18.治癒師
※20151206 改行位置修正
「だからさぁ、いい加減あきらめたら?」
ビールのジョッキ片手に恵美が言う。同期の同僚で、あたしの忌まわしい力を知る一人だ。
黙っていれば黒髪美少女という言葉が一番ぴったり来る彼女は、同い年と思えないほど若く見える。身長も低く、未成年と勘違いされて酒の提供を断られることもある。
「諦めるって……できるわけないでしょ」
今日は日本酒。和食がメインの今日の居酒屋は日本酒の種類も多くていつも迷う。香りのよい辛口があたしの好みだ。
「まぁ、わかるけど。キスした途端に気持ちが冷めるって言ってたもんね。その状態じゃ続けられないだろうし」
「そうよ。適当につきあうなんてできない」
つきあってみたところで、気持ちが冷めて別れを言い出すのはあたしの方からだもの。好きになった分だけつらくなる。嫌って別れるほうがまだましよ。
「あんたの噂はあたしの耳にも入ってるもんねぇ」
「やめてよ。だからもう恋なんてしないってば」
「新人くんがあんたを狙ってる話も聞いてるけど?」
ちょっとからかい気味の口調。あたしにとっては楽しくない話題。
「知らないわよ。あたしは断った」
「彼の方はご執心らしいわよ。うちの部署じゃあんたが落ちるかどうか賭けまでしてるもの」
「馬鹿らしい」
杯を空ける。ばっかじゃないの。
「先輩にけしかけられたんでしょ。あたしの噂が耳に入れば諦めるわよ」
「そうでもないらしいわよ~?」
恵美はおかわりを注文しながら笑う。
「どういうこと?」
「あんたの噂は知ってるって話よ。むしろあんたの噂を聞いて興味を持ったんじゃない?」
そんなに女ったらしなわけ? そうは見えなかったけど。
「勲章代わりに口説かれるのはゴメンだわ」
「ま、そりゃそうよねー。あたしだってごめんだわ。まあ、単なる自信家なのかもしれないけどね。で、あんたはどうなわけ?」
「だから興味ないってば。断ったんだから。もうこの話は終わり。あんた、そろそろ深夜バスの時間なんじゃないの?」
「ああ、今年は帰らないの」
けろっと言い、恵美はジョッキを空にした。
「え? そうなの?」
「親が結婚結婚ってうるさくってさ。あんたもでしょ」
「まあ、そうだけど。……じゃあ、どうするの?」
「家で大人しくしてるわよ。この時期に出かけたって人を見に行くようなもんじゃない」
そうなのよねえ。家にいるのが一番だわ。
「じゃ、うちで鍋でもする?」
「んー、いいわ。あんたの家に転がり込んだら休み中ずっと居着いちゃいそうだもの。それに、あんたの料理に慣れたら普段の生活が辛くなるし」
ありがたい褒め言葉だ。
「正月ぐらいいいんじゃない? あたしも一人鍋はつまんないし」
ビールのおかわりのついでに、あたしも日本酒を追加する。
「そうねえ……まあ、考えとく。とりあえず明日は部屋の大掃除するから」
「わかった。じゃ、気が向いたら電話してよ」
あたしは杯を空けた。
目を開けると、目の前にピコの顔があった。
「あ、目が覚めた?」
ぐるっと見回すと、あの四阿だった。辺りは暗く、まだ夜の底らしい。
「ピコ、いつからそこにいたの?」
「そうだねえ、日が落ちてからずっとかな」
だとしたら、五時間ぐらいは待ってたことになる。
「ごめん、待っててくれなくてよかったのに」
「でも、目が覚めた時にボクがいなかったらサーヤ、困るでしょ? ボクのこと、それほど信用してないだろうし」
まあね。あんまりに謎が多すぎるもの。
「じゃ、行こっか。まずは傷を治そう」
促されて渋々立ち上がる。もともと傷を治すのが教会に来た目的だものね。
ピコは建物の裏の扉を開け、奥へ進んでいく。ついて行きながら後ろをちらと見ると、あのメイドが四阿に立ってじっとこちらを見ていた。
調理場のようなところを通りぬけ、扉を開けた先は礼拝堂だった。すでに表の扉は閉じられ、静寂が支配している。天窓から差し込む月の光だけが青白い。
「ここで?」
「そう。じゃあ、そこの椅子に座って」
月の光が差し込む礼拝堂の一番前の席に座ると、ピコはあたしの目の前に跪き、あたしの右手を握った。ピコの手は外で五時間待っていたとは思えないほど暖かい。
眼を閉じたピコの金の髪がほんのり光を帯びる。ピコの手を通じて、暖かいものが体を巡っていくのを感じる。
「目を閉じて」
言われるままに目を閉じる。心臓部と左腕に熱が集まってくるのがはっきりわかった。全身が暑くなってきて、汗が顎に流れる。背中……肩甲骨の辺りにも熱の固まりを感じる。
「もう少しです……」
閉じた瞼の裏側に光が浮かんだ。三角形を二つ組み合わせた六角形の紋様が輝きだし――ふっと消える。
「もういいよ」
目を開ける。目の前にはやはりピコの顔があった。左手を吊っていた三角巾を外し、添え木と包帯を外してくれたあと、ピコは手を添えてあたしの左手をゆっくり伸ばした。
痛みはなかった。恐る恐る腕を動かすが、けがをする前の腕と変わらない。吊っていたせいで多少肩の関節と肘の関節が硬い程度だ。
