130.除け者
「で、どういう手はずなんだ?」
「ああ、それはいいんだ。手はずはすでに整ってる」
「何? それなら、どうしてここに二人を来させた? 夫人の奪回のためだとは言わなかったか?」
じろりと横目でにらむと、ザジは手に持っていた杯を持ち上げた。
「ああ。二人の手を借りるのが前提だからな。お前の護衛を勝手に借りるわけにはいかないだろう?」
「それはそうだが……」
「じゃあ、お前は王都へ行け」
「……何?」
ピコは目を見開いた。
二人を護衛から外せと、そう言っているのか?
「どういうことだ」
「どうもこうもない。……お前は王都へ送る」
ザジの言葉にピコは顔を上げ、にらみつけた。
「いやだ。僕だけ除け者にするつもりか? 冗談じゃない」
「それこそ冗談じゃないんだ。……お前はここにいちゃいけない人間だ」
「……風来坊は根無し草だ。ふらりと旅に出ただけのことじゃないか」
「いいや。そういうわけにはいかない。お前を危険にさらすわけにはいかないんだ」
「それを僕が聞くと思うのか?」
ピコの言葉にザジはため息をついた。
「今回ばかりは譲れない。……お前は王都へ行け。影の二人には俺たちとともに夫人奪回作戦に加わってもらいたい」
「ザジ!」
「襲撃を受けてドラジェがどれだけ警戒心を強めているかわからない。他の護衛も然りだ。タンゲルたちの協力を得て穏便に済めばいいが、そうならなかった場合には斬りあいになる。……お前にけがさせるわけにいかないんでね」
ルーであった時に比べれば今は男の体でもあるし、力も強い。それでもなお頼りないのか、と眉を顰める。魔法を使えばその差も埋められるはずなのに。
「……だから嫌なんだ。そうやって危ないことから遠ざけて、何一つやらせようとしない。僕はもう子供じゃない!」
「駄々をこねてる限り、聞き分けのない子供だよ。ピコ。……親の言い分も少しは聞いてやれ」
「僕は自分の街を守りたいだけだ。……ラフィーネ様の救出は僕も行く。二人だけ送って後ろから見てるのは嫌だ」
ザジはため息をつくとやれやれと首を横に振り、口を開いた。
「……言いたくなかったが、はっきり言ってやる。お前が来たら足手まといになるだけだ。……おとなしく王都に送られろ」
「おい、そりゃ言い過ぎだろ、ザジ」
グリードの声が聞こえる。だが、ピコにはその声すら揶揄にしか聞こえない。
反射的に立ち上がると低木の隙間を抜けた。後ろから聞こえてくる声を振り切るように、速足で歩く。
しばらく歩いて、火のはぜる音も聞こえなくなったところで足を止める。
自分でも子供じみているとわかっている。それでも、弱いとはっきり言われることは相当に堪えた。
弱いのは知っている。
フリーの治癒師だからとこの身を狙われるのもいつものことだ。それらを撃退するすべも力も得ている。イーリンやキーファがいなくとも、己の身は守れるのに。
王都に近づけば近づくほど、腫物を触るがごとき扱いになる。
「主様」
「……お前も諫めに来たのか」
背後からかけられた声に毒づいて振り向くと、イーリンが膝をついて首を垂れていた。後ろにうっそりと黒づくめの黒羽族が立っている。
「我らは主様の護衛。どこへでもお供致します」
「……僕はそれほど弱いか……?」
「あの方は主様を弱いとは」
「言っただろう? 足手まといだと」
拳を握り締める。自分で口にしたことなのに、自分の心を抉っていく。口元がゆがむのを止められない。
「それは、主様を守りながら戦わねばならぬから。……我らでは主様を守り切れぬと言われたのです」
「違う! ……お前たちが弱いわけがない」
「……まあ、俺は契約に縛られてるだけだから、赤の女王みたいに身を投げ出してでも守ろうとはしないからな。万が一の場合はあんたを見捨てて逃げるだろうしな」
キーファの言葉にゆっくり視線を移す。ピコの視線を受け止めて黒羽族は続けた。
