5.森の番人 3
※20151206 改行位置修正
森の番人。聞いたことがあった。前に一ヶ月ぐらい滞在した村で。
「森の番人については知ってるみたいだね。どういうふうに聞いてる?」
「ええと……」
あたしは覚えている限りのことを語った。
文字通り森を守るために森で暮らしていること。ごくたまにしか村には降りてこないこと。鐘を持っていて、森を歩く時には鳴らすこと。森を通る村人は鐘の音を聞いて安心すること。
「ふむ……結構違うんだな。まあ、大陸は広いし、それぐらい違ってて当然か。とりあえず、僕は森の番人をしてる。それは信じて欲しい」
小さく頷く。目の前の生き物がため息をついたのがわかる。
「ありがとう。……じゃあ、次。猿猴について。君はどんな生き物だと聞いてる?」
びくっと体を震わせる。
「うん……怖いのはわかってる。でも聞いておきたい。君が知っている猿猴と、僕が知っている猿猴が違う可能性もあるからね。教えてくれる?」
「……言って、食べられたりしない?」
「大丈夫。危害は加えない。加えさせない」
「……猿猴は、大きな猿の怪物。身長は四メートル、体重は三百キロ。木の上で生活して、地上にはめったに降りない。あと……女好き。鼻もいい」
くすっと笑ったのが聞こえる。
「続けて」
「雑食で、人間も獣も食べる。すごい力の持ち主で……太い木も簡単にへし折る。遠くから咆哮が聞こえたら逃げること。木の上ならすごいスピードで走れる。火を恐れない」
「ふむ……ありがとう。なるほど、こんなふうに伝えられてるのか。そりゃ恐れられるわけだ」
「だ、だって、遭遇したら殺されて食われるって、小さい時からっ……」
どんな大型動物よりも怖い存在。悪いことをした子供に「猿猴に食べてもらおうか」って脅し文句が効くぐらいだもの。
「じゃあ、僕の知っている――僕がやってる森の番人の説明をするよ」
目の前の人はそれから少し迷ったように沈黙し――話し始めた。
「僕は、森に入る人間を追い出している。この森は、危険な大型動物が多いんだ。君も森を歩いてわかったと思うけど、獣道もなくて地上を歩くのは大変だったろう? 近くの村の人達も樹上を通るからね、皆。だから、時折迷い込んでくる余所の人間を探しては、森の外へ送り届ける。もちろん――間に合わないこともあるけど」
ため息をついてる。間に合わなかったってことは……。
「今回、君が踏まれそうになったのは草食動物だったけどね、肉食動物も多いから。森に人が入ると分かるんだ。……匂いでね。君が現れた時はびっくりしたよ。いきなり森の真ん中から気配がしたからね。あんな奥に進むまで僕が気がつかないなんて、普通はないから」
「あれは……飛んでて落ちたの」
「飛んだ? 君は空が飛べるのか? そういう種族には見えないし、羽もなさそうなのに」
「ええ。……条件さえ揃えば」
あたしは説明を省いてそれだけ言った。
実のところ、今まで同じように飛べる人に会ったことはない。
他の要素――たとえば有翼種とか妖精族とか、昆虫族とか龍族とか、あるいは魔法――なら飛べる人はいたけど。だからまあ、その飛べる人種の一つってことで押し通してる。大抵の人なら「そんなもんかねえ」となんとなく納得してくれるから。
でも多分、この力は召喚された者特有の力。
「ふぅん。なるほど。じゃあ次。僕の知ってる猿猴は、確かに身長は高いけど三メートルぐらい。体重は二百キロぐらい。怪力の持ち主で、木の上で生活してる。地上に降りるのはほんのたまで、火を怖がらず、木の上ならすごいスピードで移動できる。鼻がよく、雑食でなんでも食べる。身長と体重以外はほぼ君が言ってるのと一緒かな。ああ、あと毛むくじゃらで洋服がいらない」
最後の一言にあたしはくすっと笑った。
「で、ここからが僕だけが知ってる猿猴の話。僕の知ってる猿猴は、人の言葉を理解し、しゃべることができる。道具を作ったり使ったりすることもできるし、料理もする。見つけた人の亡骸は森の入口まで運び、村の人に葬儀を上げてもらう。まだ生きてて元気そうなら、村まで送り届ける。怪我をしていて動けないようなら、手当をする。薬草にも通じてるし、食べられる植物もよく知ってる。ノートと鉛筆で毎日の記録は残してるし、酒も飲む」
だんだん具体的になってきた。ノートと鉛筆?
「ケンカはしない。怯えてる女の子に無理やり手を出したりしない。むしろ、怯えられてものすごく落ち込んでる。あ、女の子は好きだよ。かわいいし、やわらかいし。笑ってくれるとそれだけで幸せだし」
猿猴の話、だよね。でも、なんだかリュウの個人的な心境も混じってない?
