16.教会の裏
※20151206 改行位置修正
トリエンテが見えてきた頃には空が白んできた。
「もうじき着くねえ。楽しみだなー」
ピコは上機嫌だ。気楽に言ってくれるもんだわ。
結局あたしは寝ることなく、途中で一度、水分補給に馬車を止めた以外はピコの横でずっと座ってた。
「えっと、サーヤは教会に用事があるんだよね? じゃあ、教会まで馬車で送ろっか」
「そうね。そうしてもらえるとありがたいけど」
とにかくまず教会に行って奇跡の技をかけてもらわなきゃ、不便でしょうがない。
「で、そのあとは?」
「手紙を届けたらおしまいよ」
「その手紙を受け取る人って、もしかして教会の人?」
手紙の宛先に興味があるのかしら。
「さあ、知らないわ。町に着いてから探す予定だけど」
本当はラトリーが知ってるはずなのよね、受取人の居場所。だから、今までも受取人を探すのはさほど苦労したことなかった。
今回は森ではぐれてから一度もラトリーは現れてない。何かあったのかしら、ラトリーに。だとするとまずはラトリーを探すことから始めたほうがいいのかもしれないわね。
「手伝おうか?」
思わぬピコの言葉に、あたしは隣を見た。
「え? ボクなんか変なこと言った?」
「ピコ、あんた用事があってトリエンテに来てるんでしょ? いいわよ。これはあたしの仕事なんだから」
「でも、ボクのほうがトリエンテについては詳しいよ?」
そりゃそうでしょうよ。聞く限りじゃこの辺りの人間らしいし。でももうじき日が昇る。あの子はそろそろ起きるだろうから、次に動けるのは夜になってから。
それまでまたピコを待たせるのは、さすがにあたしでも気がひけるわ。昨日待たせたのだって悪いと思ってるんだし。
「いいわ。どうせ夜にならないと動けないし。酒場はあるんでしょ? そこで聞いてみるから」
「そう? まあ、トリエンテはでかい町だから、遅くまで開いてる店も結構あるし大丈夫かな。もし何かあったら門を入ってすぐの宿屋を訪ねてみて。ピコに聞いたって言えば良くしてくれるよー」
「ありがと。困ったら頼ってみるわ」
門が近づいてくる。二人旅はそろそろ終わりだ。
トリエンテの町は高い壁でぐるりと囲まれていた。街道は町の真ん中を通り抜けているらしい。市門には大きな門と、その両脇に馬車が通れる程度の小さな門がついている。大きな門は壁の上の方まで開く重たい扉のようだ。
あたしたちは小さな門にできている列に並んだ。
「すごい門ね」
「これね。大昔に戦があった時に壁を作ったんだそうだよ。その時に出兵するために作られたのがこの門。以来開けられたことはないけど、これが開くのは戦の時だけって言われてる」
「なるほどね」
門の中程に大きな閂がかけてある。あれを外すだけでも一苦労するだろう。外側にある閂ってどうなんだろう、と思うけど。外側から閉められたら出られないじゃないの。
馬車に乗ってるおかげで、列に並ぶ人の様子が少しよく見えた。この街ではどうやら名前と目的を申告するみたい。商売で入る場合は若干の入市税がかけられる。あたしはどっちに入るんだろう。とりあえず小銭は準備しておこうかしら。
あたしたちの番が回ってきた。役人は書類から顔を上げ、あたしの顔を睨むように見つめている。
「名前と目的を……おや、ピコ様でしたか。お帰りなさいませ」
「えっ?」
役人の顔が嬉しそうにほころんだ。振り返ると、ピコがいつもの笑顔で手を振っている。
「ただいまー。何か変わったことはなかった?」
「特には何も。ああ、そういえば参事会のオード様から帰ったら顔を出すようにと伝言が」
「そっか。ありがと」
「隣はお連れ様で?」
「うん、教会で治療を受けるって」
「そうですか。ではお名前だけいただけますか?」