「もう大丈夫だね」
「あ、ありがとう。――ピコ、治癒師だったのね」
そう言うと、ピコはいつもの笑顔を返してくれた。
「まあね。それ以外にもできるけど、前に町中歩いてる時に怪我した子供を見つけて治したらすぐ教会にバレて引っ張られちゃって。ボクはそういうの嫌いだから、教会付きの治癒師じゃなくて風来坊の治癒師ってことにしてもらったんだよ。町や村の中をぶらついたりできる代わりに、この近隣の教会を定期的に回って奇跡の技を施してる。緊急で呼ばれることもある」
だから村の人にも町の人にも快く受け入れられているんだ。門番や町の人達のピコに向ける笑顔の理由はそういうことだったのね。
「それから、リュウからの連絡で怪我した人を治しに行ったりもする」
「えっ? じゃあ、あの時にピコが来たのはそのためだったの?」
それなら途中の小屋で施術してもらえばよかったんじゃないの。それか、トラントンの教会でもよかった。ピコと一緒にここまで来る必要、なかったんじゃない。
「ごめん」
ピコは目の前に跪いたまま、頭を下げた。
「なんで言ってくれなかったの?」
ここまで結局ピコの言うとおりにしたのは確かにあたしだし、迂闊だったのも認める。あたしは人の言葉を信じ過ぎるのかもしれない。でも……。
なんだか手ひどく裏切られた気がして、森の中での出来事も、リュウのことも全部、あたしの中で色を失っていく。
「違うよ。最初にリュウと合流した時は傷薬だけを頼まれてたんだ。で、サーヤの傷の具合も聞いた。次の日、バーベキューした日ね。あの時にリュウの小屋でサーヤの治療、するつもりだったんだ。サーヤが寝てから。でも、リュウがね……。サーヤが寝てる間は部屋に入るなって絶対入れてくれなかったんだよ」
「リュウが?」
あたしは思わず尋ねた。女の子として扱ってくれたということなのかしら。それとも……?
「うん。だから、トラントンの教会で治療する予定だった。でもサーヤがトリエンテまで行くっていうから、一緒にいくことにしたんだ。どうせボクも帰るところだったしね。それにサーヤ、ボクが治癒魔法が使えるって言っても信じなかったでしょ?」
あたしはうなずいた。確かに、ピコはこの程度の傷なら治せる、と言っていた。でもあたしはそれを信用しなかった。
「わかった。……あたしも言い過ぎた。ごめん」
頭を下げると、ピコはようやく顔を上げ、いつもの笑顔を浮かべた。
「よかったー、サーヤに嫌われたらどうしようって思ってたんだ。あ、リュウや他の人にはボクがここで治癒師やってるのはナイショにしといてね。風来坊のピコで通ってるから」
「内緒にしなきゃいけない話なの?」
するとピコは真顔でうなずいた。
「教会付きの治癒師を呼んだ場合、教会にそれなりの寄付を要求されるんだ。でも風来坊のボクが行けば、そんなお金は必要ない。ボクはね、困っているならだれでも治したいと思ってるだけなんだよ。だから、風来坊でなきゃ困る。教会も表から入れないし、教会で治癒師として働くときは顔を隠してる」
「……分かった。言わない」
「ありがとう、サーヤ。あ、それからリュウから預かったものがあるんだ。手を出して」
ピコはローブの隠しから何かを取り出し、あたしの手に載せた。
小さな鈴に紐が通してある。紐をつまんで揺らすと、小さな澄んだ鈴の音が礼拝堂に満ちた。
「これ……もしかして」
ピコはうなずいて手の中のもう一つを鳴らした。森の中で聞いたあの鈴の音だ。あたしの鈴の音と少し音程が違う。
「そう、森の中でリュウに居場所を知らせる鈴の音。リュウが作ったものなんだ。森を出る前に預かってね。サーヤに渡して欲しいって。これがあれば、次に森で迷った時には迎えにいけるからって」
「ありがとう」
リュウの顔が脳裏に浮かんだ。彼の怖い顔も知ってるけど、浮かんできたのは笑った時の顔だった。
「ねえ、サーヤ。本当にリュウのことは好きじゃないの?」
いきなりピコが聞いてきた。
「な、なんでいきなり……前にも言ったわよ、わからないって」
「それは召喚者がこちらで家族を持てると知る前のサーヤの答えだよ。今はどうなの?」
「……わからないわよ」
「じゃあ、ボクが立候補してもいーのかな?」
「立候補って……」
現実の新人くんがダブって見えて、あたしは眉をひそめた。
「あれ、だめ? ボクとしてはサーヤ、好きなんだけどな」
「……ピコのこと、そんなに知らないもの」
「やっぱりだめかぁ。残念。ま、リュウに悪いしね」
そのセリフは前にも聞いた。確かトラントンだったかな。
「じゃあ、トリエンテに着いたし、治療も終わったからお別れのキス、してもらおっかな」
「……い、いいわよ。約束だものねっ」
あたしは立ち上がった。ピコも立ち上がり、少し中腰になった。
「じゃあ、ありがとね、ピコ」
彼の頬に唇を寄せる。改まるとなんだか気恥ずかしくって、あたしは目を閉じて頬に触れた。
「じゃ、お返し」
ピコの声と同時にあたしは唇を塞がれた。