「そんな顔すんなよ。……俺は臨時の影だぜ? どう立ち回るかは自分で決めさせてもらう。そうだな……あんたを倒したほうが得だと思えば、あんたにも刃を向ける。それは覚悟のうえだろう?」
自分は今、どんな顔をしているだろう。ピコはぼんやりとキーファを見続ける。
キーファはにやりと口角を上げる。
そもそも、キーファはイーリンに勝負を挑むことを条件として今回の王都行きを承諾したに過ぎないのだ。そこに信頼関係は一つもない。
「あんたが奴らに協力しろと命じたところで、俺が従うとは限らない。従う謂れがないからな」
「……そうだな」
何が言いたいのだろう、とピコは眉根を寄せた。
彼を地下牢から出したのはそれが条件だった。王都に着いた後のことはその時考えればよいと思って後回しにしてきた。
彼に対しては怒りのほうがまだ大きい。このまま放逐するつもりはなかったが、手綱を握れないのであれば解放するべきなのかもしれない。
視線をキーファから外した途端、体が強張った。
「な……」
「隙だらけだな。おっと、動くなよ、赤の女王。手が滑って何するかわかんねーぞ」
体が勝手に動く。その場に膝をつき、目の前にいるイーリンと同じ体勢を取らされる。
声を上げようとしたが、喉も口も動かない。
「自分の命狙ってる奴の前で余裕ぶっこいてんじゃねえよ、坊ちゃん。……人が良すぎんだろが」
足音がして、黒いブーツのつま先が見えた。
「あの薬、持ってるよな。……出せ」
声を上げる代わりに首を振ろうとしたがピクリとも動かない。意思に反してゆっくり上体を起こし、右手が腰につけた小物入れを探っている。
指先が瓶に触れ、一つを引き出した。キーファは手から瓶をさらうと瓶を振って中身を揺らし、ピコの手に戻した。
「自分で飲め」
「キーファ、貴様……主様に傷一つでもつけてみろ、殺してやる」
うずくまったままのイーリンから放たれる殺気を肌で感じながら、体は命じられたとおりに動き出す。
「あんたとやるのはやぶさかじゃないけど、今じゃねえ。……こうでもしねえとこいつは無理やりにでもついて来るだろうが」
ピコは動かない自分の体を必死で押しとどめようとしていた。が、瓶のふたを外し、自分の唇に当てようとする手がわずかに震えるのみ。
「主様!」
何かが手の甲に当たった。一拍後に痛みが襲ってきて、手から瓶が転がり落ちる。瓶からあふれた液体を視界の端にとらえながら、ピコは痛みに息を止めた。
目を丸くしたキーファを押しのけ……いや、弾き飛ばしてイーリンが飛んできた。隠しから取り出した布で硬直したままの右手を押さえると、あっという間に赤く染まっていく。
「術を解け、キーファ」
「……わかったよ」
ため息が聞こえたと同時に体の硬直が解け、ピコは中途半端に浮かせたままだった尻を地面に降ろした。口からはうめき声が漏れる。
「申し訳ありません、主様」
「いや……いい。ありがとう」
故意に傷つけたことを謝るイーリンに、ピコは首を振って見せた。あのまま飲んでいたらと思うとぞっとする。こんなタイミングで、こんなところで記憶を失って昏倒するわけにはいかないのだ。
呼吸を整え、治癒の力を右手に導く。痛みが遠のいたところで布を外すと、傷のあとは残っていなかった。
イーリンはピコの手を引いて立たせ、それからふっ飛ばしたキーファに歩み寄った。キーファは両手足を投げ出し、大地にあおむけに寝っ転がったままだった。
「どういうつもりだ」
「……言ったろ。そいつはほっとけば無理やりにでもついてくる。そいつが危なくなったらあんた、身を挺してでも守ろうとするだろ?」
「当然だ。それが使命だ」
「……やだったんだよ。あんたが傷つくの」
視線を二人のほうに向けもせず、キーファはくしゃりと顔をゆがめた。
「なめるのもたいがいにしろ。そんなへまをするはずがないだろう」