「サーヤって言うんだ」
あたしが答えるよりも早く、ピコが答える。役人はそのまま書き、にこやかに手で進むよう促した。
「また狼亭でねー」
「はいっ」
ピコは笑顔で返し、馬車を進めた。
「……ピコ」
「はい?」
「本当にあなた、何者? 門の役人に顔パスとか参事会の役員に呼び出されるとか、普通の人間じゃないわよね」
「妖精族だから人間じゃないねえ」
「そういうことじゃなくてっ」
「さー、どうでしょう」
のらりくらりとピコは笑いながら返す。役人にピコ様と呼ばれる存在ってことよね。まさか、領主様とか言わないわよねぇ。
「あなたが妖精族だってことは、この街では秘密にしなくてもいいことなの?」
村に入った時に普通の姿になったまま、ピコは妖精族の姿に戻ってはいない。
「んー、いちおー秘密? でもけっこー公然の秘密。人のいるところではちゃんとこの姿を保てるんだけど、時々理由もなく妖精族の姿に戻っちゃうんだよねえ。あ、リュウのところに行くときは気を張る必要がないから本来の姿に戻るんだけど。でも、トリエンテの人たちは結構好意的に受け取ってくれて助かるよ」
「そう」
ピコが普通の人間と同じ外観に変身した時、この辺りもそうなのだろうと思ってたけど、トリエンテの人たちは魔法に対して嫌悪感があまりないらしい。今まであちこち行ったけど、ここまで好意的なのは初めてな気がする。
「ところで、どうする? サーヤ、そろそろ時間切れなら教会に行くのは後回しにするけど」
空はすっかり明るくなっていた。まだ早朝だというのに、トリエンテの町中は賑やかだ。市の日なのだろう、大通りにも露店が並び始めている。
「そうね……」
今日も出勤日だ。あたし(あの子)のことだ、早めに起きてシャワってから出社するだろうし、危険は避けておきたいかな。
「じゃあ、とりあえず受付だけしとこうか。最近は列ができるほど並ぶことは少ないんだけど、今日は市の立つ日だからね」
「わかったわ」
馬車は大通りをまっすぐ進む。正面にある白壁の高い塔のある建物が教会だろう。ほとんどの町では中心に教会が建てられているからすぐ分かる。
ピコの言うとおり、教会の前には列ができていた。それを横目に見ながらピコは馬車を教会の裏側にある車止めに回す。
「この馬車、ボクが借りたことになってるから、あとで返しに行ってくるよ。もう使わないよね?」
「そうね。もし必要になったら今度は馬で済むだろうし。馬車の代金、これで足りる?」
小銭入れの中から銀貨五枚を取り出すと、ピコは笑い出した。
「それじゃ馬車が買えちゃうよ。いーよ。ボク出しとくから。いろいろおもしろい話も聞けたし、それでチャラにしとく」
教会から人が出てきて馬の手綱を取る。青い線が一本入った白い帽子に目が痛いくらい白いローブ。
「おかえりなさいませ、ピコ様。そちら様は?」
「あー、ボクの友達のサーヤ。森で腕折っちゃってねー。馬車、繋いでおいてくれる? あとでトラントンへ返しに行くから」
ピコ様?! やっぱり教会の関係者なの?
「ピコ……」
ピコはさっさと馬車を降り、あたしを手招きした。
「その腕じゃ左側からだと降りづらいでしょ。こっちから降りるといいよ」
ピコを睨みながら、あたしは右側から降りる。教会の人は頭を下げると馬を引いて行ってしまった。
「……どういうことか説明してもらえるかしら?」
「それは夜にね。とりあえず入ろっか」
ピコが教会の裏木戸をノックすると、誰何もなく内側に開いた。
「おかえりなさいませ、ピコ様」
「ただいま。お客を連れてきたよ。さあ、サーヤ」
扉の向こうに白いローブが見える。
「大丈夫、取って食べたりしないから」
ニコニコ笑うピコの顔を睨みながら、あたしは木戸をくぐった。