「あの、後半って、あなたのこと……だよね」
「うーん……」
リュウはずいぶん長い間黙ってた。忘れて眠りそうになるくらい。
「君のいた辺りとはずいぶん違うから、理解できないかもしれないけど。あのね」
とそこで言葉を切り、もう一度ため息をついた。
「あの……言いにくいこと?」
「あ、いや、その……ちゃんと言うから。あのね……この辺りでは、森の番人のことを、猿猴、と呼ぶんだよ」
どれくらい黙ってただろう。お互い。
リュウの知ってる、リュウだけが知ってる猿猴の話を聞いてて、ちょっとだけ予感してた。やっぱり、目の前にいる人が猿猴、なんだ。でも、あたしが小さい頃から思い描いていた猿猴じゃない。
――真っ赤な目がぎらついて、大きな口と大きな歯は、思い出すだけでトラウマもんの恐怖がぶり返してくるけど。
「やっぱり、そうなんだ。猿猴に遭遇したのは初めてだから……言葉もしゃべるんだって、びっくりしてた。医術の心得もあるんだよね……あのっもう暴れたりあなたを襲ったりしないから、足と手の縄、外してもらえますか」
「よかった! ありがとう。ごめんね、たいてい迷いこんできた人は僕の姿を見て半狂乱になるから、拘束しとかないと危なくて。木の上の家だし、おっこちたりしたら……」
それ以上は言わなかった。足と手にかかってた縄が外されて、ようやくあたしは足を動かすことが出来た。
「あ、動かないで。肩の治療、先にしよう」
言われるままに腕を上げたまま寝そべった体勢で待つ。
「まず右の肩。ごめんね、下ろすよ」
固まった関節がぎごぎご痛い。でも慣れてしまえば大丈夫。
「次、左。添え木はくくりつけといたんだけど、痛いの我慢してね」
左手をゆっくり動かすたびに激痛に襲われて、悲鳴を上げる。脂汗にまみれたあたりで終わり、体の横に両手がある状態になった。
「じゃ、起き上がるよ。僕が支えるから腕には力をいれないで」
力強く背中から抱き起こされて、あたしは上体を起こした。足の方向も変えてくれて、ベッドに腰掛けた状態になる。
「左腕は吊っとくよ」
三角巾を使ったのだろう、首から左腕を吊るす形になった。
あたしは肝心の一言を言ってないことに気がついた。
「あの……助けてくれて、ありがとう、ございます」
「いえ、これが僕の仕事だし。……で、やっぱり目を開けるのは怖い、ですか……」
あたしは素直に首を縦に振った。
「ごめんなさい。……あの、あなたが悪いわけじゃなくて……でも、その……」
「そう、ですよね。僕の顔見て、気を失ったから……」
ため息をつく。こんなに良さそうな人なんだもの、きっと外見に対する恐怖は克服できるはず。なにより命の恩人に失礼だもの。
「いえっ、がんばりますから……」
「ムリしないでください。あ、そうだ。包帯しときましょうか。そうすればうっかり目を開いてしまっても、見なくてすみます」
そう言ってリュウはあっという間に包帯で目隠ししてしまった。目を開けてみると薄暗い白い世界が見えるだけ。隙間もないし、何も見えない。それなりに明かりは通すみたいだから助かる。
「あの、すみません」
「いいですって。で、一番近い村までお連れします。骨折は治るまで結構かかりますから、村か、そこから出てる定期馬車で大きな街まで行けば……」
「それは困ります。私、トリエンテに届け物を預かってるんです」
リュウの言葉を遮って、あたしは言った。
「トリエンテ! なんでこっちに……どこから来たんですか?」
「帝都で仕事を請け負って、バンジャイ、イルオータ、ヴァイムと回って、そこから空路飛んできたんですが……」
「ああ~、山越えルートか。だからこの森に迷い込んだのか。手前でどこか村に立ち寄ってれば、樹上ルートを教えてもらえたはずなんだけど……」
村なんてひとつも見つけられなかったものね……。やっぱりどこかで道に迷ったんだ。
「うーん……じゃあ山越えた先のトラントン村まで送るよ。トラントンからトリエンテは定期馬車が出てるから。ただ、ちょっと時間がかかるかなあ。三日ぐらいは覚悟してくれる?」
「三日……」
それは困る。事情が言えないのが辛い。夜が明ければあの子が起きるし、そうなったらあたしは消えちゃう。いなくなって大騒ぎされるのも困るし、夜になって復活するのも、説明しづらい。こんな時、夜の間にしか動けないのがじれったいわね。
「ああ、大丈夫。森の中にはあちこち避難小屋が作ってあるから。日が昇ったらそこで休もう。昼間は――事情があって僕は小屋から出られないんだ。ああ、ええっと、も、もちろん、ちゃんとベッドは別にするし、食事とかも全部僕が作るから。お風呂はないけどトイレはあるし……」
「ああ……じゃあ、お願いします。すみません」
「大丈夫。気にしないでください」
そういったリュウはきっと微笑んでるんだろうな。素敵な笑顔の人間だったらよかったのに。
声だけで想像したリュウの笑顔を脳内シミュレートして――口元がゆるむのを感じた。