59.王都からの客
※20151206 改行位置修正
時は少し遡る。
ザジが一階に降りて行くと、すでに食堂は宿泊客たちが思い思いに朝食を摂っていた。ぐるりと見回すとタンゲルが店のカウンターの端っこに座っているのが見える。
「おはようございます、はやいですね」
「ああ」
空いてる隣に座るとタンゲルと同じものを頼む。
「昨夜、帰ってくるの遅かったですね」
「ああ。――ちょっと狼亭で一悶着あってな」
眉をひそめ、タンゲルは面倒臭そうにため息をついた。
「一悶着?」
「いや、気にするな」
「気にするでしょうよ、俺のカノジョなんですから。誰かに絡まれたんですか? あいつ、酒癖悪いから……」
するとタンゲルは不機嫌そうな顔をした。
「――そう思うんなら次回からはお前が送っていけ」
それだけ言いおいて、タンゲルは席を立った。
「何があったんですか。俺に言えないことですか?」
そう口にした途端、意識が吹っ飛んだ。目の前が真っ暗になって、それから体中の痛みが襲ってくる。体を起こそうとして、腹部の痛みにうめき声を上げた。
「ちょっと、お客さん! 喧嘩なら外でやっとくれよ!」
食堂の女将さんの怒号が膜の向こうから響くように聞こえる。
目を開けると、タンゲルは複雑な感情を眼の奥に揺らめかせてザジを見下ろしていた。
「いてて……俺、なんか怒らせるようなこと言いました?」
「――先に行っている」
タンゲルはそのまま店を出て行った。
店の客に引き起こしてもらいながら、ザジは血のついた唇を拭い、少しだけ口角を上げた。
「遅い」
「あー、悪い」
ドラジェの館に行くと、すでにルー=ピコは来ていた。後ろの方にタンゲルが腕を組んで機嫌悪そうにじろっとザジを睨みつける。
「でもまだ時間までまだあるだろ?」
時計を見れば、まだ予定時間より半刻は早い。
「――で、昨夜なんかあったのか? あのあと」
ちらっとタンゲルを見ながらルーに耳打ちする。ルーは眉を寄せながら、苦笑を浮かべた。
「何にもなかったよ。タンゲルがいてくれたからね」
「何かあったんじゃねぇか。……悪かったよ、送って行かなくて」
「だからいいって」
「もしかして……あいつになにかされたのか?」
タンゲルに聞こえるか聞こえないくらいの声で囁く。タンゲルの表情がさらに不機嫌になるのが見える。
「なんにもされてないわよ。あんたよりよっぽど紳士。それよりあんた、あたしの部屋においてる荷物だけど、仕事に要るものじゃなかったの?」
「え? 俺、なんか置いてたっけ? 昨日宿出る時に全部持って出たろ?」
「……ちょっと、それほんと?」
ルー=ピコが俺の胸ぐらに掴みかかる。
「じゃああれ……なんなのよ」
「何が置いてあったんだよ」
「黒い箱。何かはわかんなかったけど」
ザジは声を潜めた。ルーの表情がたちまち消える。タンゲルに背中を向けてる状態でよかったよ。
「それ……触ってないよな?」
「うん――出かける前にはなかったし、危険って勘がしたから」
「お前――あの宿に帰るのはやめとけ。どっち宛の荷物かわかんねえけど」
「えー、そんなに恨み買うようなこと……」
「心当たりあるだろ。大将には断っとけよ」
「わかった」
頭をなでてかるく額を付ける。ルーも服をつかんでた両手を離した。大将には悪いけど、箱の確認と処理は任せたほうがよさそうだ。被害がでなきゃいいんだけど。
「それ、昨日絡まれたとかって話とは無関係、なんだよな?」
「んー、多分。てか、絡まれそうになっただけだってば。んじゃ、今日仕事が終わったらそっちに合流しようかな。食事も美味しかったし」
「部屋が空いてればな」
「相部屋でいいってば」
「――俺が困る」
なんで別の宿にしたと思ってんだよ、と突っ込む。少なくとも、ルー=ピコとは別行動できる余地を残しておきたい。
――依頼通り手は貸すけど、俺の仕事もあるんでな。べったり監視されるのはかなわない。
「けち。まあいいや。――ねえ、タンゲル、今日の仕事って、街に来るお客さんのおもてなし、でいいんだよね?」
ルーはくるっとタンゲルに向き直った。
「ああ、そう聞いている。まあ、基本的には用心棒だな。町をあちこち回るそうだ」
「それ、男? 女?」
「それは知らん。雇い主がくれば分かるだろ」
「女ならいいなぁ。気合が入る」
ザジが言うと、ルーは肘鉄を食らわせてきた。
「あんたは単なる女好きだろ」
「やる気が出るかどうかは大事だぜ? なぁ、タンゲル」
「――知らん」
ザジに声をかけられて、やはりタンゲルは微妙に口元を歪める。
――不機嫌の原因はやっぱり俺か。ま、しゃぁない。ルーが絡まれかけたって、多分情報屋が接触してきただけだろう。どこまで監視されてるかわからないが、ちょいと伝書鳥を出すだけでも危険だろうな、こりゃ。繋ぎが取れるタイミングが難しくなる。定時連絡も入れたいところなんだが。
「そういや、このあたりの薬屋をあとで教えてくれないか。手持ちの薬が減ってたの、忘れててさ」
「ああ、それならドラジェさんが準備してくれてる。あとで案内しよう」
「そりゃ助かるわ。いやー、手持ちの金も結構ぎりぎりでさぁ」
「だから狼亭で相部屋してりゃよかったのに。宿代、あるの?」
「あ、あはは。まあ、今日の仕事でなんとか」
ルーの声にザジは目をそらす。
「……ザジ、俺に奢ってる場合じゃないだろうが。宿代は俺が払っておく。あとで返せよ」
「すまん、タンゲル。恩に着る」
ザジは拝むようにタンゲルに手を合わせ、にかっと笑ってみせた。タンゲルはやはり不機嫌そうではあったが、口元は苦笑が浮かんでいた。
――こいつって基本、お人好しなんだな。世話好きだし。傭兵らしくねぇ。
奥から足音がする。雇い主のお出ましだ。
三人は執務室の方へ体を向けた。




