134.隠蔽
危険地帯を抜けたところで後方の馬車から鋭い笛の音が響いた。異常発生の合図だ。
タンゲルは隣を走るケインと顔を見合わせ、後ろを振り返る。すぐ後ろをドラジェの乗る第一の馬車が走っていて、その両サイドを双子が馬を走らせている。
「ヴァイス、メローズ。このまま町まで突っ走れ。ケインは俺についてこい」
「了解」
「承知」
すぐ後ろを走る騎馬隊の二人に号令をかけ、タンゲルとケインは馬を操ると進路を変え、騎馬隊四人と第一の馬車を先に行かせる。
銀の馬車がその後ろを走っていたはずだが、ずいぶんと距離が開いている。スピードを落として横に並びかけたところで、御者がいないことに気が付いた。
「ケイン、馬頼む」
「了解」
タンゲルが馬を馬車の横につけると、ケインが慣れた様子でその横に自分の馬を並べてくる。手綱を投げて銀の馬車の御者台に飛び移ると、馬車を引く馬に鞭を入れ、スピードを上げさせた。
第二の馬車はこれよりもさらにずいぶん後ろを走っている。本来のスピードなら、銀の馬車を追い越していたことだろう。だが、彼らは銀の馬車の後ろを守る任務を負っている。追い越すわけにはいかなかったのだろう。
スピードが安定したところでタンゲルは御者台から馬車のタラップに飛び移った。扉自体にはいくつも傷がついていて、ぶらりと鍵だとわかるものが壊れてぶら下がっているのが見える。
トリエンテを出てから銀の馬車の横を何度も警護していたが、鍵が付いているのを見るのは初めてだった。
ぐらぐらと馬車の揺れに合わせて揺れる扉に手をかけて外側に開くと、目隠しの布が視界を遮る。それを手で払いのけて奥に進んだが、人の気配はなかった。
ぐるりと庫内を確認する。剣などで切り付けられたような痕はない。血痕もなく、荒らされた様子もない。中に乗っていた人間は抵抗せずに連れ出されたとみていいだろう。
御者台に戻り、手綱を握る。ケインはと見れば、タンゲルの馬を並走させたまま、御者台に寄せてきた。
「隊長!」
「予定通りだ。このまま町まで行く。お前は前に戻ってメローズを寄越してくれ」
「了解」
ケインが鞭を入れてスピードを上げ、ぐんぐん遠ざかっていく。
山賊の待ち伏せ地点は通りぬけたものの、前方の騎馬隊とあまり間を空けてしまうと護衛の意味がなくなる。タンゲルも馬に鞭を入れた。
ケイン一人ではこの馬車は守れないし、空馬を連れては対応のしようがない。後続の馬車のチェックも、空馬を連れてでは動きが悪くなる。
後方を覗き込むと、第二の馬車が追い上げてきていた。
次の街までは急げば日没よりかなり前に着ける。ドラジェはこのままノンストップで町まで行くつもりだ。
それでいい。
途中で馬を止めれば、以前、ルーが襲われた時と同じく被害の確認が入る。そうなれば、お客人がすでにいないことがドラジェに知られてしまう。
ちらりと後ろを振り返って、馬車につけられた旗を見る。
これがどちらなのか、タンゲルには判別のしようがない。が、『襲え』という指示ならば、馬車が空でも問題にはならない。『襲うな』という指示ならば、町に到着した後で中が空っぽなことが分かっても、ドラジェには手の打ちようがないはずだ。
だから、銀の馬車のお客人がいなくなったことを、町に入る前にドラジェには知られてはならない。
前方に赤毛の馬が見えてくる。赤毛のメローズが馬を横に並べると、タンゲルは御者台から立ち上がった。
「隊長!」
「交代してくれ」
「無茶言わんでくださいよ!」
「無茶でもやれ!」
「俺の馬、つぶさないでくださいよっ!」
そう言いつつもメローズは腰を上げると鞍の上に立ち、馬車に飛び移った。乗り手がいなくなった馬がスピードを落とす前に、タンゲルは場所を入れ替えて素早く空になった馬に飛び乗った。驚いた馬に振り落とされそうになるのを宥めて姿勢を正すと、御者台のメローズに「前に追いつけ!」とだけ命じて馬のスピードを下げる。
第二の馬車はすぐ追い付いてきた。御者台にいた男はタンゲルを認めると興奮した様子で鞭を振り上げた。
「おい、どうなってる!」
「山賊に襲われてバラバラだ。ドラジェさんのいる先頭の馬車は騎馬隊で護衛して先行してる。このまま休みなしで町まで走る」
「無理だよ! 馬が潰れちまう!」
ちらりと馬を見る。この馬車には護衛の人間以外にも重い荷物が載せてある。第三の馬車に比べれば軽い荷物だが、馬にとっては負荷でしかない。
「荷物のうち、次の街で手に入るものは捨てろ。今はスピード最優先だ」
「そんなの、わかるかよっ! それにドラジェさんに何て言うんだよっ」
御者は青い顔でタンゲルに怒鳴ってくる。それぐらい自分で考えろ、と言いかけたが、結局口にしたのは別のことだった。
「御者台の下に水の樽があるだろう。それを捨てろ」
「町まで水なしで過ごせって?」
「途中で休憩をとらないなら、大事に抱いてても意味がないだろ? 紐を切るだけなら、走りながらでもできるだろう」
そう告げると、御者ははっと自分の尻の下を覗き込んだ。腰の短刀を抜いたのを見届けて、タンゲルはスピードを上げた。
銀の馬車に追いついたところでメローズに声をかける。
「交代するか?」
「いえ、もうそのままで。……隊長みたいに俺、器用じゃないんで」
御者台から馬に飛び乗った時のことを言っているのだろう。下手をすれば落馬の危険もあったから、二の足を踏むのも当然だ。落馬していれば馬も巻き添えを食ったかもしれない。
「そうか、……前の馬車に合流できるまでは俺が先導して護衛する。合流したら先頭に戻る。いいな」
「了解」
早朝から走り詰めで来たのだ、もう町まではそう遠くないはずだ。
馬を酷使することを内心で詫びながら、タンゲルは鞭を振り上げた。




