52.頭痛の種
20150823追記)
曜日を勘違いしていたので修正しました。
※20151206 改行位置修正
「木村さん、大丈夫ですか」
まどろみの中にいたあたしは、その声に目が覚めた。
お母さんは帰ったし、恵美はもう帰ったし退院はもう少し先。誰だろう……。
目を開けると、灰色のスーツに海老茶のネクタイをしたサラリーマンが立ってる。
「あれ……どうして……?」
新人くん――奥野くんが心配そうに覗きこんでる。土曜日なのに今日もスーツってことは、打ち合わせがあったんだ。その帰りか何かかな。
「木村さんが入院してるって聞いて、お見舞いに。あの……お暇かと思ってこれ」
テーブルの上にお茶か何かのペットボトルと、クロスワードパズルの本。それからボールペン。
「あ、ありがとう。ごめんね、気を使わせちゃって」
ベッドガードを頼りになんとか体を起こす。奥野くんにはパイプ椅子に座ってもらった。
「いえ、気にしないでください」
「仕事の方、迷惑かけちゃったな……。あたしがやってたプロジェクト、どうなったか知ってる?」
「ああ、あれ、僕がヘルプに入ってます」
「えっ」
奥野くんはその辺りの経緯を話してくれた。
「そっか、ごめんね。プロジェクトマネージャー、なんか言ってた?」
「特には何も。あ、早く帰って来いって愚痴ってました」
奥野くんの口調に、あたしは笑った。うん、高広さんなら言いそうだな。
「僕はぜんぜん役に立ってなくて、足引っ張ってばかりで怒られてばかりです」
「そりゃキャリアが違うもの。高広さんは要求も厳しいし」
「はい、ついていくのがやっとで……木村さん、すごいですよね」
「え?」
「『何日かかってるんだ、木村なら半日で終わらせるぞ』って」
その口まねが高広さんそっくりで、思わずあたしは声を上げた。
「笑わないでくださいよ」
「ごめんごめん、あんまりにもそっくりだから」
自分が笑われたと思って拗ねた奥野くんに、あたしは笑いながら手を振る。
「でも、入って一年目の奥野くんに追いつかれる程度なら、この仕事やめてるよ。一応これでも五年目だし」
「あ……すみません」
「わからないこととかあったら高広さんに聞くといいよ。あの人、教えるのも上手いから」
「そうですか、ありがとうございます」
奥野くんは軽く頭を下げる。
「うん、がんばってね」
「はい」
そのまま奥野くんは自分の手に視線を落として黙りこんでしまった。うーん、あたし、なんか悪いこと言ったかな?
「奥野くん?」
「あの――高広さんとお付き合いしてるんですか?」
そっと顔を上げた奥野くんの瞳はどこか翳って見えた。
「え? まっさかぁ。高広さん、彼女いるよ?」
「あ、そうなんですか」
ぽん、と目の中の翳りが消えて、少し目の周りが赤くなった。へぇ、男の人でも恋してる女の子みたいな反応するんだ。
そこまで思って、彼に言い寄られたの、思い出した。あー、面白くない記憶ばっかりよみがえるなぁ。
ため息をついてあたしも自分の手に視線を下ろした。
「あの…木村さん」
なんとなく、何を言い出すのか予想ができて、あたしは顔を上げるのをやめた。視線をびしばし感じる。でも、顔は上げない。
しばらくの沈黙のあと、彼は口を開いた。
「僕、諦めてませんから。あなたの――噂のことも聞いてます。でも、噂を鵜呑みにして諦めるのはいやなんで」
「――奥野くん、あたしは噂通りの女よ」
「それは、僕自身で判断します。……退院までに、考えておいてください」
そのまま、彼は帰っていった。
あたしはため息をついて、ベッドに倒れこんだ。
キスしてしまえば手っ取り早いけど、でも……。
ちらりと大きな紙袋をみやって、見えない方向に寝返りを打つと、あたしは目を閉じた。
――頭痛の種がまた一つ増えた。