122.薔薇の部屋
休憩室だというその隣室は、先ほどの食堂とは打って変わって深紅と薄紅に彩られた華やかな部屋だった。深紅の絨毯にカーテン、その内側から薄紅のレースのカーテンがかけられていて、深紅をベースにあちこちのワンポイントに薄紅が使われている。
薔薇の色と言われれば確かにそう見えた。薔薇の部屋とはよく言ったものだ。
薄紅のテーブルクロスがかけられた円卓に真紅のソファ。キャンドルまでが深紅だ。
夫妻はソファに並んで座り、ルー=ピコは夫人の斜向かいに腰を下ろした。
侍従が紅茶を運んできて去ると、ルーカスはさて、と口を開いた。
「先程の話、聞かせてはくれぬか?」
先ほどの、というのはおそらくルーが護衛隊にいることについて、なのだろう。ルーカスの顔をちらりと見ると、笑みを消し、仕事の顔になっているのが分かる。
これは、ただの『晩餐の延長のティータイム』ではない。どう見ても『尋問』だ。
ルーは背筋を伸ばした。
「お聞かせする程の話ではありません。あたしがドラジェさん宛ての手紙を運んで行った時に、次の仕事としてもらったのがこの、ラフィーネ様の護衛の仕事だったというだけです」
「その時には他の面々がどういう者かは聞かなかったのか?」
「ええ、まだ募集を始めたばかりで、今いる半分も集まっていませんでした。集めるのに苦労されていたようなので、友人を紹介したくらいです」
「友人だなんて、恋人とおっしゃればよろしいのに」
「ほう、恋人と。それで、護衛隊に女性が君一人だというのは?」
ルーは頷いた。とはいえ、どこまでを彼に話してもいいのか。
「……一般的な話をしてもよろしいでしょうか?」
「それは、この護衛隊の話が出来ない、という意味かな?」
「いえ、この護衛隊には適用できない話だから、です。今から一般的な話をしますけど、この護衛隊は例外である、という意味です」
ルーカスは眉根を寄せ、膝の上で手を組んだ。
「いいだろう」
「一般的な話、といいましたが、あたしが直接見聞きした話じゃないのは先に断っておきます。今回のように長い旅になる隊商の護衛の場合によくあること、だそうです。王都や大きな街から離れると、どうしても街に泊まったりできなくなります。緊張の続く任務ですし、その……男性の場合、どこかにはけ口を求めるのが一般的だと」
ちらりとラフィーネを見るが、ラフィーネは表情を変えるでなく紅茶を楽しんでいる。
「続けて」
「その、欲求のはけ口のために、女性を一人入れるのだそうです。……護衛たちの性処理のために」
「……君はそういう目には?」
ルーは、視線を手元に落としたのち黙り込んだ。どう答えるべきかと悩んでいる間に、ルーカスは悪い意味に取ったのだろう。荒々しくティーカップを下ろすと、腰を上げた。
「つまり、そういうことか」
「いえ、幸いあたしはそういう目には遭ってません。……遭いかけたのは事実ですが、幸い皆が助けてくれました」
「皆、とは?」
「あたしと一緒に仕事にあたってた仲間です。その後、ラフィーネ様のお話相手に選んでいただき、以後は馬車に同席させていただきましたので、護衛の仕事はしていません」
「何を言うの、ルー。わたくしと同席することで護衛の仕事を果たしてくださってますわよ?」
それは勘違いです、といいかけたがやめておいた。
万が一何かあれば、ラフィーネを守る気だったのは確かだから。
ラフィーネに対して頭を下げる。
「そういうのは……一般的なのか?」
「あたしが聞いた限りでは、必ずではないですがそういう役目として女性を連れ歩く例は今もあるようです。ただ、冒険者やあたしのような便利屋を護衛として入れた上でそういう役目も押し付けることもあるそうですが」
「……それは、つまり強引に……ということか?」
ルーは首を横に振った。
「なんとも言えません。ただ、あたしの場合、そういうことを聞かされてはいませんでした」
そう言ってルーカスを見ると、明らかに機嫌が急降下しているのが分かる。いや、不機嫌というよりは怒りの表情だろう。
「……なるほど。貴重な情報をありがとう、ルー」
「いえ」
