129.芝居
「ようこそ、赤の女王」
ザジが立ち上がるのに合わせて腰を上げる。グリードたちも立ち上がっていた。
体をずらすと、ピコの横にイーリンが立つ。いつも着ている黒いエプロンドレスではなく、体をぴったり覆う黒い装束。顔もほとんど隠したままだ。
キーファはとみれば、イーリンの後ろにいる。同じように黒い装束で、目だけがギラリと光る。
ちらりとイーリンが視線だけでピコに確認を求めてくる。ピコは小さく首を横に振り、口を開いた。
「僕の影たちだ。……紹介はこれでいいだろう?」
後ろに立つキーファを見るが、事実と違う紹介の内容に反応した様子はない。ここまでの行程で気が変わったのなら有り難いのだけれど。
「ねーねー、名前は教えてもらえないの?」
「主に許されておりませぬゆえ」
ラティーの言葉に冷たくイーリンが返す。
「ちぇ。まあいいや」
「で?」
ザジに視線をやると、二人の検分は終わったようで輪に加わるように指示をする。
「まずは、情報をくれ。こっちが持ってる情報はさっき喋った通りだ。――あんたたちのことだ、聞いていたんだろ?」
ピコは隣に腰を下ろしたイーリンを見る。キーファもそろってピコを見、頷いた。
「なら、こっちの持ってない情報をくれ。……いちいちピコの顔色見ずにしゃべれねえ?」
「主様」
ザジの苦笑にイーリンが口を開く。
「ああ、二人とも構わない」
「悪い、助かる」
ザジは軽くピコに頭を下げると二人に向き直った。イーリンはそれを見て口を開いた。
「先だっての町で奥方様が宿を抜け出したのはご存じだろうか」
「ああ。見慣れないメイドを連れて出歩いてたって話だろ。最初はルーかと思ったんだがな」
「知ってたか」
「俺じゃなくて町の蛇が見たんだとさ。……で?」
「あの時奥方は領地にいる御夫君あてに手紙を出しておられた」
いつもならドラジェに渡して送ってもらっていたはずだ。それを忌避して自ら手紙を渡したかったから、町に出ると言い出したのか。
「手紙? そんなそぶりは……」
「ああ、露天商に言づけていたからな。……奥方はこういう旅に慣れておられるのだな」
「そうらしい。伯爵の名代として一人であちこち行ったと」
「露天商か……一通りチェックしていたが、ナレクォーツの行商人はいなかったぞ?」
ピコを馬車まで連れて行った男が口を挟む。が、ザジは顎に手を当てて眉間にしわを寄せた。
「いや、おそらくその露天商自体が伯爵の間諜だろう。伯爵は一つ手前の村にいたはずだし、露天商は日が落ちる前には店をたたんで次の村に立つ。うまくはまれば最短で伯爵の手に情報が渡る。……まあ、町についた時点で伯爵も町にいたわけだから、すぐさま伯爵の手に届けられたのだろうけど。その手紙がどうかしたのか?」
イーリンはちらりとピコを見る。ピコも頷いた。
「普段なら手紙はドラジェを通じて手配をしてもらっていた。ドラジェに読まれたくない内容だったんだろうな」
「はい。旦那様への恋文だと。分厚い手紙でございました」
「なんだ、そんなものか」
しかしピコは眉根を寄せた。旦那へ送る手紙は毎日ドラジェに渡していたはずだ。いくら恋文とはいえ、わざわざ身代わりを立ててまで自ら手渡しに行くほどのものではない。
「それにしては渡す時にずいぶん警戒してたな。受け取った露天商はそのあとすぐ店をたたんでたし」
「何?」
キーファの差し出口にザジの表情が険しくなる。
「まあ、ザジが今想像した通りだろうな。あの奥方は一筋縄じゃいかない人だよ」
「だろうな……わざわざ自分用の騎士服なんて持ち歩いてる淑女なんか見たことない」
変装するためだけにしては縫製はしっかりしていたし、彼女の体にちゃんとフィットしていた。新品というわけでなく、使い込まれた感もあったあの衣装、もしかしたら普段から使っているのではないだろうか。
一緒に借りたあの剣も、ただの飾りにしてはずっしり重かった。
ラフィーネは自分の目から見たらどう見えていただろう、とピコは思い返す。
貴族の夫人らしく貞淑でおしとやか。旦那様との仲はうまくいっていなくて名前も呼んでもらえない。
職務だからあちこち一人で行かされている。
だが、それが本当でないのだとしたら?
自分が女の姿に身をやつしていた様に、彼女も『伯爵夫人』らしく振舞っていただけなのだとしたら。
だとしたら……辺境伯との仲が良くないというのも見せかけだけのものなのかもしれない。
「……彼女はナレクォーツ伯爵夫人と呼ばれるのを嫌っていた、と言ってたよな?」
ピコの問いにキーファは頷く。
「ああ、ドラジェにそう呼ばれるのをひどく嫌ってたな」
「騎士服はまるであつらえたかのようだった」
「王都に行けば女性騎士は珍しくないぞ」
「……全部芝居だったとしたら?」
「ん?」
本当は伯爵との仲はすこぶるよく、伯爵の思惑を理解したうえであちこち一人で行っているのだとしたら。おとなしく守られる人でないのだとしたら。
今回の王都とトリエンテ往復の旅も、伯爵が突然訪れるのも、すべて計画の内だったとしたら。
本当はこの間が初めてではなく、町や村に着くたびに抜けだしていたのだとしたら。
「……ザジ」
「ん?」
「今回の件、国王陛下の指示だと言ったな」
「ああ。当然、伯爵も知ってるよ」
やっぱりそうなのだ。
伯爵をうまく陥れて推薦人をかき集めさせ、人質として奥方を一人でトリエンテに来るように仕向けることができたと、ドラジェに思わせたのだ。
ならば、ルー=ピコが話し相手にと引っ張り込まれた理由は他にあるのではないか。
そうだとしたら。
……ルーの正体、知られてるな。これは。
いろいろとやらかしたことがフラッシュバックして、思わずピコは顔を両手で覆った。
「どうなされた、主」
「……ほっといてやってくれ、赤の女王。たぶん、恥ずかしくて穴があったら入りたいんだろ」
「お、お前っ、どこまで知ってるっ」
「いや、反応からたぶんそうだろうと思っただけだ」
しれっと答えてザジはにやにやと笑う。
「えー、白蛇一人で楽しむとかずるいー」
ラティーが向こうで騒いでいるが、ピコは完全無視することにて、深くため息を吐いた。




