴を食いしばる。ざらざらした手で全身を撫でられてるみたいに、鳥肌が立った。
――いやっ、触らないでっ! 来ないでっ!
「ああ、見つけた――」
「おやめください、ミリオン様。これ以上は見過ごせませぬ。お部屋へお戻りください。今日はこれ以上部屋から出られぬようにさせていただきます」
イーリンの言葉で、あたしを弄っていた何かが消えた。――ミリオン……? 誰? 知らない……。
気配が遠ざかっていく。
体がまだガタガタ震えてる。歯の根が合わない。
どたどたと階段を駆け上がる音がした。すごい勢いで扉が開けられて、リュウの香りと声が飛び込んできた。
「サーヤ、大丈夫かっ」
かぶっていた毛布をはねのけて、あたしはリュウにすがりついた。体の震えが止まらない。ボロボロ涙があふれる。顔をリュウの胸にうずめて抱きつくと、じわっと暖かさを感じられてきた。
「イーリンが知らせてくれてな――もう、大丈夫。俺が一緒にいるから。指一本触れさせないから」
毛布をかぶせてくれたのだろう、背中も暖かくなってきた。
そのままリュウの体温を感じながら、意識が飛んだ。