124.いたたまれない空気
がらがらと馬車は走る。
ラフィーネとルーカスは馬車の奥側に向かい合うようにして座り、ルーは体一つ分離してラフィーネの隣に座っていた。
予想通りというかなんというか、互いの思いを知ったばかりの四年目の新婚夫婦は、ルーそっちのけで甘々な雰囲気を醸し出している。
正直、つらい。
なんでこの場所に同席しなきゃならないんだ。
時折ルーカスが恨みがましい目でルーを見るものだから、なおさらだ。
およそ考えていることが透けて見える。
今日は同席しない、と何度も言ったのに許可してくれなかったのはそっちじゃないか。
そのうえ、今日もドレスアップを命じられた。
この姿では外に出られない。
いつもの格好のままなら、すきを見て外の仲間たちと合流できると思っていたのに、見透かされたのだろうか。
今朝、使用人部屋に戻ったら、このドレスを押し付けられたのだ。騎士服に着替えていたため、元の服はすでに隠されていた。
ラフィーネにちらりと目をやると、ルーが見ていることには気が付いていないようだ。幸せそうに微笑みあう彼女の顔には今朝ルーをしかりつけた片鱗も見られない。
ルーはそっと目を閉じてため息をついた。
使用人部屋にこっそり戻ったのは日が昇る前だった。
この時間ならばまだ主寝室の二人は眠っているだろうと思ったし、タンゲルもまだ夢の中だろうから、戻ってくることもないだろうと思ったからだ。
昨日から着たままのお仕着せの騎士服を着替えようと、脱いでおいた服と荷物を取り出すべく籠をひっくり返した。
が、あるはずの籠には何一つ入っていなかった。
「嘘……」
盗まれた。
大事なものは肌身離さず身に着けているとはいえ、服も短剣も、いや、荷物一式まるごとなくなっている。
こんな貴族専用の高級宿舎でまさか盗まれるだなんて、思ってなかった。だから、鍵がなくても大丈夫だと思っていたのに。
手が震えるのがわかった。
服はいい。今着ている騎士服をラフィーネから借りられればなんとかしのげる。次の町で調達すればいい。
だが。
なくなったものの中にはあの薬が入っている。押収したほとんどはリュウに渡して分析を頼んだが、三本だけ、証拠品として王都に持ち込もうと思っていたのだ。
ベルトにつける小物入れだったのだから、騎士服に着替えた時に付け替えておけばよかったのだ。
ただの食事だから、と思ったのがうかつだった。
主寝室のほうから声がする。おそらく二人が起きたのだろう。しばらく待って声をかけるしかない。
そう思っていたのだが、不意に主寝室につながる扉がノックされた。
「ルー、戻っているの?」
「ラフィーネ様」
細く扉を開けると、すでに着替え終わったラフィーネが立っていた。部屋の奥から水音が聞こえる。ルーカスは風呂に入っているのだろう。
「少しお話があるの。入れてくださる?」
「はい」
彼女が入れるように広く扉を開けると、彼女は腕にドレスをかけて入ってきた。
「昨夜はどこへ行っていたの! 心配して探したのよ」
「……申し訳ありません」
ルーは頭を下げる。考えてみれば、護衛の仕事を放棄して部屋から逃げたのだ。どうなじられても仕方がない。
「もしかして誰かと約束があったの?」
「いえ」
「じゃあ、どこで一夜を明かしたの」
鋭い突っ込みに言葉に詰まる。
タンゲルの部屋に転がり込んでいたとはさすがに言えない。何もやましいことはなかったのだが、それでも女が男の部屋で夜を共にしたといえばそう認定されるのだ。
「友人が部屋を明け渡してくれました……勝手をして申し訳ありません」
これが、精一杯のいいわけだ。
「あなたという人は……わたくしがこれほどルーのことを心配しているというのに」
深いため息が頭上から降ってくる。
下げた頭を上げられず、ルーはじっと視界に入るラフィーネのドレスのすそを見つめていた。
「これに着替えてちょうだい」
その言葉にルーは顔を上げた。ラフィーネは表情を消して手に持っていたドレスを差し出している。
表情の豊かなラフィーネが無表情になるなんて。明らかに怒っている。
ルーはドレスを受け取る以外なかった。
「わかりました」
「それと、あなたの置いて行った荷物ですけれど」
「え……」
「使用人部屋の鍵をかけてしまうとあなたが戻ってこられないと思ったから、かけられなくって。でもあなたの荷物が盗まれては困るから、主寝室に移しておいたの」
ちらりとラフィーネが棚の籠に視線を移す。そこは、確かにルーが荷物を隠しておいた場所だった。
「申し訳ありません。ですが、今日からはルーカス様が同道されるのですよね? あたしがいないほうが……」
「あなたをまたあの男たちの中に放り出せというの? 嫌よ!」
ルーの言葉を遮ったラフィーネの叫びに、ルーは続く言葉を飲み込むしかなかった。
「さ、あの人が風呂から上がる前に準備しましょう?」
「ラフィーネ様……」
ラフィーネは微笑みを浮かべる。その手には前回もつけられたコルセットとヘアブラシが握られていた。
ルーはそれを見て、目を伏せるとため息をついた。
そして、宿に横付けされた銀の馬車に押し込まれて今に至る。
夫婦の会話をできるだけ聞かないようにとまるで関係ないことを考える。
オードはあれから何も連絡してこない。……少なくとも、今のところは伝言を受け取っていない。もしかしたら送られてきているのだろうか。ラフィーネ付きになったことでそのあたりの自由がまったくなくなった。
テキーラの様子も特に連絡はない。イーリンたちはちゃんとついてきているだろうか。
なによりラフィーネに取り上げられた荷物。
以前、ドレスを着せられたときは荷物も一緒に馬車の中に持ち込んだが、今回はどこに隠されたのかとんとわからない。
夜には返してくれると言っていたけれど、今日は同じ天幕にルーカスも眠ることになるのだろうか。
できれば遠慮したい。
せめて、ルーカスが隊を離れるまでは護衛隊に戻りたい。
そういえば、ルーカスは馬を飛ばしてきたと言っていた。護衛の一人もつけなかったのだろうか?
そんなはずはない。
タンゲルが言っていた。
予約のない貴族が無理やりねじ込んできたと。
タンゲルの泊まるはずだった主寝室に、貴族の付き人が入ってるって。
ということは、ルーカスの付き人はどこへ行ったのだろう。
護衛隊に加わるとは思えない。傭兵や便利屋にとっては煙たい存在だろうし、むしろお客様扱いのはずだ。
だが、この銀の馬車に乗っているのが誰かをここまで徹底的に秘匿しているのだ。たとえ付き人でも馬を連れて同道するとは思えない。
別行動している、と考えるのが筋だろう。もしくは、次の宿まで先に行かせたか。
もしそうならば、増えたのは一人だけということになる。
それを、タンゲルは誰にも伝えていないのだろうか。
客人が増えたということを。
――ありえないな。
ルーは眉根を寄せて床をにらむ。
昨夜泊まった宿屋からは、今日の昼食が提供されているはずだ。
もちろん、馬車の貴人分は特別な食事が用意される。その数が増えているわけで、食事当番が気が付かないはずがない。
外回りの護衛が一人減り、護衛対象が一人増えたとなると、有事の際の動きが変わってくる。
ルーカスが同道する限り、やはり護衛に戻ったほうがいい。
他の護衛たちとともに動くのをラフィーネがどうしても嫌がるというなら、銀の馬車の御者席にでも座らせてもらう。
よし、と心を決めて顔を上げたルーを、怪訝な顔をして二人が見ていたことにルーは気が付いていなかった。




