58.薬師とイーリン
※20151206 改行位置修正
「あの黒角族で試せばどうですか?」
イーリンは事も無げに言った。
リュウは相談する相手を間違えた、と頭を振る。
食事も終わり、サーヤの部屋から引き上げる際に、薬の分析についての現状報告を口頭で言った時の答えがこれだ。
「それはだめだ。倫理にもとる。……やはり解毒薬を作ってから自分で試すか」
「薬師が薬に倒れてどうするんですか。時間もないのに」
リュウは口をつぐんだ。それを言われると反論ができない。
「特定できていない材料による効果は何ですか?」
「記憶障害の部分だと思う。他の症状は動物実験で再現できているから」
「記憶障害……。もしや、ダチュラではないですか?」
イーリンの言葉にリュウは振り返った。
「こっちにもダチュラはあるのか?」
「ええ。自白剤としてよく使いますから」
ダチュラ……チョウセンアサガオ。それなら納得がいく。全身の虚脱感、記憶障害、せん妄状態に意識障害。他の試剤はダチュラの効果を助長するものなのだろう。
「すまないが、手に入れることはできるだろうか」
「すぐにでもお持ちします。――自白剤の解毒薬も」
「ありがとう」
急いで部屋に戻る。当たりなら、同じ薬が出来上がるはずだ。
途中にしていた実験を終わらせ、新しく実験の準備を済ませたあと、記録の準備をする。
一刻ほどして、イーリンが素材と自白剤、解毒剤とその素材を持ってきてくれた。
自白剤を少しだけ舐めると独特の苦味が舌を刺す。確かにあの薬の後味に似ていた。
「よし……」
すべての試料を揃え、材料をすりつぶし、熱を加え、記録をつけながら薬の生成に没頭していった。
「……ウ様?」
揺り動かされて、はっと顔を上げる。机に突っ伏して眠っていたようだ。
「あ、ああ。ごめん、イーリン」
すでに窓の外は真っ暗になっていて、部屋の中はイーリンの手の中にある蝋燭の灯によって壁に影が落ちる。
「何度か起こしにきたんですがまったく反応がなくて……まさか、試されたんですか?」
「あ、いや。……ほんの少しだけ」
突っ伏していた机には何も置かれてなかった。書き留めた書類や実験用具はすでに別の机に移しておいたので被害はない。
「じゃあ、できたんですか?」
「うん。……味はひどいけどね」
手を伸ばして隣の机の上のビーカーを取り上げる。青い……というよりは緑色のどろっとした液体は、かなりきつい匂いを放っていた。
薬さじ一杯ほども舐めていないはずだが、体の自由を失った。効果が出始めた時に、先にイーリンを呼んでおくべきだったと後悔した。どれほどの効果が出るのかきちんと把握していなかったのだ。その観察者が必要だったのに、つい忘れてしまっていた。
「今何時?」
「夕食の時間をとっくに過ぎています。サーヤ様のお食事の介助をお願いしにあがったところです」
「とすると、三時間ぐらいか。――麻酔効果のほうが強かったかな」
この手のアルカロイドは投与量で効果も変わる。おそらく瓶一本分飲んでいれば、サーヤと同じ症状を引き起こしていただろう。
イーリンが深くため息をつくのが聞こえた。
「……ほんとに、学者馬鹿といいますか……。言いましたよね、私。自分で試すなって」
「ごめん。でも、他の人に投与することはできない。今回は君に観察役をお願いするのを忘れてた。次回、解毒薬の投与実験の時には、悪いけど立ち会ってもらえるか。記録係と解毒剤の投与役として」
「お断りします! ……リュウ様、ご自分を大事になさってください。もし何かあれば、ピコ様にも合わせる顔がございません」
部屋の明かりが暗くて、イーリンの表情は読み取れない。リュウはため息をつくとまっすぐイーリンを見上げた。
「悪いが……これは『お願い』じゃない。『仕事』の依頼だ。明日、解毒薬ができたら薬の投与から解毒剤の投与、効果が切れるまでの記録をしてもらいたい。ピコから指示は出てるはずだ」
イーリンは一度視線を外してため息をつき、リュウに視線を戻した。その表情はメイドのそれではなかった。
「――分かった。仕事として承る。ただ、サーヤへの説明はあんたからしておいてくれ。明日の食事は私もあんたも介助できないと」
「ああ……わかった」
せめて明日までにサーヤの目が見えるようになっていれば、生活には苦労しないのだが、それを待っている暇はない。
「では、夕食へ」
「ああ」
リュウは腰を上げた。まだ若干ふらつくが、歩けないわけじゃない。
頭を振って、イーリンのあとについて部屋を出て行った。