131.辺境伯夫妻の秘め事
人数の少なくなった護衛隊と騎馬隊に守られて、銀の馬車は野営地の真ん中にいた。
襲撃を受けて失った四番目の馬車には、野営用の天幕や護衛隊の食料、調理用具のほとんどが積まれていた。
つまり――野営用の天幕も張れず、食料も三番目の馬車に多少残っているだけだ。
食材も調理器具も夜が明けて次の街に到着すれば手配することができるが、それまでの三食分が問題だった。
幸い、三番目の馬車には日持ちするパンと塩漬け肉の樽が残っていた。
ナイフも包丁もなかったから、短剣で塩漬け肉をこそぎ落とし、パンにはさむだけの食事を済ませると、夜警に立つ者以外は馬車に戻る。
篝火に使う薪も四番目の馬車に乗せていたから、今使っているものは野営地に着いてから手分けして集めたものだ。
四番目の馬車に乗っていた四人は戻らなかった。それと――銀の馬車に乗っていたルーも。
二十二人のうち、五人がいなくなった。十七人のうち六人が騎馬隊で、残る十一人が半分ずつ夜警に立つことになった。
騎馬隊は馬をつなぎ、一番目の馬車で休んでいる。残る五人とドラジェが三番目の馬車に詰め込まれた。
もともと物資も積まれて狭い馬車の中では、足を延ばす余裕もない。
そのうえ、襲撃されてすぐの夜だ。どうしても神経が高ぶって眠れない者が多かった。武器を手元に置いて、外の音に耳を澄ましながら仮眠をとる。
銀の馬車の二人も例外ではなかった。
ラフィーネとルーカスは座席にそれぞれ体を横たえてはいたが、一向に眠気は来ない。
襲撃を受けたこともそうだが、一緒に乗っていたはずのルーが自分を守るために出ていき、その身を奪われたことが何よりもショックだった。
「ねえ……ルーク」
「ああ」
「……あの時、やっぱり何が何でも止めるべきでしたわ」
「ああ」
「どれだけ心細い思いをしているでしょう……」
「ああ、そうだね」
ルーカスは手を伸ばして妻の手を握り締めた。
「彼女のことだ、隙を見て逃げだしてくるかもしれない」
「そんな悠長なことをっ。……あの時のルーは私と同じ格好をしてたんですのよ? 短剣も持たずに、どうやって逃げるというんですの」
突然ラフィーネは体を起こし、両手で顔を隠した。ルーカスも体を起こすと隣に座って抱きしめた。
「彼女は便利屋としてもキャリアは長いのだろう? なら、こういうケースは慣れている。……正直に言うとね、ラフィーネ。僕は君が奪われなくてよかったとホッとしている」
「ルーク様……」
ラフィーネは体の力を抜き、すがるように夫の胸に頬を寄せた。ルーカスも甘やかすように肩を抱き、頭を撫でる。
ラフィーネは夫にしか聞こえない小さな声でつぶやいた。
「……あの方が行方不明になるほうがよほど大問題でしょう?」
「大丈夫だ」
こめかみにキスを落とすとルーカスも妻の耳に唇を寄せる。
「最後尾の護衛達がうまくやっているはずだ。それより、明日は君も忙しい。少しでも休みなさい」
「……その護衛、信用できますの?」
「大丈夫、君も知っている蛇だよ」
ラフィーネは目を丸くして自分を抱きしめる夫を見上げた。ルーカスはほんの少し口角を上げると妻の唇をついばんだ。
「……お父様がかかわってますのね?」
「さあ、どうだろうな。今回の件は陛下の信頼の置ける者だけで進めている。そこに含まれていればそうだろうな」
「そう……身元の分からない護衛ばかりじゃなかったんですのね」
ぎゅうと抱き着くと、ラフィーネはため息をついた。ルーカスは妻の髪の毛を梳りながら、頭にキスを落とす。
「君を一人で送り出すのに、護衛をつけないはずがないだろう?」
「ええ……トリエンテまではそうですけれど、向こうで集められた護衛達は、ドラジェの集めた者ですもの……」
ふるりと震えるラフィーネに、ルーカスは腕の力を籠める。
「トリエンテからの護衛も半分はこちら側の者だよ。……今残ってる護衛のうち騎馬隊以外は彼が自分で集めたものだから油断はできないけどね」
「ええ。わかっているわ。……せめて騎士服にしておけばよかったわね。着替えるわけにもいかないし」
「君はその格好のほうがいい。……さあ、少し眠り給え」
ルーカスが音量を上げて妻をなだめると、妻は首を横に振った。
「もう少し、このままで……わたくしが眠るまで、こうしていて?」
「……可愛いことを言うね。わかった」
ルーカスは妻を自分の胸にもたれさせ、柔らかく抱きしめた。
「……全部終わったら、お約束通りご褒美をくださいませね?」
「ああ、もちろん」
小さくつぶやきあう辺境伯夫婦の声は闇に紛れて消えた。