ドラジェの推挙人の一人であるルーカスは何を考えているのだろう。表情を見ただけでは読み取れないが、そういう現状があるのだということに少なからず怒りは抱いてもらえたようだ。
「ねえ、ルーカス。わたくし、このままルーをこの護衛隊に置いておきたくはないんですの。……そういうのをよくあること、だなんて言葉で見逃したくありません」
なんとかなりませんの? と隣の夫を振り返ったラフィーネに、ルーカスはちらりと目をやってため息をついた。
「……考えておく。が、あまり期待はしないでくれ。できることならこのまま二人を連れて王都に帰りたいところだが」
「それ、いいですわね」
夫の言葉にラフィーネはぽんと手を打った。それから、ルーの方に向き直った。
「ねえ、ルー。馬車と護衛を借りられないかしら」
「え……?」
「ルーカスも。ここまで急いで来たのでしょう? なら馬で飛ばしてこられたのよね?」
「あ、ああ」
二日前に手紙を出して、今日ここにいるということは、残り七日かかる距離をルーカスは二日ほどで踏破してきたことになる。馬には相当無理をさせたに違いないが、ルーカスにとってラフィーネはそれだけの価値があったということだ。
「では、帰りは一緒の馬車ではいけませんかしら?」
「それは……」
ルーカスは頬を赤らめつつ、口元を手で覆った。
馬車の数が減り護衛が減れば多少はスピードアップできる。それは間違いない。残り一週間の行程は半分ほどで済むのではないだろうか。
問題は、ルーカスがラフィーネを単身トリエンテに行かせた件だ。
ルーカスに会ってみてわかった。
単なる二代目辺境伯でない彼が、結婚して四年とはいえ愛する妻をいつもと違って本当の意味での一人旅させた理由が必ずある。
何かを期待しての行動だとしたら、その結果が出ない限りは今の体制を維持することを選ぶだろう。
「それか、王都まで銀の馬車で一緒に戻るのはどうかしら」
あちこちさまよっていたルーカスの視線がぴたりと止まった。
「お忙しいのは分かっていますから、ご無理にとは申しませんけれど……せめて一日でも」
「姫……」
「姫ではありませんわよ」
「ラフィーネ」
そっと伸ばされた手をラフィーネが両手で包み込む。
甘い雰囲気が醸し出され始めて、ルーはとりあえず横を向いてティーカップを取り上げた。
実際のところ、無紋の馬車で王都に入っても対して目立ちはしない。が、同じ馬車からドラジェとともにナレクォーツ夫妻が降りてきたら、それは辺境伯がドラジェと親しくしていることの裏打ちとなる。
それは、辺境伯の思惑と合致するのかどうか。
おそらくその辺りを計算しているのだろう。
「分かった。一緒に行こう。馬車にはルー、君も同乗したまえ」
「いえ、お二人が乗られるのであれば、話し相手は不要でしょうからあたしは護衛任務に戻りたいのですが」
「だめよ」
ラフィーネはきっと眉尻を釣り上げてルーを睨んだ。
「さっきの話を聞いた上でルーを野獣の群れに放すなんてできないわ」
「彼らの中にはあたしの仲間もいるんです。……せめて、街にいる間は会いに行かせて」
これ以上二人のダダあまな空間に同居したくはないし、向こうの動向も気になるのだ。全く情報が入ってこないのだから。
「……ラフィーネ、あまり無理を押し付けるものではない」
「ええ、わかっています。でも」
「お願いします」
ルー=ピコは頭を下げた。しばらく沈黙の後、ため息が聞こえた。
「……街に逗留している間だけですよ? そうでなくとも前の街ではあんな騒動になりましたのに……」
「心得ています。仲間たちに守ってもらいますから、心配はいりません」
ルーが顔を上げると、ラフィーネはすねたように唇を尖らせた。
「でもその代わり、王都についたらわたくしの護衛になっていただきますからねっ」
「ラフィーネ」
窘めるルーカスの口調に苦笑が混じる。
ルーも苦笑を浮かべた。王都に着いたあと、自分がどこに居られるのかわからないというのに。
トリエンテに戻れるのか、それとも。
「王都に行った際には遊びに行きますから、それで勘弁してください」
「仕方ありませんわね……それで勘弁して差し上げますわ」
そう言って、ラフィーネは優しく微笑んだ。




