126.盗賊の正体
馬車の足が止まる。
気をそらされた一瞬の隙に、男に間合いを詰められていた。
振り払うように薙ぎ払った腕を避けられて、短剣を持っていた腕を簡単につかまれてねじりあげられた。
「痛っ」
「おっとすまんな、姫さんの扱いなんざ慣れてねえんでな。我慢してくれよ?」
男はそう笑いながらルーの両腕を後ろ手に縄で拘束すると、やってきたばかりの馬車に放りこんだ。
手で防御できなかったおかげで腰をしたたかに打ち付けたようだ。体をひねると痛い。
痛みをこらえて体を仰向けにすると、回りを観察する。
幌の中は暗く、荷物らしい箱がいくつか転がっている。何とか体を後ろに向けて幌の隙間から外を見ようと体をねじる。
複数の足音が聞こえてきた。何かを引きずっているようでもある。
もしかしたらグリードたちも連れていくつもりなのだろうか。ここで始末されないのなら、機会を見て全員で逃げればいい。
馬のひづめの音、馬車の轍の音。ほかに馬車は通っていないことから、停車したままだった第四の馬車を誰かが動かしたのだ。
後には何も残さないつもりなのだろう。
こっちには誰も乗ってこない。足音は遠ざかっていく。あちらの馬車に載せられたのか。
一緒なら、協力して逃げ出すこともできただろうに。
そんなことを考えながらもぞもぞやっていると、馬車がふいに動いた。
誰も乗り込んでこない。一人だけでしかも薄暗い幌馬車で移動させられるとは思わなかった。
このままグリードたちと引き離されてしまったら、逃げ出せる確率は低くなる。
最悪、イーリンたちに頼むしかない。
今は、時を待つしかない。
ルー=ピコはため息をつくと、目を閉じた。
「おいおい、立場わかってんのかね、こいつ。気持ちよさそうに寝てら」
至近距離から降ってきた声に薄眼を開く。ランプが天井近くに吊るされていて、こちらにかがみこんだ男が逆光で黒い塊に見える。
まだ馬車の中にいるのは間違いないが、動いてはいない。
周辺からほかの音が聞こえないところから、街道からは外れたのだろう。
ランプをともす程度には外は暗いということだ。
「起こせ。今日中に戻らなきゃならねえんだ」
この声は、あの時対峙した男の声だ。すぐそばから聞こえるのはさしずめ部下だろう。
ぐいと肩をつかまれて体が起こされた。寝たふりをしたまま薄目で中の様子を見る。馬車の中には二人しかいない。この手下と、あの男。あの時の男はフードをかぶって口元を隠したままだ。
これなら突破できる。
引き起こされた勢いを利用して目の前の下っ端に頭突きを加える。
「ぐあっ、こいつっ」
頭を押さえてのけぞっている下っ端の足元を払いのけると、うまく前のめりに転んだ。
もう一人を黙らせようと回し蹴りを叩きこもうとして、すでに男にいないことに気がついた。
振り上げた足首をつかまれた。とっさに身をひねって足の自由を取り戻す。
逃げ出せる場所を目で確認しながらじりじり下がる。
倒した下っ端が頭を振りながら体を起こすのが見えた。これ以上時間をかけると追手が増える。
短剣を取り出した男に背を向けて、幌の隙間から体を外に投げ出した。
荷台の高さがそれなりにあったから、地面に転がり落ちたときには息が止まるほど痛かった。
腕さえ自由なら何とか受け身が取れたのに。
身を起こして走り出しながら馬車の周辺をちらりと見る。かがり火が焚かれて、向こう側には休憩所だろうか、屋根のついた建物がかがり火に浮かび上がっている。
すでに日はとっぷり暮れ、どこらへんまで運ばれたのか皆目見当がつかない。
男は馬車から出てこない。その理由はすぐに知れた。
かがり火の近くにぞれぞれ人影が見える。
貴族の子女など大して遠くに逃げられないだろうと思っているのだ。どの人影も、転がり出てきたルーを追いかけて捕まえようとはしない。
休憩所のあたりからは男たちの笑う声も聞こえてくる。その中に聞き覚えのある声も混じっていて、思わずルーはそっちへと足を向けた。
周りに立っている火の番は誰も動かない。
そろそろと歩くと、木陰からのぞき込む。
休憩所の手前あたりにたき火がしつらえてあり、男たちはぐるりと火を囲んで腰を下ろしていた。
火に照らされて見える顔にルーは安堵のため息を漏らし、同時になぜここに縛られもせず五体満足で彼らがいるのだ、と疑念を抱いた。
ウェイン。ラティー。グリード。そしてザジ。
――どういうこと? なんでここにザジがいるの。
あの時、馬車に乗っていたのは四人だと言っていた。四人目がザジだったのか。
なら、どうしてあの時、襲撃を受けたときに無事だと言わなかったのか。いやそれよりも、どうして彼らが盗賊たちと和気あいあいと火を囲んでいるのだ。
どうして自分だけが後ろ手に縛られて痛い目を見ているのか。
ルーは険しい視線を四人に向ける。
がさっと近くの茂みが揺れて、あの男が姿を現した。
「逃げるなよ。面倒だから」
「何をっ……」
「あれ? いたの? お頭。って……それ、誰?」
その声はラティーのものに違いない。振り向くと、ラティーが立ち上がってルーを見ていた。
ぞろぞろと座っていた男たちが動き出す。一番に動いたのはザジだった。
「ザジ!」
あっという間にルーのそばまで来ると男から離して手首の拘束を解いてくれる。
「お前……怪我させんなって言ったよな? おい」
ザジはルーの体にほかに怪我がないことを確認すると、すぐ後ろに立っているあの男をにらみつける。
「俺のせいじゃない。勝手に逃げて、馬車から転がり落ちたんだ」
「それも含めてだ。おとなしくさせるのは得意だろうが」
「知るか」
「ザジ、どういうこと? こいつらは何なの?」
二人の会話を聞いている間にグリードたちもやってきた。なぜかにやにやしながらこっちを見ている。
「ルー。……いや、ピコ。こいつらな。全員『蛇』なんだ」
ザジの言葉に居並ぶ面々に視線を移す。グリードはにやにや、ラティーは楽しそうに手を振って、ウェインは照れたようにルーを見返してくる。
「なっ……」
ザジに視線を戻したルー=ピコは、言葉を失った。




