135.タンゲルと黒角族
街の姿が見えてきたところでようやく一行は少しだけ馬の足を緩めた。
ここもまた街道の要所であり、城門には検問が設けられている。普通なら検問待ちの列に並場なければならないのだが、ドラジェが持ち出した金の札で門をすり抜けられた。
いつもなら門を通ったところでドラジェが銀の馬車に乗り移り、銀の馬車と騎馬隊だけで客人のための高級宿に向かうのだが、その余裕もなかったのだろう。
今日は第一、第二の馬車に乗る護衛たちも連れたまま、ドラジェは自分の泊まる宿に移動した。
珍しいことだ、とタンゲルは銀の馬車の御者台から眺める。
自分と貴人の泊まる宿は、騎馬隊以外の護衛には知らせないのがドラジェのやり方だった。曰く、護衛たちが金をせびりに来るからとのことだったが、それもどこまでが本当なのかはわからない。
宿の前に三台の馬車をつけると、ドラジェは銀の馬車に歩み寄ってきた。タンゲルが御者台から降りるより早く、馬車の扉に取り付いて大きく引き開ける。
「ああっ……なんてことだ……」
その場に膝をつき、真っ青な顔をするドラジェの様子を観察する。あの旗はどちらの意味だったのか。表向きだけ嘆くふりをしているのかもしれない。
「タンゲル!」
枯れ木のような老体のどこにこれほどの怒号を放てる力があるのかと思うほどの怒声に駆け寄ると、ドラジェが目をむいて立っていた。
「どうして馬車が空っぽだと知らせなかったっ!」
「空っぽ? そんなはずは」
しれっと言い、馬車をのぞき込んで目を見張る。
「バカな……」
「お前が御者台にいながらどうして気が付かぬ!」
「御者台は誰もいませんでした」
「なんだと……?」
タンゲルは手短に状況を説明した。中を確認する暇などなかったのだ、と告げれば、ようやく得心したのかドラジェはがっくりと膝を折った。
「とりあえず、宿へ。ほかの護衛たちは予定の宿に移動させます」
「ああ……そうだな」
差し伸べたタンゲルの手を借りて立ち上がったドラジェはずいぶんと力を失って見えた。
ドラジェの付き添いをケインに任せ、タンゲルは残っている護衛たちに声をかけた。
「騎馬隊は残ってくれ。残りは大通りの『鳶輪亭』に宿を取ってある。明日は九時にここだ」
馬車を降りていた護衛たちはがやがやと口々に言いながら馬車に戻っていく。
彼らを見送った後、タンゲルは騎馬隊を振り返った。彼らは乗っていた馬の手綱を厩番に渡して待っていた。ケインが戻ってくると、鍵をタンゲルに渡した。
「三部屋、二人ずつだってさ」
「そうか。……部屋のキャンセルはしていたか?」
「いや、してなかったな。上部屋は一部屋だけ」
となると、もともと襲撃させるつもりだったのだ。今までの町で、ドラジェと貴人の二部屋を準備しなかった町はなかったのだから。
「そうか――明日はいつもより早めに出立の準備をしておいてくれ」
「じゃあ」
メローズが口を開きかけるのを、タンゲルは手を上げて制止した。
「予定通りだ。いいな」
「……承知しました」
こんな場所で余計なことを口にするわけにはいかない。
部屋割りをして鍵を預けると、騎馬隊の面々は宿に引き上げていく。タンゲルは手にした鍵をケインに渡した。
「先に入っててくれ。俺はあっちを見てくる」
「了解。飯までに帰ってこなかったら皆で分けますからね」
にやにやしながら宿に入っていくケインを見送って、タンゲルは踵を返した。
◇◇◇◇
花街の近くにある安宿を出たころには、日は落ちかけていた。町中には篝火が焚かれ、黄色い光があちこちに咲いている。
道行く男に声をかけ手をかけしなだれかかる女の姿を横目に見ながら、タンゲルは眉根を寄せた。
ドラジェの思惑通りだとすれば、貴人の誘拐が成功したことで、ここから先はドラジェが一人で王都まで急ぐ展開になるだろうと予想している。
トリエンテを出て十日。王都まではあと五日の行程だが、不要になった銀の馬車を置いていけば行程は短縮できるだろう。ドラジェがどう出るか。
もともと騎馬隊は銀の馬車を王都まで警護するという内容で契約している。
ドラジェが銀の馬車を置いていくとなれば、契約はここまでだ。
だが。
もともとの予定では、貴人はラフィーネ――ナレクォーツ伯爵夫人一人だった。山賊に襲わせて行方不明になれば、伯爵本人への圧力になる。
だが、予定に反して伯爵本人が同席した状態で山賊に襲われ、二人とも行方不明だ。
王都で開かれる予定の商業組合の会合にナレクォーツ伯爵がいないとなったら、ドラジェの加入に関しても宙に浮く可能性がある。
おそらく、ドラジェは急いで山賊につなぎをとろうとするだろう。その上で、伯爵本人のみ、解放させようとするのだろう。たっぷりと恩を着せながら。
視界に緑色の光が横切った。後をついていくと人目につかない方角に誘導される。
誰もいない暗がりに足を踏み入れたところで緑色の光がはじけて消える。途端に体の自由が利かなくなった。
「誰だ」
「……蛇からの伝言だ」
闇に慣れた視界に黒い姿が浮かぶ。視線の高さよりずっと高いところに浮かぶその背には黒い闇が広がり、そこにあるはずの星の光を遮っている。
「剣と杯は裏道で王都へ向かった。蛇が護衛中だ」
「そうか」
「光もな」
「わかった。こっちは爺の出方次第だ。箱を捨てるようなら俺たちも予定通り離脱すると伝えてくれ」
「承知した。伝えておく」
音もなく視界を覆う闇が消え、星の光が戻ってくると同時に体の自由が戻ってくる。
あれが噂の黒角族なのだろう。体の自由を奪う能力があるとは知らなかった。
「なるほどな」
タンゲルは自身が強いことを知っている。だが、これほど近くに寄られるまで存在に気が付かなかった。
音もなく気配もなく、そっと近寄って喉を掻き切れる能力。体の自由を奪うこともできる上に、いざとなれば空に逃げられるとなれば、どこでも引く手あまただろう。
それが、光に付き従っている。
面白い。
意図せず光の周りには人が集まる。それを人望と呼ぶのか、タンゲルにはわからない。
が、もし一切のしがらみがなければ自分もついていきたいと思った。彼が――光がどう生きるのか、何を選ぶのか。
そんなことを考えているうちにいつの間にか口元をほころばせて笑っていることに、タンゲルは気が付かなかった。