「……曲がりなりにもあんたは女だろ。男に力じゃかなわねえだろうが」
イーリンは力任せにキーファの胸倉をつかみあげると放り投げた。予告もなく投げられたキーファは受け身こそとったものの痛そうに状態を起こす。
「いってぇな。何しやがる」
「今の私を倒せると?」
「……やってみなけりゃわからねえだろ?」
構えるイーリンにキーファは両手を腰に当てたまま、悠然と立っている。
「やめろ、イーリン。……お前も。それは報酬の一部だろう?」
まだ契約は完遂されていない。そう言外にいうと、キーファはきまり悪そうに頭をかいてそっぽを向いた。
がさりと茂みが揺れた。振り向くと、四人の蛇が隙間を抜けたところだった。
「話し合いは終わったか? ……なんだ、結局失敗したのか?」
ザジの言葉はうっそりと立つキーファに向けられたものだった。
「うるせぇよ。赤の女王に邪魔されたんだ」
「へえ、さすがは赤の女王だな。……で、二人の結論は?」
ピコはその言葉に眉根を寄せた。すでに自分の決断は重要視されていないのだ。
イーリンもキーファも、自分をどうするべきかをザジたちにゆだねられてここにいるのだとピコは気が付いた。
「僕の意思は無視か」
「ガキの相手ばっかりしてらんねえからな。……で?」
「私は主様と共に行く」
「……俺は赤の女王とやりあうために、契約を完遂したい」
二人それぞれの口から語られた結論に、ピコは緊張を緩めて息をついた。
ザジはじろりとピコを振り返った。
「結局こうなるわけか。……よく躾けられてるな、お前の番犬たちは」
「番犬じゃない。影だ」
「同じことだよ。……しゃぁねえなあ」
いつもの軽い口調に戻ってザジは頭をかき、ピコににやっと笑って見せた。
「いいぜ。手伝ってもらう」
「ああ」
「ただし、前と同じ女の姿になれ」
ピコは浮かべかけた微笑みを凍らせ、眉根を寄せた。
「ルーに? なぜ」
「そりゃ、メイド姿の赤の女王よりは伯爵夫妻には親しみやすいだろ。今の男の姿を二人は知らないだろうし、賊だと思われるのがおちだぞ?」
「二人に接触して誘導係になれということか」
「ああ」
確かにルーの姿のほうがなじみやすいだろう。タンゲルたちもほかの護衛も、ルーの顔は知っている。ドラジェとて無碍にはしないだろう。
「だが、襲撃で行方不明になったルーがどうやってドラジェの馬車に追いついたことにするんだ? それこそ怪しまれるだろう」
「そうでもないだろ。次の町から野営地までの間には山奥にいくつも村が点在していて、そこから降りる山道がいくつも街道につながっている。村の一つが盗賊の根城で、そこから何とか逃れてきたことにすればいい」
「グリードたちが一緒なのにいないことについては?」
「あの時襲撃されて生き残ったのはお前ひとりだった。護衛は全員殺された。……これで通じないか?」
「あ、ひでぇ。僕ら殺されちゃったよ」
けらけらとラティーが笑っている。
「まあ、確かに護衛はひどい扱いを受けるけど、商品は手厚くもてなすってのが礼儀だしな。……ご婦人の身代を狙った誘拐ってのも最近増えてるんだよな」
グリードの口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。
もしかして、それがドラジェのやり口なのか? 意に従わない者たちを従わせたり、身代を傾かせたりする原因には十分なリえる。
「……そういう、ことなのか?」
ザジを振り返ると、肩をすくめて笑っていた。
「さてね。……その話を聞いてドラジェたちがどう思うかは知らないが、伯爵様はお怒りになるんじゃないかね?」
「……むしろラフィーネ様の怒りのほうが怖い」
ラフィーネはルーの中身を知っていたのだろうか。
いや、知っていたとしても、おそらく同じように怒ったのだろう。この話をした時の彼女の反応が今から末恐ろしくもあった。




